四君子(しくんし)

作詞

鎗田徳之助

作曲

二世清元梅吉

初演

1897年(明治30年)8月20日

本名題

素浄瑠璃として作られたために本名題は無し

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

解説

この曲は南宋の画題「四君子」の梅・藤袴(蘭の異名)・黄金草(菊の異名)・此君(竹の異名)を春夏秋冬に重ねた内容です。

開曲された明治30年は酉年にあたり、冒頭の歌詞「鶏の八聲もわきて(極めて)」は干支にちなんでいます。
「~明らけく治まる~」には「明治」、「竹の園生」は皇室の意味が含まれていて一層格式を意識して作られたことが窺えます。
また「花筐」に対抗して作ったとされ、花筐には花札など俗の例が引用されていますが、この曲には清元には非常に珍しく俗世の内容は盛り込まれていません。これは当時の「演劇改良運動」をかなり意識したと考えられています。

ちなみに古い舞踊の文献などには「男舞(白拍子などが立烏帽子、水干、太刀などで男装する)」で登場するとあります。

歌詞

鶏の八聲もわきて華やかに きらめき出づ る初日影
岩戸のひまの見え初めし 神代も斯くや明らけく
治まる御代の空長閑けく

咲く梅が香も手弱女の
袂に通ふ都の春 大宮人もいとまあれや
桜かざしてきさらぎや 弥生の花の白雲も

いつか青葉になりぬれば おのづからなる雨露の
恵みにたかく生ひ出でて 誰が脱ぎかけし藤袴
風のまにまにかをる香の 深きぞ花のみさおなる

秋待ちて咲く菊の花 下ゆく水の流れ汲む
人も齢を延ぶるてふ その故事も名にし負う
あづまの野辺の黄金草 誰がみつぎの数に積む
それは花のしめやかなる

また此君と名付けしは
霜をもしのぎ 雪にも折れず
雲井に茂る千代のかげ 竹の園生の末長かれと
君が千歳を祝ひける 実に佳色ある御代の春

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