傀儡師(かいらいし)

作詞

二世桜田治助

作曲

初世清元斎兵衛

初演

1824年(文政7年)9月 江戸市村座

本名題

復新三組盞(またあたらしくみつのさかづき)

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

解説

この曲は三世坂東三津五郎が「傾城(長唄)」「大山参り(長唄)」「傀儡師(清元)」の三変化で初演されました。

本名題の「三組」には三津五郎丈の「三」、定紋の「三つ大」の「三」、三変化の「三」が含みとして入っているほか、初世清元延寿太夫が延寿齋と名を改めたことから祝い事で使用される「三組盞」も掛かっています。

傀儡師とは平安時代より既に存在していた人形を使った旅芸人で「くづつ廻し」などとも呼ばれていた職業の事です。江戸時代には「山猫」「しゃのしゃの衣」とも呼ばれていました。
首から下げた箱の上でアカペラで唄いながら小さな人形を踊らせて見世物にしていました。

曲の冒頭では「鼓唄」で格調高く始まり、竹田近江の人形芝居がルーツという自己紹介へ。松尾芭蕉の門人「宝井其角(晋子)」の流行句に、これまた「外記節」や「チョボクレ」と、当時流行った大衆芸能を盛り込んだメリハリの利いたユーモラスな曲です。
特に「チョボクレ」部分は八百屋のお七の話に因み歌詞が「野菜ずくし」のダジャレで作詞されていて、義経や「船弁慶」のパロディなど、傀儡師自身が人形となって演じ分ける演出になっています。
また人形に絡ませて「唐子」を大量に登場させる演出などもあります

歌詞

蓬莱の島は目出度い島での 黄金桝にて米はかる
紗の紗の袴 紗の袴よの
竹田のむかし囃しごと 誰が今知らん傀儡師
阿波の鳴門を小唄とは 晋子が吟の風流や
古き合点でそのままに

小倉の野辺の一本すすき いつか穂に出て尾花とならば
露が嫉まん恋草や
恋ぞ積りて渕となる 渕ぢゃごんせぬ花嫁に
仲人を入れて祝言も 四海波風穏やかに
下戸の振して口きかず 物もよく縫い機も織り
心よさそなかみさまの

三人持ちし子宝の
総領息子は親に似て 色と名がつきゃ夜鷹でも
ごぜでも巫女でも市子でも 可愛いかわいが落合うて
女に憂身やつしごと
二番息子は堅造で ぽきぽき折れる棘いばら
三番息子は色白で お寺小姓にやり梅の
吉三と名をも夕日かげ それとお七はうしろから

見る目可愛き水仙の 初に根締のうれしさに
恋という字の書初を 湯島にかけし筆つばな
八百屋万の神さんに 堅く誓いし縁結び
必ずやいの寄添えば そこらへひょっくり弁長が
いよいよ色のみばえだち 差合くらずにやってくりょ

やれェどらが如来 やれやれやれやれ おぼくれちょんがれちょ
そこらでちょっくらちょっと聞いてもくんねェ
嘘じゃござらぬ本郷辺りの 八百屋のお娘が十六ささげに
なんねえ先から 末は芽うど(夫婦)に 奈良漬なんぞと
胡麻せた固めを 松露のしるしに 起請が書いたり
小指を胡瓜ゃ さりとはさりとは うるせえこんだに
奇妙頂礼どら娘 これはさておき

既に源氏の御大将 御曹子にてまします頃 長者が姫と語らいも
小男鹿ならで笛による 想夫連理の恋すちょう
惜しあかつきの かごとにも
矢矧の橋は長けれど 逢うたその夜の短かさよ
よいよいよいよい よいやさ よいやさ男子(おのこ)
敵と数度の戦いに 勝どきあげくに大物の
恨みつらみも波の上

そもそもこれは 桓武天皇九代の後胤
平の知盛幽霊なり アラ珍らしや如何に
どうでェ義公 娑婆以来

馴染の弁州伊勢駿河 早く盃 さぁさ汐
吸物椀にて叶うまじと 浮いて散らして拍子どり
眺めありおう箱鼓 とりどりなれや鳥篭と
替ればぱっと忽ちに
雀追わえてしたいゆく すずめ追わえて慕い行く

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