日本の歴史と巡る 邦楽&清元年表

このページでは「清元」を中心として歴史を読み解いてみたいと思います。
当時の人々は「事変」があっても「災害」があっても「疫病」が流行っても「黒船」が来ても、明るく娯楽を追求していました。
それは昔も今も変わりません!
「日本」の歴史ではなく「日本人」の歴史を感じて頂ければと思います。

1338年(建武4年)
足利尊氏が征夷大将軍になる
1404年(応永8​年)
日明貿易(勘合貿易)が始まる
1443年(嘉吉3年)
足利義政が室町幕府8代将軍となる
1444年(文安元年)~1448年(文安4年)
浄瑠璃の誕生
宇田勾当うだこうとうが「やすんだ物語」のうち「猿轡さるぐつわ」を琵琶で語ったのが始まりとされるが、当時から「浄瑠璃」と呼ばれていたかは諸説あり。
1467年(応仁元年)
応仁の乱
1549年(天文18年)
キリスト教伝来
1560年(永禄3年)
桶狭間の戦い
1570年頃(元亀天正)
渡来の三味線を使っての浄瑠璃
沢住検校さわずみけんぎょう、滝野検校たきのけんぎょうらが「浄瑠璃姫物語」を琵琶から三味線に変更し語った
1573年(元亀4年)
室町幕府滅亡
足利義昭が京都から追放され室町幕府が滅亡
1582年(天正10年)
本能寺の変
1590年(天正18年)
豊臣秀吉が全国統一
1590年頃(天正)
「かぶき踊り」が京都で人気を博す

最初は能楽で使用する楽器(能管、締め太鼓、太鼓、小鼓)のみ踊っていたが、のちに三味線を取り入れたりと大人気を博す 「ややこ踊り」を基礎にして舞っていた「阿国」が特に有名

1592年(天正20年)
朝鮮出兵(文禄の役)
1600年(慶長5年)
関ケ原の戦い
1603年(慶長8年)
徳川家康が征夷大将軍になる
1614年(慶長19年)・1615年(慶長20年)
大阪冬の陣・大阪夏の陣
1617年(元和3年)
庄司甚右衛門「葭原(あしわら)」に遊郭を設置
 

庄司甚右衛門が幕府の許可のもと「葭原・あしわら」(現在の日本橋人形町)に遊郭を設置
字を変え「吉原」となる
のちに遊郭は場所変えをし、この当時の物事を「元吉原」と言うようになった

1624年(寛永元年)
猿若勘三郎が「猿若座」を開場
「猿若勘三郎(初代中村勘三郎)」が江戸の中橋南地(現在の京橋)に「猿若座(中村座)」を開場 江戸歌舞伎の始まりとされる
1634年(寛永11年)
「 村山座(のちの市村座)」が開場
村山又三郎が江戸葺屋町(現在の日本橋人形町)に「村山座」を開場
のちに経営権が変わり「市村座」となる
1637年(寛永14年)
島原の乱
1642年(寛永19年)
「山村座」が開場
 

江戸木挽町(現在の銀座)に「山村長太夫(岡村長兵衛) 」が「山村座」を開場

1656年(明暦2年)
吉原遊郭が移転
 

幕府の命により浅草寺裏の日本堤へ「吉原遊郭」を移転する
昔の遊郭を「元吉原」
新しいこの遊郭を「新吉原」ともよばれる

1660年(万治3年)
初代森田勘彌が「森田座」を開場
 

初代森田勘彌が江戸木挽町(現在の銀座)に「森田座」を開場
のちに11代目から「守田勘彌」「守田座」と共に改名

1675年~1680年(延宝年代)
竹本義太夫が独立「義太夫節」成立
 

京都で独立、人形芝居の一座に加わり「竹本義太夫」と名乗る
のち大阪道頓堀に「竹本座」を開設

1680年(延宝8年)
徳川綱吉が江戸幕府第5代将軍となる
1680年頃(延宝年代)
都太夫一中「一中節」成立
 

京都で義太夫節とは違ったの表現で浄瑠璃を語った
後に江戸に下り歌舞伎音楽として用いられる様になった

1688年頃(元禄年代)
「上方長歌」の発達
元は上方の地歌であったが「上方歌舞伎」の劇中の長編演奏などで発達 「長うた」「長哥」とも
1700年代(元禄後期)~1711年代(宝永年代)
「江戸長唄」の発展
 

