梅の春(うめのはる)

作詞

毛利元義 補作 鹿都部眞顔(四方眞顔)

作曲

川口お直(初代清元栄寿太夫、お悦・初代清元延寿太夫の妻説有り)

初演

1827(文政10年)春。橋場の料亭「川口」

本名題

なし

参考資料

清元集 清元全集 清元五十番

解説

この曲は鹿都部眞顔(しかつべまがお)の門に入って狂歌を学んだ、長府藩11代藩主毛利元義(鹿都部眞門・しかつべまかど)が詞章を書いています。
曲名の「梅の春」は毛利元義の狂歌の前名「梅廼門香保留(うめのとかほる)」に由来します。

師の眞顔が「四方眞顔(よものまがお)」の名に改名し、元義自身も「四方眞門」となり判者(作品の優劣を判定する)に上った祝いに歌詞を書いて披露の席で清元の節付けをして語らせました。
 
毛利元義が書いているのは「四方にめぐる~若布刈るてふ」までの箇所です。詞章には「扇巴」四方派の紋、「ゆるしの」自身が判者に選ばれたことなどの喜びを表し、「赤間」や「硯」、「若布刈るてふ」は領地である長州の「赤間が関」や正月の神事「和布刈(めかり)」を、また「もじがせき書き」には門司と文字、文字に連想されて「席書(習字の会)」、席書には「赤間が(関垣)の名産「硯石」が掛かってたりと巧みに表現されています。
「春景色~」からは補作され、祝宴席の「川口」の場所に因み、橋場今戸(東京台東区)隅田川周辺や吉原など江戸の正月風景に移ってゆきます。
この補作は真顔の師に当たる太田蜀山人という説がありますが、開曲時には既に亡くなっていた為、
真顔であったとも考えられます。また別の説では開曲年代自体が違うとも・・・。

作曲は「北州」でも知られる料亭川口の女将お直と言われています。最後部分「千秋楽は~」は謡曲「高砂」の一部分を挿入し一層の祝賀を演出しています。

歌詞

四方にめぐる 扇巴や文車の ゆるしの色も昨日今日
心ばかりは春霞 引くも恥かし爪じるし
雪の梅の門ほんのりと 匂ふ朝日は赤間なる
硯のうみの青畳 もじがせき書かき初に
筆ぐさ生ふる浪間より若布刈るてふ

春景色 浮いて鴎の一ィ二ゥ三ィ四ォ
いつか東へ筑波根の かのもこのもを都鳥
いざ言問はん恵方さへ よろづ吉原 山谷掘
宝船こぐ初買に よい初夢を三ツ布団
弁天さんと添ひ節の 花の錦の飾り夜具
二十ばかりも積み重ね

蓬来山と祝ふなる 富士を背中に家がための
塩尻ながく居すわれば ほんに田舎も真柴焚く
橋場今戸の朝煙り つづくかまども賑おうて

太々神楽門礼者 梅が笠木も三囲りの
土手に囀る鳥追いは 三筋霞の連れ弾きや
君に逢ふ夜は たれ白髭の森越えて
待乳の山と庵崎の その鐘が渕 かねごとも
楽しい仲じゃいかいな 面白や

千秋楽は民をなで 万歳楽には命を延ぶ
首尾の松が枝竹町の渡し守る身も時を得て
目出度くここに隅田川 つきせぬ流れ清元と
栄え寿く梅が風 幾代の春や匂ふらん
幾代の春や匂ふらん

動画