月(つき)

作詞

田中青滋(たなかせいじ)

作曲

清元榮次郎(のち清元榮寿郎)

初演

1953年(昭和28年)1月27日。新橋演舞場

本名題

なし

参考資料

清栄会 第八回鯉風会筋書 二人会筋書 青滋おどりとしばい

解説

この曲は昭和28年、新橋演舞場に於いて開催された「第八回鯉風会(1月27日~2月1日)」で舞踊曲として初演されました。

初演

立方  西川鯉三郎

演奏  浄瑠璃
    六世清元延寿太夫 清元若寿太夫 清元菊栄太夫 清元菊美太夫
    三味線
    清元榮次郎 清元勝寿郎 清元一寿郎 清元栄三郎

※資料には1月27日昼の部・28日夜の部に「月」が上演された記録が残っています。

作詞の田中青滋(たなかせいじ)は大和楽「河」(作曲・岸上きみ)、清元「月」、長唄「街」(作曲・十四世杵屋六左衛門)の一字の題名で三部作の構想を練り、「月」の作曲を清元栄次郎(のちの清元榮寿郎)に依頼しました。

元々は、中天にかかる月を様々な角度から見るという内容の「大和楽・ますみの月」の発表後、田中自身が改編したいと考えていたタイミングで持ち上がった「月」の企画でした。

歌詞の内容も題名に因み、
源氏物語で光源氏が隠棲に見たとされる「須磨の月」、
平家物語で、高倉天皇の後宮の女官小督(こごう)が琴を奏でた夜の「嵯峨野の月」、
盲目の夫に妻が美しい月を見せてやりたいと想う「座頭の月」、
時代は移り変わり河畔のお座敷で月見をしながら粋に遊ぶ「永代の月」、
舟はますます川上へ上って行き、夜も更けて川面も霧立つ「夜霧の月」、
そして遠くからは月の下で男女が踊る囃子がいつまでも聞こえてくる「鎮守の森の月」
と「月」をテーマにした場面で構成されています。

三味線も三下りの序章から、六下りになって須磨琴、本調子で平家琵琶のイメージ、三下りに戻って座頭の夫婦の愛情、時代が遡り突如早いノリの佃の合方、最後はコミカルな踊り唄の雰囲気で締めくくられています。抒情的で緩急の技巧的な味わい深い名曲です。

歌詞

月は一つ真澄の空に 思いは千々に文読めば
海は少し遠けれど 浪ここもとに須磨の浦
心づくしよ爪琴は 嵯峨野に閉ざす片折りの
哀れをつねに鹿の聲 分け入る昔太平記
街道下り平家琵琶

名月は座頭の妻の泣く夜かな
花におく露小笹のあられ こぼれやすさよ目暗の涙(情けのしずく)
なぞと目開き(未練)の言いぐさは

永代かけて今日の月 二階座敷の灯を消して
月見団子も一ㇳ風情 秋草すだく小座敷の
簾のうちも又ゆかし

夜も更けぬ川面に 淡く霧立ちて
誰そや芦荻(ろてき)に影うごく

月にむら雲 恨みもすれど
たまには隠せ 恥ずかしや

浮かれ拍子の二人が仲を 照りまさる 照りまさる
鎮守の森の踊り唄

動画