柏の若葉(かしわのわかば)

作詞

二世河竹新七(河竹黙阿弥)

作曲

三世清元斎兵衛(一説にお葉)

初演

1897年(明治30年)6月20日 両国中村楼

本名題

壽祝柏若葉(ことぶきいはうかしわのわかば・じゅをいおうかしわのわかば)

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

解説

この曲は五世清元延寿太夫名披露目の会で「清海波」と同時に開曲されました。
初演で語ったのは二世延寿太夫娘であり、四世延寿太夫妻のお葉です。因みのこのお葉は4年後の7月、43歳で死去しています。

清元の紋である「三つ柏」と若い延寿太夫誕生に花鳥風月を盛り込んだ祝いの曲です。
歌詞の中にはもう一つの清元の紋である「三つ瓢箪」や、二世延寿太夫が松江藩七代藩主松平治郷(不昧)公から拝領した「蝉桐」の紋服の紋などを歌詞に盛り込んでます。
※「蝉桐」の紋服と同時に「栄寿太夫」の名前も拝領
「花屋敷」という歌詞も当時四世延寿太夫と妻お葉の住んでいた現在の浜町付近の俗称だったようで挿入されています。

歌詞

春告げし 初音の鳥もいつか老い
つぎ木の梅は日の影と 雨露の恵みに青葉して
茂る梢の花やしき
柏も古く常磐木の 松を友なるむつみぎに
齢(よわい)寿く名にちなむ 槐(えんじゅ)も花の咲く頃と
子にゆづり葉や幾千代と かけし願ひの今年竹
青きをわぶる一節に 若葉は同じ桐の花
その蝉桐もゆかりとて 蝉の羽衣ぬぎかえて
晴れな紋日の薄羽織 着初めに富士も白雪の
とけて嬉しき衣がえ 峰もはるかに紫の
雲かと眼にも筑波嶺は あつぎとなりて茂る山
西と北とに一対の 派手な姿を宮戸川

上手へのぼる汐時も よしや葭戸と変る瀬に
清きを流す障子船

風になびくか夏柳の 糸の音じめの床しさに
ひかり涼しくさす月を 三ツ瓢たんの連れ弾に
浮いた調子の賑はしや

実に栄ゆく家の名も 延ぶるを継ぎて萬代も
つきぬ流れの末広き 富貴を仰ぐ言の葉を
拙き筆に祝ふらん
 

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