幻お七(まぼろしおしち)高輪派

作詞

木村 富子

作曲

二世清元榮次郎(のちの清元榮壽郎)

初演

1930年(昭和5年)11月 東京劇場

本名題

なし

参考資料

清元全集 日本舞踊辞典 日本舞踊曲集覧 邦楽舞踊辞典

解説

昭和5年(1930年)11月に東京劇場(現在の東劇ビル)で開催された「菊葉會(菊華會とも)」に於いて尾上菊枝(六世尾上菊五郎の女性弟子)が踊ったのが初演とされています。
義太夫「櫓のお七」にヒントを得て木村富子氏が作詞、二世清元榮次郎(のち清元榮寿郎)が作曲をしました。

春の夜、降り積もる雪の中を江戸本郷の八百屋の娘お七は想い人の吉三郎によく似た羽子板を抱いて忍び歩きます。吉三郎のことで思い詰め、幻想を見てしまい、悲しさに耐えきれなくなったお七は遂に禁断の「櫓の太鼓」を打ってしまうという事件を起こしてしまうという筋立てです。

清元には「幻お七」が2曲あります。両曲とも詞は同じで同時期に発表されています。
当ページの曲を通称「高輪派の幻お七」といい、もう一曲を梅派の幻お七(三世清元梅吉作曲)と表現することが多々あります。

歌詞

恋風に 綻び初めし初櫻 花の心もしら雪の
憂きが上にも降りつみて 解けぬ夕べのもつれ髪

いつか人目のすき油 思い丈長結び目も
しどけ形振り彼の人を 偲ぶ押し絵の羽子板に
愛しらしさの片えくぼ そっと突ついて品やり羽子も
二つ三つ四ついつの日に 逢わりょうものぞ逢いたさに
無理を湯島の神さんへ 梅も断ちましょ白桃に
妹背わりなき女夫雛 あやかりたさの振袖の
誰がそらだきの移り香や あるかなしかのとげさえも
ふるう手先に抜きかぬる 寂莫(しじま)が縁の橋わたし
のぼりて嬉し戀の山

お七「おぉ さっても見事な嫁入りの」

花の姿や伊達衣裳 いろ土器(かわらけ)の三つがさね
祝いさざめくその中に うちの子飼の太郎松が
ませた調子の小唄節 誰に見しょとて五百機(いおはた)織りゃる
いとしけりゃこそ五百機の 褄をほらほら吹く春風に
あらうつつなの花吹雪
狂う胡蝶や陽炎の 燃ゆる思いもそのままに
今は甲斐なき仇まくら

逢うて戻れば千里も一里 逢わで戻れば又千里 ほんにえ
夢の浮世にめぐり逢い 思い合うたるその人の
面影恋し人恋し 逢いたや見たやと娘気の

お七「ヤ お前は吉様」

狂い乱れて降る雪に それかあらぬか面影の
かしこに立てば其方へ走り ふっと見上ぐる櫓の太鼓

お七「アレアレ 吉様を連れて何処へ えぇ憎い恋知らず 返しや戻しや」

打つやうつつか幻を 慕う梯子の踏みどさへ
一足づつに消ゆる身の 果ては紅蓮の氷みち
危うかりける次第なり

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