累(かさね)

作詞

松井幸三

作曲

清元斎兵衛

初演

1823年(文政6年)6月 江戸森田座

本名題

色彩間刈豆(いろもようちょっとかりまめ)

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

解説

本名題を「色彩間刈豆(いろもようちょっとかりまめ)」と言います。
この「刈豆」の部分は実説で豆刈りの後に累を殺しているところから取ったとされています。

文政6年(1823)6月、江戸森田座で鶴屋南北作「法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)」の2幕目に初演されました。

劇自体はしばらく上演されませんでしたが、大正9年(1920)12月に累役の六代目尾上梅幸(ばいこう)・与右衛門役の十五代目市村羽左衛門(うざえもん)・浄瑠璃の五代目清元延寿太夫で再演という運びになりました。

 

芝居の内容は武士の与右衛門が腰元の累を殺そうと道行になります。この与右衛門は悪党で、累の母とも愛人関係にあり、その上に夫の助を鎌で殺しているのでした。何も知らない累は愛する与右衛門と共に木下川堤(きねがわづつみ)までやってきます。そこに助のドクロと鎌が流れてきます。与右衛門が鎌をとった瞬間、助の怨念で累の顔がみるみる醜悪になります。そこで与右衛門は本性を見せ、累にその鎌を振りあげ切り殺すという内容です。

 

累は1600年台、江戸幕府が開かれて間もない頃の実話が元と言われ、茨城県常総市羽生町の法蔵寺というお寺に累やその一族の墓や遺品が残っています。

法蔵寺に残る実説です。
堀越与右衛門(初代)に所に、すぎは助(すけ)という連れ子と共に嫁入りしました。この連れ子の助は片足が悪い上に顔が醜く与右衛門に邪魔者扱いされ、6つの歳に鬼怒川の岸で母親に殺されてしまいます。やがて夫婦の間に女児が生まれますが、親の因果で片目で足の悪い不器量者でした。名前を「お累(おるい)」と名付けましたが近所では「累なる(かさなる)因果」という意味を含めて「累(かさね)」と呼ぶようになりました。累がある時、病気の旅人を看病したことが縁でその旅人を二代目与右衛門として夫婦になりました。しかし、この与右衛門は累の醜さに嫌気がさし、他の女と一緒になるため、豆刈りの帰り、夕暮れ時の鬼怒川へ突き落として殺してしまいます。そ知らぬ顔で与右衛門は幾人の妻を娶りますが、これも因果か夫婦仲は円満ではありませんでした。そして最後に結婚した「おきよ」との間に菊という女児が生まれます。この菊に累や助の怨霊が乗り移り、先の累殺しや初代与右衛門夫婦の助殺しなどを語りだし、罪を暴いてしまうという内容です。

 

因みに
その菊の怨霊を祓った人物が「祐天上人(ゆうてんじょうにん)」といって、現在の東急東横線の駅名にもなっている「祐天寺」を開山して、累たちの霊を弔ったとされています。

 

もう一つ因みに
祐天寺には「累塚」があります。現在の塚は清元「累」を再演した際、累役の六代目尾上梅幸(ばいこう)・与右衛門役の十五代目市村羽左衛門(うざえもん)・浄瑠璃の五代目清元延寿太夫の三者で寄進されました。

現在でも歌舞伎なので「累」を上演する際、主だった関係者で累塚にお参りします。

歌詞

思いをも 心も人に染めばこそ 恋と夕顔夏草の
消ゆる間近き 末の露 もとの雫や世の中の 
遅れ先立つ二道を


同じ思ひに後先の わかちしどけも夏紅葉
梢の雨やさめやらぬ 夢の浮世と行きなやむ
男に丁度青日傘 骨になる共何のその
跡を逢ふ瀬の女気に こわい道さへようようと
互いに忍ぶ野辺の草 葉末の露か蛍火も
もし追手かと身づくろひ こころ関屋も後になし
木下川堤に着きにけり

与右衛門「これ累 思ひがけないこの所へ そなたはどうして来やったぞ」
累   「どうしてとは胴慾な 一緒に死のうと約束して お前一人 覚悟の書置 ここまで慕うて来た程に 共に殺して下さんせ」
与右衛門「切なる心は尤もなれど そなたの養父は御預りの撫子の茶入紛失故 殿様の御とがめ受け それさへあるに 其方と死んでは親への不孝 思ひあきらめ此処から早う 帰ってたも」

