清元國惠太夫 OFFICIAL WEBSITE
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このページでは清元の舞台や諸先輩方の当時の「風景」をご紹介して行きたいと思います。写真を通して清元の魅力や脈々と受け継がれている伝統を感じていただけましたら幸いでございます。
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1906年(明治39年)~1990年(平成2年)本名・柱松覚。熊本生まれ。生家は九州の名門菊池氏の臣で十数代続く家柄。1925年(大正14年)19歳で上京し三世清元梅吉に入門。翌年清元梅一郎となる。1931年(昭和6年)五世清元延寿太夫の芸に憧れ高輪派に所属、清元松之輔となる。1932年(昭和7年)から「清松会」を主宰。1949年(昭和24年)清元栄之輔に名を改める。
銀座、箱根湯本、箱根宮ノ下、強羅に稽古場を持ち、多くの弟子を育てた。二世清元一寿郎は娘婿。
1927年(昭和2年)~1994年(平成6年)本名・新野晃三。東京生まれ。兄は清元寿國太夫、四世清元菊輔、初世清元一寿郎(義兄)、甥に清元三之輔、六世清元菊輔と錚々たる清元一家。1939年(昭和14年)兄清元寿國太夫に入門。1942年(昭和17年)清元國太郎となる。五世清元延寿太夫の男名執の最後にあたる。その後清元榮寿郎の指導を受け1949年(昭和24年)二世清元一寿郎を襲名。1990年(平成2年)社団法人日本芸能実演家団体協議会より芸能功労者賞を受賞。
お浚い会「清晃会」主催や、東京、京都祇園東などに稽古場を持ち、「武内宿禰」「三人吉三」「ごひいき勧進帳」などの作曲を残す。