「上方長歌」が歌舞伎と共に江戸へ

1703年(元禄15年)12月14日
(赤穂事件)吉良邸討ち入り

赤穂浪士が吉良上野介邸へ討ち入り
通称「忠臣蔵」で有名

1714年(正徳4年)
「山村座」が廃座
 

「江島生島事件」 により興行権利を没収、廃座

1716年(享保元年)
徳川吉宗が江戸幕府第8代将軍となる
1725年(享保9年)
近松門左衛門 死去
1731年(享保15年)
宮古路豊後掾「豊後節」成立
都太夫一中の弟子の宮古路豊後掾が師の死後独立する
後の歌舞伎浄瑠璃の重要な礎となる
弟子たちが「常磐津節」「新内節」「宮園節」「富本節」「清元節」などを派生していった
1732年(享保17年)
享保の大飢饉
 
1739年(元文4年)
江戸で「豊後節」が禁止される
 

江戸で爆発的な人気を博した豊後節が幕府より「風紀を乱す」との沙汰で一切を禁止される
この禁止令により「豊後節」を名乗れなくなったのも派生が多く起こった原因の一つとされる

1739年(元文4年)
ロシア船が陸奥や房総、伊豆に出没
 
1746年(延享3年)1747年(延享4年)
大阪・竹本座で「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」(人形浄瑠璃) 初演
1747年(延享4年)
「常磐津節」の成立
 

宮古路豊後掾の弟子が江戸で「常磐津文字太夫」を名乗り 成立

1748年(寛延元年)
清元の前身となる「富本節」成立
 

宮古路豊後掾の弟子が初世常磐津小文字太夫と名乗るが、のちに独立「富本豊志太夫(豊前掾)」を名乗り成立

1748年(寛延元年)
老松(おいまつ)
本名題 なし
1749年(寛延2年)正月
長生(ちょうせい)
本名題 栄能春延壽 (さかえのはるのぶることぶき)
1751年(寛延4年)
第8代将軍徳川吉宗 死去
 
1772年(明和9年)
明和の大火(江戸)
 
1774年(安永3年)
杉田玄白らが「解体新書」を発行
 

幕府の命により浅草寺裏の日本堤へ「吉原遊郭」を移転する
「新吉原」ともよばれる

1776年(安永5年)11月
檜垣(ひがき)
 

百夜菊色の世中
(ももよぎくいろのよのなか)

1776年(安永5年)
平賀源内が「エレキテル」を制作
 

幕府の命により浅草寺裏の日本堤へ「吉原遊郭」を移転する
「新吉原」ともよばれる

1777年(安永6年)
初世清元延寿太夫生まれる
 

富本節より独立し「清元節」を創設。
(1777年~1825年)

1777年(安永6年)11月
鞍馬獅子(くらまじし)
 

夫婦酒替ぬ中仲
(めおとざけかわらぬなかなか)

1779年(安永8年)
桜島(薩摩)が大噴火
 
1780年(安永9年)11月
十二段(じゅうにだん)
 

十二段君が色音

1782年(天明2年)~
天明の大飢饉
 
1782年(天明2年)8月
新曲高尾懺悔(しんきょくたかおざんげ)
 

本名題 なし

1783年(天明3年)
浅間山大噴火
 
1783年(天明3年)
お俊(おしゅん)
 

其噂櫻色時
(そのうわささくらのいろどき)

1787年(天明7年)~
徳川家斉が江戸幕府第11代将軍となる 寛政の改革
 
1793年(寛政5年)2月
お菊幸助(おきくこうすけ)
 

名酒盛色の中汲
(なさけざかりいろのなかくみ)