言ふ顔つくづく打まもり ひょんな縁でこのように 遂こうなった 仲じゃ故
勿体な い事乍ら 去年の初秋うらぼんに 祐念様の御十念
その時ふっと見染めたが ほんに結ぶの神ならで 仏の庭の新枕
初手から蓮のうてなぞと 心で祝ふ菩提心 後生大事の殿御じゃと
奥の勤め の長つぼね 役者びいきの噂にも どこやら風が成田屋を
お前によそへて楽しむ心 お年忘れに奥御殿 打交りたる騒ぎ唄

入黒子 いれぼくろ  起請誓紙は反古にもなろが 五月六月は満更ほぐにも成りやせまい
唄う辻占今の身に あたりて私が恥かしと あと言いさして口ごもる

与右衛門「はて 是非に及ばぬ それ程迄に思ひつめたる其方の心 可愛いや共に腹の子まで このまま殺すも世の成行 ふびん の者の心やな」

深き心をしら玉の 露の命をわれ故に 思えばびんなき心やと
手を取交し歎きしが せめて義理ある親達や 生みの親へも よそながら
今宵限りの暇乞ひ 不孝の罪は幾重にも お許しあれと諸共に
川辺に暫し泣き居たる

不思議や流れに漂ふ髑髏 助が魂魄 錆つく鎌

与右衛門「なに 俗名 助」
累   「えぇ アイタ アイタアーー イタ ・ ・ ・」
与右衛門「おぉ さては死霊の」
累   「アレー」
捕り手 「与右衛門 御用だ」

暫し争ふ折柄に 風に流るる ひと節に

夜や更けて 誠に文は ねやの伽  筆のさや焚く煙りさえ 埓も中洲のしらむ東雲

累   「あぁもし お前どこへ行かしゃんすえ」
与右衛門「さぁ わしは やぁ そなたの顔は」
累   「何 わたしの顔が」
与右衛門「おそろしい」
累   「何  恐ろしい 恐ろし いはお前の心 さぁその文 一寸見せて下さんせ」
与右衛門「こ こ の手紙は」
累   「見せられまい 見せられまいがなぁ ちぇー お前はなぁ」

それその様によそ他に  深い楽しみあればこそ  わしをだまして胴慾な
もしやにかかる恋の慾  兎角浮世が ままにもならば 帯の矢の字を前垂に
針打やめて落しばら 駒下駄履いて歩いたら  まことに誠に嬉しかろ
ならぬ先まで思ふのも  今更身で身が恥しい  むごいわいのと取つ いて
変る姿を露知らず  色をふくみし取りなりは  憐れにもまた いぢらしや

与右衛門「道理々々 死ぬると云ふは皆いつわり  国へ帰参の此与右衛門 足手まといとは思へども  そなたを連れて これよりすぐに」
累   「そんなら一緒に」
与右衛門「さぁ おじゃ」
累   「あい」

いそいそ先へたちまちに 邪慳の刃 血汐の紅葉  竜田の川の瀬と変わる
男の裾にしがみつき

累   「アーこりゃ わたしをだまして」
与右衛門「おお  殺すのじゃ」
累   「ええ」
与右衛門「 仔細と云ふは  これを見よ」

鏡にうつせば

累    「アレー ヤヤヤヤヤ ・ ・ ・こ、こりゃまあどうして此様に  私の顔の変わりしはぁ」
与右衛門「こりゃ累 因果の道理をよっく聞け 汝がためには実の親 菊が夫の助を殺したその報ひ  廻りめぐりてその顔の 変り果てたも前世の約束 この与右衛門は親の仇  これも因果と さぁあきらめて」

成仏せよと無二無三  打ってかかれば身をかはし
のう情けなや うらめしや  身は煩悩のきづなにて 恋路に迷ひ親おやの
仇なる人と知らずして  恪気嫉妬のくどき言 我と我身に惚れ過ぎし
心の内のおもてなや  つらき心は先の世の  如何なる恨みか忌しと
口説いつ泣いつ 身をかきむしり 人の報ひのあるものか  無きものか
思ひ知れやと すっくと立ち 振乱したる黒髪は 此世からなる鬼女の有様
つかみかかれば与右衛門も 鎌取直して土橋の上
襟髪つかんで ひとえぐり 情容赦も夏の霜  消ゆる姿の八重撫子
これや累の名なるべし 後に伝えし物語り
恐ろしかりける次第なり

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