須磨の写繪(すまのうつしえ)下

作詞

二世桜田治助

作曲

清沢萬吉(のち初世清元斎兵衛)

初演

1815年(文化12年)5月 江戸市村座

本名題

今様須磨の寫繪(いまようすまのうつしえ)

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

解説

歌詞

かくとも知らず姉妹(おとどい)は もつれし髪も つい解けやすき
千筋結ぶの女同士
伊勢の二見がうらなくも 見ゆる鏡に顔と顔

松風「あのまぁ行平様は 二人を先へと仰って そうして今はお見えなされぬは」
村雨「大方隠れて私等を おなぶりなさる御心でござんしょう」
松風「これ妹 合点の行かぬあの松に 行平様の烏帽子狩衣」
村雨「おぉほんにどうしてあの松へ」

心ならねば走りより 松にかけたる二品を
疾しや遅しととりどりに

松風「立ち別れ 因幡の山の峰に生うる まつとし聞かば今帰りこん」
村雨「立ち別れ 因幡の山・・と遊ばしたは」
松風「もしや都へ」
村雨「えぇ」ゝ
松風「満潮待が出船の習ひ こりやこうしては」
村雨「そんなら姉さん」
松風「妹おじゃ」

いざと互いに褄引上げ 馳せ行く向うへそり下げの

奴のこのこの此兵衛が 留めた手足も節くれし
拗ねた心の松の木男 酒と女に目がくれて
顔に似合はぬ色上戸 ここで押えた姉え達
手元三桝に三ツ扇 ちょっとあいなら石ごきで
二ツ輪青う桐の文字 どうでごんすとしなだるる

松風「こりや誰かと思えば此兵衛さん」
村雨「急ぎの用がある程に」
松風「ちょっと通して下さんせいなぁ」
此兵衛「おっとその用知っている あの帰路の行平が後を慕うて行くのであろうがなぁ」
松風「すりゃもうあの行平様には」
此兵衛「とうに都へ去んだわやぃ」
松風「ひぇぇ」

はっとばかりに松風は 正体もなく伏沈む
妹も共に涙ぐみ

松風「えぇつれない行平様 三歳が程の憂き恋を 仇に都へ去ぬるとは」

えぇ曲もなや胴慾な なんぼつれないお心じゃとて 言い交はしたる言の葉を
此方は忘れず待わびて 共々お供と村雨が 行くを引き止め

此兵衛「そりゃ悪い」

なんぼそさまが蜑(あま)の子じゃとても
五町や十町は泳ぎも成ろが 潜りもしょがの
とても行かりょか波の上 そこらをおれが才覚で
沖の洲崎に茶屋立て立させて 上り下りの船を待つ
やれこれ田楽そば奈良茶

村雨「えぇおかしゃんせ その様な事 えぇもう知らぬわいなぁ」
此兵衛「ヤ我がそれ程思う物 もう留めはせぬ おらが手舟で跡追っかけ 恨みの丈を」
村雨「嬉しうござんす とは言え姉さん」
此兵衛「はて後はこのオラが引き受けた ヤここ構わずと」
村雨「そんならあとを 頼んだぞぇ」
飛び立つばかり かいがいしく 真砂を蹴立てて一散に
御跡慕うて走り行く

此兵衛「ヤレヤレこれで邪魔を払うてのけた これからは姉の松風 ヤこりゃ気を失ったか 心を付けろ これ松風 松風やーい」

呼ばれてふっとと松風は 心づくよりうろうろと
形見の狩衣抱きしめ

松風「形見こそ今は仇なれ これなくば 忘るる暇もありなんと 詠みしも理やなお思ひこそ深かりし
申し行平さま 何故に物をば仰らぬのじゃ 夕べの後のお言葉を聞きたいわいなぁ えぇもう聴きたいわいなぁ」
此兵衛「ん?ははぁ ヤ可愛えやこいつ 気が違ったな
松風「おお気狂いじゃ気狂いじゃ 春と夏との」
此兵衛「んんん」
松風「季違いは」

笑ふ山辺に啼く時鳥 ほぞんかけたと走れば走る
蝶も菜種に物狂ひ

此兵衛「こりゃ松風 たとえ行平に捨てられてもなぁ ここにも一人 フン色男」
日頃くどくどぴんしゃんと
そちは連れない糸なき三味よ
弾くひかれぬ我思い てんつてんてん てんと誓文 たまらぬたまらぬ
靡け塩屋の夕煙り さっさ立つわいなぁ
そさまと浮名が立つわいな よんやな よい首尾で

松風「えぇ何の行平様より他の男は」
此兵衛「これこれ 何んぼそもじがそう言うてもなぁ もう此処にはおらぬ あの行平」
松風「いえいえ それ それそれ」
此兵衛「どれ どれどれ」
松風「それ そこに」
此兵衛「どれどこに えぇありゃあ松じゃわい」
松風「あの松こそは行平様 たとえ暫しは別るるとも」

待てば来んとの御歌を せめて頼みに松風が
狩衣ちゃっと身に纏い 心の憂さを慰めに
有りし詞をそのままに

松風「この松風は何んとした」

さては我らをよそにして てっきり他に色事が
有明の月の縁(よすが)に忍ぶ 約束合図の文を 示し候べく候かしく
大方そんな事であろ 待たるる身より松風やい

あいと返事もどっちょ声 つかつかそばへ寄り添えば
ちゃっと飛びのく狩衣の 袖を捕らえてこれ何じゃいなぁ

松風「心憎いは 妹村雨」

今は誰とてわくらわに 訪う人もなき須磨の浦
一人残ってそもやそも あらりょう物か情なや
いで追っつかんと駈行くを たとえ荒波たちまちに
悪魚のえじきとならばなれ

此兵衛「可愛さあまって憎さが百倍」

恋しき人に淡路島 通ふ千鳥の翼をかって
空をも駈けり灘をも凌ぎ 逢はでおくべき女の念力
邪魔しゃんすなと引き退けて 行くを止むるやぶ力

思ひは堅き望夫石 それは筑紫の松浦潟
これは播磨の須磨の浦 磯打つ浪の自ずから
松に吹き来る風も狂じて
どうどうどう さらさら颯っと降りしきる
村雨と聞きしも今朝見れば
松風ばかりや残るらん 松風ばかりや残るらん

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