1794年(寛政6年)
東洲斎写楽の浮世絵が大流行
 

幕府の命により浅草寺裏の日本堤へ「吉原遊郭」を移転する
「新吉原」ともよばれる

1802年(享和2年)
二世清元延寿太夫生まれる
初世延寿太夫の子 (1802年~1855年)
1802年(享和2年)
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」が刊行
1806年(文化3年)
文化の大火(江戸芝の大火)
 
1808年(文化5年)5月
1810年(文化7年)
蘭学者の緒方洪庵が生まれる
1808年(文化5年)
フェートン号事件(長崎)
 
1812年(文化9年)9月
種蒔三番叟(たねまきさんばそう)
1814年(文化11年)11月10日
清元節創設
 

市村座の興行に於いて
清元延寿太夫(初世)を名乗る

1815年(文化12年)5月
須磨の写繪・上(すまのうつしえ・じょう)
今様須磨の寫繪(いまようすまのうつしえ)
1815年(文化12年)5月
須磨の写繪・下(すまのうつしえ・げ)
今様須磨の寫繪(いまようすまのうつしえ)
1815年(文化12年)10月
大老井伊直弼が生まれる
1816年(文化13年)正月
権八・上(ごんぱちじょう)

其小唄夢廓

(そのこうたゆめもよしわら)



1816年(文化13年)正月
権八・下(ごんぱちげ)

其小唄夢廓
(そのこうたゆめもよしわら)

1816年(文化13年)
「榮寿太夫」の名
 

松江藩主松平治郷(不昧)公の御前にて初世清元延寿太夫の子「巳三治郎」が15歳で元服
「榮寿太夫」と蝉桐の紋服を拝領
後の二世清元延寿太夫

1816年(文化13年)9月
女太夫(おんなだゆう)
七小町容彩四季
(ななこまちすがたのさいしき)
1817年(文化14年)
蘭学者 杉田玄白 死去
1818年(文化15年)春
1818年(文化15年)3月
1818年(文化15年)
学者 伊能忠敬 死去
1819年(文政2年)正月15日
清元榮寿太夫 名披露
 

江戸中村座「道行思案餘」に於いて「清元榮寿太夫」として名披露
初世清元延寿太夫の子で後の二世清元延寿太夫

1819年(文政2年)正月
お半(おはん)
道行思案餘
(みちゆきしあんのほか)
1819年(文政2年)9月
鳥羽繪(とばえ)

御名残押繪交張
(おんなごりおしのまぜばりえ)

1820年(文政3年)9月
文売り(ふみうり)

花紅葉士農工商
(はなもみじしのうこうしょう)

1820年(文政3年)
町娘の間で踊りや三味線の稽古が流行
1820年(文政3年)9月
玉兎(たまうさぎ)

玉兎月影勝
(たまうさぎつきのかげかつ)

1820年(文政3年)11月
茶筌売(ちゃせんうり)

詠梅松清元
(さきそむるれんりのきよもと)

1822年(文政5年)
コレラ菌大流行

対馬から本州へ大阪京都まで大規模に感染
十数万人の被害があった

1822年(文政5年)
三世清元延寿太夫生まれる
 

浅草今戸橋の材木商「藤田屋」の子
二世延寿太夫の門弟で娘婿
(1822年~1858年)

1823年(文政6年)正月
嫁菜摘(よめなつみ)

道行誰夕月
(みちゆきたれもゆうづき)

1823年(文政6年)3月
1823年(文政6年)
勝海舟が生まれる
1823年(文政6年)6月
1823年(文政6年)8月
山帰り(やまがえり)

山歸强桔梗
(やまがえりまけぬききょう)

1823年(文政6年)11月
山姥(やまんば )

月花玆友鳥
(つきとはなここにともどり)

1824年(文政7年)
オランダ学者シーボルトが長崎で「鳴滝塾」開設
1824年(文政7年)2月
吉原雀(よしわらすずめ)

筐花手向橘(かたみのはなむかしのそでのか)

