三社祭(さんじゃまつり)

作詞

二代目瀬川如皐

作曲

初代清元斎兵衛(清元栄治郎説有り)

初演

1832年(天保3年)3月 江戸中村座

本名題

弥生の花浅草祭(やよいのはな あさくさまつり)

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

解説

通称を「三社祭」と表します。
かつては登場人物より「善玉悪玉」と言っていました。
本名題に弥生とあるのは三社祭は元々3月に行われていたことに由来します。

本来この狂言は

上「神功皇后と武内宿禰」(常磐津)

下「善玉悪玉(三社祭)」(清元)

と分かれていて、上は山車人形として人物の登場する三社祭の場、下は宮戸川で漁をする兄弟の場です。

 

上記の通り、清元の場面は直接お祭りとは関係ない場なのですが、近年単体で上演される事が多くなり「三社祭」の通称が定着したものと考えられます。
登場人物は三社祭のルーツである「檜前浜成(ひのくまのはまなり)檜前竹成(ひのくまのたけなり)」の兄弟の漁師です。
※三社祭のルーツの詳しい内容は浅草観光連盟様HPをご覧ください。

 

 

ある日宮戸川(隅田川の一部)で檜前兄弟が漁をしていると空から「善玉」と「悪玉」が乗り移ってしまい、悪玉が昔の悪人たちを語るという筋です。

この「善玉」「悪玉」というものは、当時流行した「心学」という一種の道徳思想で、人間の善い行いも悪い行いも「玉」が憑りついて操っているという考えです。
「三社祭」は漁師兄弟が浅草観音を拾い上げた伝説と流行の心学をミックスした当時の最先端をゆくエンターテイメントだったのでしょう!

歌詞

弥生なかばの花の雲 鐘は上野か浅草の
利生は深き宮戸川 誓ひの網のいにしえや 三社祭の氏子中

もれぬ誓ひや網の目に 今日の獲物も信心の
おかげお礼に朝参り 浅草寺の観世音
網の光りは夕鯵や 昼網夜網に凪もよく乗込む
河岸の相場に しけは 生貝生鯛生鰯
なまぐさばんだばさらんだ わびた世界じゃないかいな

そなた思えば七里が灘をのう 命ゃ捨て貝い来たものなしかえ戻ろうよ
捨て貝来たもの命ゃ 命ゃ捨て貝来たものなしかえ戻らうよ
サァサ何んとしょか どしょかいな
撞いてくりゃんな八幡鐘よ 可愛いお人の 人の目をさます
お人の人の可愛い 可愛いお人の 人の目をさます
サァサ何としょか どしょかいな 帰りましょ 待たしゃんせ
憎や烏が啼くいな 斯かる折から虚空より
風なまぐさく身にしむる呆れて暫し両人は 大空きっと見あぐれば

「善か悪かの二つの玉」

「あらはれ出でたは」

「こいつは」

「稀有だわえ」

あーら 不思議やな 一つ星なら長者にも ならんで出たる二ない星
あらはれ出でたる二つ玉 思ひがけなく落散る風の
ぞっと身に沁みうろたへ伏し悶絶するこそ
悪にとっては 事もおろかや 悪七別当 悪禅師
保元平治に悪源太 梶原源太は梅ケ枝を
蛭の地獄へ落したためしもありとかや
これは昔の物語
それが嫌さに気の毒さに おいらが宗旨はありがたい
弘法大師のいろはにほへと 変わる心はからくり的
北山時雨じゃないけれど 振られて帰る晩もあり それでお宿の首尾もよく
とかく浮世は儘にはならぬ 善に強きは コレ善の綱
牛に曳かれて善悪は 浮かれ拍子の一踊り

早い手玉や品玉の 品よく結ぶ玉襷 かけて思ひの玉櫛毛
開けて口惜しき玉手箱 かよふ玉鉾 玉松風の
もとはざざんざで唄えや唄えや うかれ烏の烏羽玉や
うややれ やれやれ そうだぞそうだぞ 声々に
しどもなや
唄うも舞うも 法の奇特に善玉は 消えて跡なく失せにけり

動画