玉兎(たまうさぎ)

作詞

二世桜田治助

作曲

清沢万吉

初演

1820年(文政3年)9月に江戸中村座

本名題

玉兎月影勝(たまうさぎつきのかげかつ)

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

解説

「玉兎」とは月に兎が住んでいて餅をつくという中国の古い伝説「玉兎(ぎょくと)」から
とられています。

「影勝」とは当時流行っていた越後の菓子「影勝団子」を盛り込んだとされています。
この団子はとても固かったそうです。
名前の由来は戦国時代、越後の龍といわれた上杉謙信の養子、上杉景勝からとったと
されています。この人物が大変堅物だったことから「景勝」をもじって「影勝」と名付けたそうです。

曲の内容は月に兎が住み、餅をつくところから始まり、途中カチカチ山の
お話も組み込まれた分かりやすいものです。

また曲後半部分の「お月様さへ~」からは古いわらべ唄を引用しています。

ちなみに上記の「影勝団子」を盛り込んだのは、テレビもラジオも無い時代に餅と餅つきを掛けてCMも役割も果たしていたとも言われています。

歌詞

実に楽天が唐詩に つらねし秋の名にし負う 三五夜中の 新月の 
中に餅つく玉兎 餅じゃござらぬ望月の 月の影勝(二上り)飛団子 やれもさ 
うやゝれ やれさてな 臼と杵とは女夫でござる やれもさ やれもさ 
夜がな夜ひと夜 おゝやれ とゝん上から 月夜にそこだぞ やれこりゃよい子の
団子が出来たぞ おゝやれ やれさて あれはさて これはさて 
どつこいさてな よいとよいとよいとよいと よいとなとな これわいさのよい これはさておき

昔々やつがれが 手柄を夕べの添乳にも 婆食った爺やがその敵
うつやぽんぽらぽんと腹鼓 狸の近所へ柴刈りに きゃつめも せたら大束を
えっちりえっちり えじかり股 しや御参なれ こここそと
後から火打ちで かちかち かちかち かっちかち かちかちの山という内に
あつつ あつつ そこで火傷のお薬と
唐辛子なんぞで みしらして 今度は猪牙船 合点だ
こころへ狸に土の船 面舵 取り舵 ぎっちらこ
浮いた波とよ 山谷の小舟 焦がれ焦がれて通わんせ
こいつは面白おれ様と 洒落る下よりぶくぶくぶく
のうのうこれはも泣きっ面 よい気味しゃんと敵討ち
それで市がさかえた 手柄話に乗りがきて

お月様さへ 嫁入りなさる やっときなさろせ とこせとこせ 
年はおいくつ十三七つ ほんにサアお若い あの子を生んで やっときなさろせ とこせとこせ 
誰に抱かせましょうぞ おまんに抱かしょ 見てもうまそな品物め しどもなや 
風に千種の花うさぎ 風情ありける月見かな

動画