1824年(文政7年)3月
梅川(うめがわ)

道行故郷の春雨
(みちゆきこきょうのはるさめ)

1824年(文政7年)9月9日
清元延寿齋と改名
 

清元延寿太夫(初世)が剃髪し延寿齋に改名
市村座「復新三組盞」にて披露
[延壽と覚明どっちらも太夫坊」という川柳が流行る

1824年(文政7年)9月
傀儡師(かいらいし)

復新三組盞(またあたらしくみつのさかづき)

1825年(文政8年)
江戸幕府が「異国船打ち払い令」発令
1825年(文政8年)5月26日
清元延寿齋 死去
 

芝居出演後の帰宅途中で何者かによって刺殺される
絶大な人気に嫉妬した者の犯行とみられたが犯人は不明
享年49歳
(1777年~1825年)

1825年(文政8年)
岩倉具視が生まれる
 
1825年(文政8年)11月
お染(おそめ)

お染・上おそめ・じょう
お染・下おそめ・げ

道行浮塒鷗
(みちゆきうきねのともどり)

1826年(文政9年)6月
1826年(文政9年)9月
座頭(ざとう)
歌へすがえす餘波大津繪
(かえすがえすおなごりおおつえ)
1826年(文政9年)9月
船頭(せんどう)
歌へすがえす餘波大津繪
(かえすがえすおなごりおおつえ)
1827年(文政10年)
西郷隆盛が生まれる
 
1827年(文政10年)春
梅の春(うめのはる)
1827年(文政10年)3月
二世清元延寿太夫 襲名
 

江戸市村座「月雪花蒔繪の巵」に於いて榮寿太夫が26歳で延寿太夫を襲名

1827年(文政10年)3月
納豆売り(なっとううり)

月雪花蒔繪の巵
(つきゆきはなまきえのさかづき)

1827年(文政10年)~1831年
雲助(くもすけ)

花雲助合肩
(はなのくもすけてあいうた)

1829年(文政12年)
神田佐久間町の大火(文政の大火)
1830(天保元年)9月
土佐繪(とさえ)

吾妻櫻衆袖土産
(あづまざくらてごとの いえづと)

1831年(天保2年)春
1831年(天保2年)3月
1831年(天保2年)3月
1831年(天保2年)
第121代 孝明天皇が生まれる
 
1831年(天保2年)3月
1831年(天保2年)
葛飾北斎「富嶽三十六景」刊行
1832年(天保3年)
四世清元延寿太夫生まれる
 

谷中の質屋「三河屋」の子
二世延寿太夫の娘・お葉の婿養子となる
(1832年~1904年)

1832年(天保3年)3月
1832年(天保3年)7月
1832年(天保3年)
大盗人 鼠小僧 小塚原刑場にて処刑
1833年(天保4年)
天保の大飢饉がはじまる
1833年(天保4年)3月
1833年(天保4年)7月
小糸(こいと)

二世契緣授絲
(にせのちぎりえにしのくみいと)

1834年(天保4年)
歌川広重「東海道五十三次」が完成
1834年(天保5年)
浅間(あさま)

初霞浅間嶽
(はつがすみあさまがだけ)

1837年(天保8年)
大阪「大塩平八郎の乱」勃発
 
1838年(天保9年)夏
四季三葉草(しきさんばぞう)
1839年(天保10年)
高杉晋作が生まれる
1839年(天保10年)9月
1841年(天保12年)
初世清元梅吉生まれる
 

藤間流の舞踊家の子
のちに廃業し初代清元寿兵衛となる
(1841年~1907年)

1841年(天保12年)
天保の改革

改革の煽りを受け、七代目市川團十郎が「手鎖・江戸処払い」の刑に処される

1842年(天保13年)
曲亭馬琴「南総里見八犬伝」完結

初版以来28年掛けて完成
ちなみに初版時1814年は清元が成立した年

1843年(天保14年)
江戸三座「中村座・市村座・森田座 」が猿若町へ移転、開業
 
1845年(弘化2年)11月1日
俗称を清元太兵衛に
 

二世清元延寿太夫が俗称として清元太兵衛に改名、今後この名で舞台を務める

1846年(弘化3年)
第121代孝明天皇即位
1846年(弘化3年)
六玉川(むたまがわ)

