幻椀久(まぼろしわんきゅう)

作詞

岡村 柿江

作曲

五世清元延寿太夫

初演

1925年(大正14年)3月 新橋演舞場

本名題

なし

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

解説

この曲は1925年(大正14年)3月に新橋演舞場の落成祝賀会「東おどり(東会)」に発表されました。初演のタテ語りを菊村利恵治、踊りを藤間素枝(新橋の名妓・瓢箪)が勤めました。

その後、1928年(昭和3年)6月に六代目尾上菊五郎が歌舞伎座で演じました。
歌舞伎座での初演は五世清元延寿太夫と清元桂寿郎(四世清元榮寿太夫)の一挺一枚、裏で清元榮寿郎、清元正寿郎が替え手を入れてのメンバーでした。

因みに作の岡村柿江はこの幻椀久を発表した年に44歳の若さでこの世を去りました。代表作に「身替座禅」「棒しばり」などがあります。


主人公の椀屋久兵衛(椀久)は大阪御堂筋の豪商で、大阪新町の松山太夫に入れ込んで遊蕩に身をやつしてしまいます。
その為、座敷牢に入れられ発狂して「鉢叩き(念仏踊りがルーツの大道芸)」に落ちぶれてしまいます。
歌詞の「はっちはち」は「鉢叩き」と悪い意味で「お鉢が回る」悲運に掛けて自分を下げすんで呼んだものです。

狂い乱れた椀久は墨染の鉢叩きの姿で瓢箪を杖に括り付け、松山太夫を焦がれながら松林を歩いています。
そこで松山太夫や幇間の菊市の幻を見て、楽しかったあの時代に舞い戻って、幻の宴をするのでした。

曲も序盤から「三下り」になり陰の雰囲気になります。そして「本調子」へ戻り「二上り」→一の糸を上げて「三下り」→三の糸を上げて「本調子」と三味線の調子も変わります。

現実と幻を行き来する椀久の目も当てられぬ惨めさに儚い恋心を混ぜ合わせた大作です。

歌詞

栄華は昨日の夢さめて うつつに迷う今日の身は
法師法師は木のはしと 思うは野暮よ わけ知らず
心の花の色も香も 知らせたいぞやはっちはち

いつの頃より逢い初めて 愛し愛しのその末の
末の松山思いのたねよ 今は心も乱れ候 さりとはさりとは

死のうかのォ エェどうともせ とかく恋路の濡衣
ほさぬ涙の露の玉

椀久「これは御存知のはっちはち 衣は墨に染めれども
まだ加羅の香は消えやらぬ傾城買いのなれの果て
粋法師のはっちはち」

椀久法師のはっちはち

椀久「フフフ・・・ ハハハ・・・ やっ何やら聞こゆる
おぉ騒ぐは騒ぐは洒落居るわ こりゃとんと面白そうじゃわい
どれ我等もそれへ推参申そう」

狂い乱れて他愛なく 松を目当てに来たりける

椀久「やや松じゃ松じゃ オおぉ太夫じゃ太夫じゃ 松山太夫であったよのう」

我身は姿 変われども 変らぬ松のみどり濃き
色もなつかしなつかしの 君がかんばせ ただひと目
見たい逢いたい恋しさの こうじこうじてもの狂い

幻・松山太夫「椀久さんようござんしたなぁ」
椀久「おぉ太夫か 久しや久しや 久し振りの逢瀬に
やっそちゃ菊市その盃は」
幻・菊市「はい お気に入りの廓八景蒔絵の大杯」
椀久「おぉ出かす出かす さぁこれへ受きょう
やぁ甘露甘露 こりゃとんと昔じゃ
昔ながらの菊市の三味も久しいのう さぁ唄え聞こうぞ」

君は花かや花なら散るに 秋の紅葉の色まさる
日数積もれば色増さる

梅の匂いを桜にかして 君のたぶさにささせたや
青葉のままに眺めたや

椀久「やぁ面白い面白い これ太夫 面白いと言うも
そなたに逢うた束の間の楽しみ」

この椀久は過ぎし頃 破れし袖の恋衣
ぬいで別れしその後は 蓬の宿にただひとォォォり
床離れ行く暁の そのきぬぎぬの面影を
問えど答えずしょんぼりと 昨日は今日の昔にて
そも我ながら浅ましや

のうそのかこち言 我もまた 同じ思いの宵ごとに
月に便りを松山の 浪越すばかりうき涙
願い叶いしこの逢瀬 乱れし糸の破れ衣
恋も情けも捨法師 変わり果てたるなりかたち
おんいたわしのお姿やと たださめざめと泣くばかり
幻・菊市「そのお嘆きも やっもう こうお逢いなされる上は御無用ご無用
さっこの上は昔の通り」
幻・松山太夫「ほんにそうじゃわいなぁ 今更言うても詮ない事」

伏屋の軒に見る月も 廓の窓に差す影も
光は同じ法の徳 姿かたちは変われども
心ごころは二世三世 変わらぬ色と誓いてし

言の葉ぐさのいちいちに 忘れかねては繰り返す
千束の文の数々を そらで覚えて候かしく

幻・菊市「さあ出来た これで御機嫌が直ったわ
松風さん 繁野さん さぁ華車どのもここへ
太夫様と椀久様の御機嫌が直った祝いに
わっさりとやりかけましょうか」
椀久「おォ菊市 よう気が付いて給った ソレ華じゃ 皆にやりゃ」

花と雪とはどれが吉野の眺めやら
花やら雪やらどれが吉野の眺めやら
松と浪とはどれが露やらしぶきやら
別れの袖にはどれが露やら涙やら
どれが松やら松山の 姿もさとの夕暮も
ありしかたちは幻の 寄らんとすれば頼りなく
縋らんとすれば うたかたの
消えて残るは松風か むせぶが如き浪の音

泣いつ笑いつ狂乱の 狂い疲れて足立たず
芝をしとねに伏したるは 目もあてられぬ風情なり

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