権八小紫・上(ごんぱちこむらさき・じょう)

作詞

福森喜宇助(久助)

作曲

清澤萬吉(のちの清元齋兵衛)
初世清元延寿太夫の妻・お悦の説有り

初演

1816年(文化13年)正月 江戸中村座

本名題

其小唄夢廓(そのこうた ゆめのよしわら)

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番 清元と舞踊 清元心得帖

解説

この曲は1816年(文化13年)正月。江戸中村座の狂言「比翼蝶春曽我菊(ひよくのちょう はるのそがぎく)」の二段目に初演されたもので、「曽我物」に「権八・小紫」を加えて物語は進行してゆきます。

初演時より「権八小紫」は「権八上(権上)「と「権八下(権下)」に分かれていました。

※こちらのページは「権八上(権上)」の歌詞を掲載しています。「権八下(権下)」もご参照ください。

初演は
白井権八 七世市川團十郎
三浦屋小紫 三世尾上菊五郎

清元
初世清元延寿太夫 清元理喜太夫 清元宮路太夫
清澤萬吉(清元齋兵衛)清元順三

振付
市山七十郎

主人公「白井権八」は因幡の国の武家出身で、父を侮辱した同じ家中の本庄助太夫を殺害し江戸へ逃亡します。
そこで色里(吉原)に通い「三浦屋小紫」と馴染みになります。
通ううちに貯えが尽き、金欲しさに上州の商人を殺害、それを皮切りに辻斬り、強盗と悪事に悪事を重ねてゆくのでした。

〇「権上」では
権八は遂に捕らえられ江戸市中引き回しの上に鈴ヶ森で磔の刑に処されることとなってしまいました。そこへ廓から抜け出してきた小紫が駆けつけ、役人の許しを請うて最後の水盃を許されます。
ここで小紫は隠し持っていた短刀で権八の縄を切るのでした。
それにハッと驚く権八でしたが、同時に目の前の景色も刑場から吉原へと変わっていました。
実は権八は新造や禿に囲まれ、籠の中で寝てしまっていたのです。
自分が捕まってしまい処刑されるという悪夢の「夢オチ」でした。

〇「権下」では
三浦屋小紫の部屋から始まります。
小紫の琴に合わせて権八は尺八を吹いています。
権八は、最近小紫に通う別の客に嫉妬をし、愚痴をぶつけます。
ふとさっき見た悪夢が正夢になるだろうと予感し小紫に別れを切り出しますが共に逃げると聞き分けがありません。そこで権八は小紫に身を隠して逃げ続けるように説得し、前髪を切り落とさせ廓から落ちさせるのでした。

〇この白井権八は実在の人物と言われています。
鳥取城主松平相模守の家来「平井正右衛門」という六百石取の武士が権八の父で、1672年(寛文12年)に正右衛門と同僚が「畜類を飼うなどよろしくない」という話に同家中で愛犬家の「本庄助太夫」が憤慨し、正右衛門に対して散々恥辱せしめました。
それを知った権八はその夜、助太夫宅に押し入り惨殺、江戸へと出奔します。当時権八17歳。

※この逃走で幡随院長兵衛に会ったとされますが、長兵衛は権八が処刑された25年前に既にこの世に無く、創作と言われています。

江戸では阿部豊後守の「渡り徒士」として奉公しますが、色里に味を覚え「吉原の小紫」の元へ通い詰めます。権八は通う金欲しさに辻斬り窃盗を繰り返します。被害にあった人数は約130人に上ると言われています。
特に熊谷堤で絹商人を殺害し300両を奪ったことで益々詮議が厳しくなり、一旦故郷へ逃げようとしますが、浪花で発病し観念、町奉行へ自首するのでした。
江戸へ護送中、夜半に番人の隙をうかがって逃亡。小紫に暇乞いをして再び江戸町奉行所へ自首。
1679年(延宝7年)11月3日、鈴ヶ森の刑場で処刑されました。

処刑時のエピソードで、権八は得意の「加賀節」を唄ったというものがあります。

「梅が咲けかし いよやへ梅が 枝を枝を手折るふりして 必ずござせと様を招く 必ずござせと様を招く
夢になりとも逢いたや見たや 夢になりとも浮世じゃな まれに逢う夜は現か夢か 稀に逢う夜は語る間もなき
さんや短夜や よしなの思い浮世じゃな」