草枕露の玉歌和
(くさまくらつゆのたまがわ)

1847年(弘化4年)3月
旅奴(たびやっこ)

八段目旅奴
(はちだんめたびやっこ)

1848(嘉永元年)~1860年(安政7年)
女車引(おんなくるまびき)

五諸車引哉袖褄(ごしょぐるまひけやそでつま)

1849年(嘉永2年)
浮世絵師 葛飾北斎 死去
 
1851年(嘉永4年)3月
明烏(あけがらす)
明烏・上あけがらす・じょう
明烏・下あけがらす・げ


明烏花濡衣
(あけがらすはなのぬれぎぬ)

1851年(嘉永4年)9月
1853年(嘉永6年)
「黒船」ペリーが浦賀沖に来航
 
1854年(嘉永7年)
日米和親条約締結
1854年(嘉永7年)5月20日
二世清元梅吉生まれる
初世清元梅吉の弟子 四世清元延寿太夫の娘・はるの婿 (1854年~1911年)
1855年(安政2年)9月26日
二世清元延寿太夫 死去

享年54歳
切腹して自ら命を絶ったと娘お葉が語ったという文献が残る。その後、実子がいたが芸筋が悪く、妹聟が三世延寿太夫となる。
(1802年~1855年)

1855年(安政2年)11月
江戸安政の大地震
1858年(安政5年)3月
1858年(安政5年)
コレラが再び大流行
 

「安政コレラ」ともいわれ全国に広がる
江戸だけでも10万人以上の死者を出した

1858年(安政5年)8月10日
三世清元延寿太夫 死去

享年38歳
三世延寿太夫に関しては不明な点が多い。二世延寿太夫の妹娘聟で三世延寿太夫を襲名。年月は不明。金銭により名跡を買い取り実際は舞台出演も少なかったという説もある。コレラで命を落とす。
(1822年~1858年)

1858年(安政5年)
四世清元延寿太夫 襲名

二世延寿太夫の娘お葉の聟が27歳のとき襲名

1858年(安政5年)9月
大老井伊直弼による「安政の大獄」
1859年(安政6年)2月
1859年(安政6年)9月
1860年(安政7年)正月
三人吉三(さんにんきちさ)
 

三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)

大詰 本郷火の見櫓の場
「初廓噂高音(はつくるわうわさのおとわや)」

1860年(安政7年)3月
桜田門外の変

大老井伊直弼 死去

1861年(万延2年)正月
双六(すごろく)
靑樓春道中双六
(さとのはるどうちゅうすごろく)
1862年(文久2年)
またまたコレラが大流行
全国で60万人の感染 江戸では7万の死者を出した
1862年(文久2年)8月13日
五世清元延寿太夫生まれる

墨田区本所の植木屋の子
成人まで横浜「富貴楼」で過ごす
四世清元延寿太夫の養子
本名・斎藤庄吉
(1862年~1943年)

1862年(文久2年)8月
生麦事件
 
1863年(文久3年)7月
薩英戦争
1863年(文久3年)9月
1864年(元治元年)
蛤御門の変(禁門の変)
1865年(慶応元年)8月
1867年(慶応3年)
大政奉還
1868年(慶応4年)
戊辰戦争が勃発
1868年(明治元年)
明治維新

江戸が「東京」となる

1871年(明治4年)正月
名寄せの寿(なよせのことぶき)
1871年(明治4年)7月
廃藩置県

江戸が「東京」となる

1875年(明治8年)
「守田座」が「新富座」に改名
「守田座」が新富町移転に伴い改名
1875年(明治8年)
宮比(みやび)

宮比御神樂
(みやびのみかぐら)

