鳥羽繪(とばえ)

作詞

二世 桜田治助

作曲

清澤萬吉(初世清元齋兵衛)

初演

1819年(文政2年)9月 江戸中村座

本名題

御名残押繪交張(おんなごりおしえの まぜばり)

参考資料

清元集 清元全集 清元研究 清元五十番 舞踊と清元 清元心得帖

解説

1819年(文政2年)江戸中村座の9月公演で三世中村歌右衛門(当時芝翫)が九変化の一つとして初演しました。
また、歌右衛門がその年の11月に大阪へ帰ってしまうということで本名題に「名残オシイ」を入れてお客様に別れの挨拶を含ませて披露しました。

初演時の九変化は

天人  (長唄)
狂乱  (長唄)
女伊達 (長唄)
巫女  (長唄)
関羽  (長唄)
傾城  (長唄)
玉藻の前(長唄)
知盛  (竹本)
忍ン坊 (常磐津)
鳥羽繪 (清元)

清元連中
初世清元延寿太夫 清元栄寿太夫 清元宮路太夫
清澤萬吉 名見崎東三郎

振付
藤間勘助(四世西川扇蔵)


「鳥羽繪」の名前は
「鳥獣戯画」を描いたことで有名の平安期の画家 鳥羽僧正覚猷(とばそうじょう かくゆう)の筆跡を真似て、江戸時代に画家 大岡春卜(しゅんぼく)が描いた「絵本手鑑(通称・鳥羽繪)」から取られています。
その絵の中に「すりこ木に羽が生えて飛ぶ図」があり、そこに半裸に近い男(枡六)と女鼠を登場させて、一つの舞踊曲にしました。

半裸の男、枡六は枡で鼠を捕まえようと追いかけますが逃げられてしまいます。今度はすりこ木で捕えようと持とうとしますが、不思議とすりこ木に羽が生えて飛びだします。
枡六は飛んでいるすりこ木を何とか捕らえようとしますが、ついに遠くへ飛んで逃げてしまうのでした。
そこへ逃げた女鼠が枡六に近寄ってきて色っぽく口説くというファンタジー溢れるユーモラスな作品です。

歌詞

しめたぞしめた おっとどっこい
逃がしてなろか
おのれ噛らば三味をかじらいで
戸棚 めしつぎ あげくのはてにゃ
可愛い女房の鼻ばしら
それで憎さが桝おとし
ハッハッ ハックサメとこ万歳
見をれお蔭で風邪ひいた
ほかに引くものは何であろ
ちんりちんりちんばに船かな棒
酒があとひく 女郎がお茶引く
夜鷹が眉ひく 畑じゃ大根

うっつい姉えのそでたもと
引く手あまたであろぞいな
はずみに南無三畜生め
摺古木とる間にちゅいっと逃げた
ハみょう みょう みょうみょうみょうみょう
ねずみに起きて月見かな

あら怪しあやししの十六文で
九官鳥は見たれども
摺古木に羽根が生えて
鳥羽絵はほんに我ながら
見るは始めて おやおやおや
いでや捕らえて友九にと
足を伸ばしつ手を上げつ
捕らんとすれば鳥はつ いと
飛んで逃げた エェあったらものえ
見送るうしろに 逃げたるねずみ
振り向くとたん 見つけてうぬと馳けよるを
そのまま膝に飛びついて

なぜそのように腹立てて
わたしを何とさしつけに
いうも恥ずかしそもやまた
藁紙屑の巣をはなれ
流しの下や膳だなで
いたずら習うた時分から
ふっと心で思い染め
猫やいたちの目を忍び
どうぞ抱かれてねずみとは
及ばぬ恋の身の願い
知らぬお前の木枕を
せめて噛って念ばらし
それに聞こえぬ胴欲と 山椒のような目に涙
鳴いて喰い つきかこつにぞ

エェ畜生め
かわいお方のお声はせ いで
あがるお客の面憎や
悪洒落金びらいき過ぎた
蕎麦や按摩の声ばかり
そのほかおでんに正月や
割竹金棒火の用心
夜明けがらすの四ツ手篭駕
ホイッ駕篭 のかけ声に
旦那はなかで空寝入り
おっこった これには困り入りやした

そこらでどっこい引いて来る
あたまの黒いドブねずみ
枡でおさえりゃ チュウチュウチュウ
チュチュラのちゅいと跳ね返し
鳥羽絵のごむりゃ ごもっともと
地口で逃げる大ねずみの
あとを慕うて走り行く

動画