唄い終わると左右より槍で、最後の一突きを喉に受け絶命。権八享年25歳。

その後、遺体は三日二夜晒され、のちに葬られました。命日に墓参りに来た小紫は墓前で自害、両人を一つに埋め「比翼塚」を建てたと言われています。

また小紫の死後、一連のエピソードが大評判になり、権八の最後の唄を替え歌にして出来た「八重梅」が世間で大流行したのでした。

歌詞

栄えゆく 人一盛り花一時 明日は白井が身の果ても
思案の外の罪科に 引かれ廓へ通い路の
派手な姿に引き換えて 今日はあはれに散りかかる
浅黄桜と夕嵐 ひまゆく駒の道もはや
かかる網目に大木戸の 色故にこそ命さえ
逢いた見たさは飛び立つばかり かごの鳥かや恨めしや
これも由縁の紫と 二人が仲を世にうとう
色品川はかわれども 今日ぞ鮫洲の常音
無駒をとどめて

米津「ただ今断罪申し渡す」
犬塚「謹んで承れ」
米津「一ツ 元松平因幡守家来 当時浪人白井権八二十五才 右は去年九月中 竹中半左衛門 本目丈八等と申し合わせ 上州の商人絹屋弥一を 熊谷堤において殺害なし 同人所持の金子五百両を奪い取り あまつさえ 江戸市中所々において 辻斬り追いはぎの重罪を働きたる科により 引き廻しの上 はりつけの刑に行うもの也 検使米津隼人」
権八「重き罪科を犯せし権八 はりつけはかねての覚悟 有り難くお受け仕りまする」
米津「神妙なるその覚悟 さりながらまだ刻限に間もあれば 申し残す事あらば 暫時は上のお慈悲なるぞ」
犬塚「アゝイヤ お言葉ではござれども 猶予致さば役目の落度」
米津「ハテ 人間末期の一言 懺悔さするも諸人へ戒め いかに権八 これまでお上へその方が ご苦労かけたる大罪も この刑場の夕べの露と諸共に 無明の覚め時なるぞ」
権八「有り難きそのお言葉 今に至りてかえらねど かく大勢の方々へ 今権八が身の懺悔 お聞きなされて下さりませ 生まれし故郷は因幡の国 後先思わぬ若気の短慮 義によって人を害し はるばる下りしこの吾妻路 ふと色廓へ通い初め しげしげ行けば浪人の蓄え尽き 悪事をなせし身の罪か(盗み取ったる金故に 我と苦しむこの身の罪科 若いお方はとりわけて 見る程の事うらやましく つい思いつく不了見)色と欲とに身をはたす
この世の見せしめ業晒し ごうのはかりや浄玻璃の 鏡に映る罪科と 今更思い当たりました」

われと悔やみの教訓も 心の駒の急がれて
米津「よくぞ殊勝に申したり 懺悔に罪も消滅なすと 仏もこれを説かれたり」
犬塚「人を殺したその後で 悟ったところが跡のまつり 何の役に立つも
のか 用意がよくば ソレ」

ここぞ名に振る鈴ヶ森 最期場さして来る折しも
廓を抜けて小紫 裾もほらほら駆け来たり

小紫「オゝ権八さん まだ死なずに居て下さんしたか」

我を忘れて走り寄り

米津「ンーしてその方は 何者なるぞ」
小紫「はい わたしは あの吉原の」
犬塚「エゝ艶めかしいそのいでたち さては噂に聞き及ぶ あの権八と言い交わせし」
小紫「アイ 小紫でござんす」
権八「さてはこの権八に」
小紫「サァ この世で一目逢いたさに 廓を抜けて来たわいなぁ」
権八「それ程までにこの権八を 忝ないぞや」
小紫「申しお役人様へ 一つのお願い この世の別れに どうぞこの場で水盃を お許しなされて下さりませ」
犬塚「いや 左様な事が相成ろうか ソレ追っ返せ」
権八「アァイヤ お役人様へ申し上げます」
米津「何事なるぞ」
権八「最期の折は何事も 一ツの願いは叶うとある せめてこの世の水盃を お許しなされて下さる様」
小紫「お願い申し」
両人「上げまする」

涙と共に願うにぞ
情けある警護の役人

米津「許し難き儀なれども 誠にびんなき今際の願い まだ刻限に間もあれば」
犬塚「で ではござれども」
米津「ハテ 何事も上のお慈悲 暫時とあらば苦しうないぞ」
権八「すりゃお許し下さるとな」
小紫「チェー有り難う」
両人「存じまする」

嬉し涙に取りすがり 手桶の水を汲み交わす
柄杓の縁長かれとあの世を頼む

南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
妙法蓮華経の今

あの世の雲と紫が いましめ切って剣の山
すぐに白井が修羅道も これなん南柯の一夢にて
眠りの夢は覚めにけり

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