1877年(明治10年)2月
西南戦争が勃発
1881年(明治14年)3月
1881年(明治14年)11月
1883年(明治16年)
演劇改良運動
 

文明開化や諸外国との交流が活発になり、道徳的観点などから演目内容を変革し、日本の芸術性を高めた

1883年(明治16年)2月17日
隅田川(すみだがわ)
1885年(明治18年)2月
筆屋幸兵衛(ふでやこうべえ)

水天宮利生深川
(すいてんぐうめぐみのふかがわ)

1885年(明治18年)12月
内閣制度の発足
1887年(明治20年)
曾我菊(そがぎく)

尾花末露曾我菊
(おばなのすえつゆのそがぎく)

1889年(明治22年)2月
「大日本帝国憲法」公布
1889年(明治22年)
「歌舞伎座(1期)」開場
 

明治の「演劇改良運動」の流れを受けて木挽町(現在の銀座)に開場
1889年(明治22年)~1911年11月(明治44年)7月

1889年(明治22年)12月27日
三世清元梅吉生まれる
 

のちの二世清元寿兵衛
二世清元梅吉の子
五世清元延寿太夫と不和になり「清元流(梅派)」を創設
(1889年~1966年)

1891年(明治24年)
清元太兵衛と改名
 

四世延寿太夫が清元太兵衛と改名
60歳

1893年(明治26年)正月
花筐(はながたみ)
1893年(明治26年)
河竹黙阿弥 死去
歌舞伎界のみならず清元でも「権九郎」「三千歳」「十六夜」「夕立」など多くの名作を残す
1893年(明治26年)
「中村座(猿若座)」消失により廃座
1893年(明治26年)
清元延寿翁に改名
 

太兵衛が延寿翁に改名
62歳

1893年(明治26年)
日清戦争が勃発
1895年(明治28年)
四世清元榮寿太夫生まれる
 

五世延寿太夫の子
清元桂寿郎の名で三味線方としても活躍早世の為、延寿太夫を継承出来ず
(1895年~1940年)

1897年(明治30年)6月20日
五世清元延寿太夫 襲名
 

四世延寿太夫の養子
3年前の1894年(明治27年)に榮寿太夫を襲名し家元を継承する

1897年(明治30年)6月20日
1897年((明治30年)6月20日
清海波(せいがいは)
1897年((明治30年)8月20日
四君子(しくんし)
1891年(安政6年)~1891
扇獅子(おうぎじし)
 

扇獅子富貴の英(おうぎじしふきのはなぶさ)

1901年(明治34年)7月
清元お葉 死去
 

二世延寿太夫の娘で四世延寿太夫の妻
二世延寿太夫の死後、陰ながら清元発展に尽力
「三千歳」「十六夜」「柏の若葉」「名寄せの寿」などの作曲補曲を数多く残す
享年43歳

1903年(明治36年)4月26日
千羽鶴(せんばづる)

千羽鶴空麗
(せんばづるそらもうららか)

1904年(明治37年)2月
日露戦争が勃発
1904年(明治37年)3月16日
清元延寿翁 死去
 

(四世清元延寿太夫)
享年73歳
(1832年~1904年)

1907年(明治40年)2月1日
初代清元寿兵衛 死去
 

(初代清元梅吉)
(1841年~1907年)
享年67歳

1909年(明治42年)10月
伊藤博文 暗殺
1911年(明治44年)10月
「歌舞伎座(2期)」開場
 

純和風の外観に大改装
漏電により焼失
1911年(明治44年)10月~1921年(大正10年)10月

1915年(大正4年)3月
助六(すけろく)

助六曲輪菊(すけろくくるわのももよぐさ)

1922年(大正11年)12月
清元が「高輪派」と「梅派」に分裂
 

五世延寿太夫(高輪派)と三世梅吉(梅派)が分裂

1923年(大正12年)9月1日
関東大震災
1929年(大正13年)4月
津山の月(つやまのつき)

本名題 なし

1924年(大正13年)12月
「歌舞伎座(3期)」開場
 

関東大震災で中断していた建設工事を再開し現在の歌舞伎座の外観の形に完成
東京大空襲により外郭を残し焼失
1924年(大正13年)12月~1945年(昭和20年)5月

