助六(すけろく) 作詞 岡村紫紅(加東節の「助六由縁江戸桜」を引用) 作曲 五世清元延寿太夫(又は二世清元梅吉との合作) 初演 1915年(大正4年)3月 江戸市村座 本名題 助六曲輪菊(すけろく くるわのももよぐさ) 参考資料 清元全集 清元集 清元五十番 解説 「助六」は本来、市川宗家伝来の古典劇ですが、過去には市川家以外の俳優も演じた記録が残っています。文政期に「菊」の異名「百代草(ももよぐさ)」から取って三世尾上菊五郎が「助六曲輪菊(すけろく くるわのももよぐさ)」と題して市村座で演じ、音楽に「長唄」や「常磐津節」を使用したとあります。この様な歴史から六世尾上菊五郎が1915年(大正4年)3月、江戸市村座に於いて清元に作り直し演じました。また初演当時、五世清元延寿太夫の脇語りに清元桂寿郎(四世清元榮寿太夫)が初舞台を踏んでいます。「助六」は元来上方の狂言として誕生し、その当時の心中事件を脚色した物語でした。それが江戸歌舞伎に移植されると「花川戸助六」は曽我五郎が紛失した「友切丸」を探すために変装しているという設定に代わり、現在まで上演されています。この清元「助六」は芝居に展開する前の花道で踊る「出端(でば)」で使用され、吉原の事や助六の服装や持ち物を説明する歌詞になっています。 歌詞 鐘は上野か浅草の 名も懐かしき花川戸よしやかわせし越方を 思い出見世や清掻(すががき)の音締めの撥に招かれて 間夫が名取の草の花思い染めたる五つ所 紋日待つ日のよすがさえ子供がたより待合の 辻占茶屋に濡れてぬる雨の三の輪の冴え返る女郎「助六さんその」大勢「鉢巻わえぇ」助六「この鉢巻の御不審か」この鉢巻は過ぎし頃 由縁の筋の紫も君がゆるしの色見えて 移り変わらぬ常磐木の松の刷毛先 透額(すきびたい) 堤八丁 風誘う目当ての柳花の雪 傘に積もりし山合いは富士と筑波をかざし草 草に音せぬ塗り鼻緒一ツ印篭一つ前急くな急きゃるな さよえ浮世はなぁ くるま さよえ巡る日並の約束に まがきへ立ちて音づれも果ては口舌のありふれた 手管に落ちて睦言の形振りゆかし 君ゆかし助六「君なら 君なら」新造 命を揚巻の これ助六が前渡り風情なりける次第なり 動画