1925月(大正14年)3月
幻椀久(まぼろしわんきゅう)
1925月(大正14年)3月
ラジオ放送開始
1926月(大正15年)9月27日
六世清元延寿太夫生まれる
 

四世清元榮寿太夫の子
(1926年~1987年)

1929年(昭和3年)3月
お夏狂乱(おなつきょうらん)

本名題 なし
(三世清元梅吉作曲)

1929年(昭和4年)6月
1930年(昭和5年)11月
幻お七 高輪派(まぼろしおしち たかなわは)
1930年(昭和5年)11月27日
幻お七 梅派(まぼろしおしち うめは)
1931年(昭和6年)
劇団「前進座」旗揚げ
1932年(昭和7年)
四世清元梅吉生まれる
 

三世清元梅吉(二世清元寿兵衛)の養子

1932年(昭和7年)
「市村座」消失により廃座
1938年(昭和13年)夏
1940年(昭和15年)5月27日
四世清元栄寿太夫 死去
 

五世延寿太夫の長男。脳の病により父より早く亡くなってしまう。
(1895年~1940年)
享年46歳

1941年(昭和16年)5月14日
峠の万歳(とうげのまんざい)

本名題 なし
(三世清元梅吉作曲)

1941年(昭和16年)
太平洋戦争が勃発
1943年(昭和18年)5月22日
五世清元延寿太夫 死去
享年80歳
(1862年~1943年)
1945年(昭和20年)
東京大空襲 終戦
1948年(昭和23年)4月
六世清元延寿太夫 襲名
 

五世延寿太夫の孫
新橋演舞場で襲名披露

1951年(昭和26年)1月
「歌舞伎座(4期)」開場
 

東京大空襲で残った外壁の使用した大改修工事ののち完成
約60年使用される
1951年(昭和26年)1月~2010年(平成22年)4月

1951年(昭和26年)3月
夕顔棚(ゆうがおだな)
1953年(昭和28年)
テレビ放送開始
1953年(昭和28年)1月27日
月(つき)
1956年(昭和31年)8月
綾の鼓(あやのつづみ)
1957年(昭和32年)4月1日
「吉原遊郭」閉鎖

前年に可決された「買春防止法」により340年続いた「吉原遊郭」が閉鎖

1958年(昭和33年)
七世清元延寿太夫生まれる
 

六世清元延寿太夫の子

1958年(昭和33年)12月
東京タワー竣工
1964年(昭和39年)
清元協会設立
 

高輪派と梅派の両派により設立

1964年(昭和39年)10月
東京オリンピック開催
1966年(昭和41年)6月1日
二世清元寿兵衛 死去
 

(三世清元梅吉)
(1889年~1966年)
享年76歳

1966年(昭和41年)6月
仇ゆめ(あだゆめ)
1987年(昭和62年)2月5日
六世清元延寿太夫 死去
 

(1926年~1987年)

1989年(平成元年)11月
七世清元延寿太夫 襲名
 

六世延寿太夫の息子
七世延寿太夫を襲名

1995年(平成7年)9月
夕顔の巻(ゆうがおのまき)源氏物語
2012年(平成24年)2月
東京スカイツリー竣工
2013年(平成25年)4月
「歌舞伎座(5期)」開場
前期の景観をそのまま残し、歌舞伎座タワーと共に完成
2013年(平成25年)4月 ~
2014年(平成26年)3月28日
清元節生誕200年記念演奏会
 

歌舞伎座に於いて「清元節生誕200年記念演奏会」開催

2019年(令和元年)末
新型コロナウイルス(COVID-19)の世界的猛威
2021年(令和3年)7月
東京オリンピック開催
 

新型コロナウイルス(COVID-19) の影響により
1年延期 の末、開催

2023年(r令和5年)10月
「三宅坂 国立劇場・国立演芸場(初代)」閉場
2023年(令和5年10月29日)
国立劇場・国立演芸場 閉場記念式典