神田祭(かんだまつり)

作詞

三升屋二三治(みますやにそうじ)

作曲

二世清元斎兵衛

初演

1839年(天保10年)9月 江戸河原崎座

本名題

〆能色相圖(しめろやれいろのかけごえ)

参考資料

清元集 清元全集 清元五十番

解説

二世清元延寿太夫が久しぶりに芝居に出勤、そしてこの「神田祭」の作者・三升屋二三治の実子を養子の二世清元栄寿太夫(のち離縁)初お目見えの際に開曲しました。

配役は
〇男の手古前(手古舞とも)
祭りの手古舞・三笠綱五郎(実は上総之助廣常)・・・五世市川海老蔵(七世市川團十郎)49歳
祭りの手古舞・浮世興之助(実は三浦之助義村)・・・初世澤村訥升(五世澤村宗十郎)38歳
〇手古舞芸者
祭りのねり子・おせん(実は傾城九重太夫)・・・三世尾上栄三郎(四世尾上菊五郎)32歳

演奏は
浄瑠璃 二世清元延寿太夫(38歳)、二世清元栄寿太夫、清元志喜太夫、清元鳴尾太夫、清元政太夫
三味線 二世清元斎兵衛、清元千蔵、清元梅次郎、清元一寿、清元磯八、清元忠次郎、清元徳兵衛

 

この曲は江戸の祭禮の一つ「神田祭」の内容を紹介しているのではなく、その祭りでひと際艶やかな男の手古舞(鳶の頭)と手古舞芸者に焦点を当てた舞踊曲です。
※舞踊で色々なパターンで上演されますが、男が主人公の場合は手古舞(てこまえ「手古前」とも)、女が主人公の場合は手古舞(てこまい)と読みを変えます。

初演当初は上下に分かれていて、上は二人の武士(丹前)が一人の花魁を取り合う内容で現在は歌詞のみと、オキの「秦の始皇の~」箇所だけが伝わっています。そして下は上記した手古舞の部分です。

冒頭部分は秦の始皇帝が建造した阿房宮を新吉原の全盛に見立て、次に神田祭の毎年の盛大さを語ります。そして手古舞をする鳶の頭とその女房の馴れ初め、悋気からくる些細な喧嘩、そして仲直りした話などが主な内容です。
また歌詞の中に「牡丹(杏葉牡丹)」は海老蔵、「釻菊(かんぎく)」は訥升、「裏菊(裏菊菱)」が栄三郎と三人の定紋が入っていたり、「木遣り」も浄瑠璃化したものを入れたりとバラエティーに富んでいます。

歌詞

秦の始皇の阿房宮 その全盛にあらねども
粋な心も三浦屋の 茶屋は上総屋両助と
機転も菊の籬さえ 山谷風流あらましを
松の位の品定め

一歳を今日ぞ祭に当り年 警固手古舞華やかに
飾る桟敷の毛氈も 色に出にけり酒機嫌
神田囃子も勢いよく 来ても見よかし花の江戸
祭に対の派手模様 牡丹 釻菊 裏菊の
由縁もちょうど花尽し
祭のなぁ 派手な若い衆が勇みに勇み
身なりを揃えて ヤレ囃せ ソレ囃せ
花山車 手古舞 警固に行列 よんやさ
男伊達じゃの やれこらさ
達引きじゃのと 言うちゃ私に困らせる
色の欲ならこっちでも

常から主の仇な気を 知っていながら女房になって見たいの欲が出て
神や仏を頼まずに 義理もへちまの皮羽織
親分さんのお世話にて 渡りもつけてこれからは
世間構わず人さんの前 はばからず引き寄せて
楽しむ内にまたほかへ それから闇と口癖に

森の小鴉我はまた 尾羽をからすの羽さえも
なぞとあいつが得手物の ここが木遣りの家の株

ヤァやんれ引け引け よい声かけてエンヤラサ
やっと抱き締め床の中から 小夜着蒲団をなぐりかけ
何でもこっちを向かしゃんせ
ようい ようい よんやな
良い仲同士の恋諍いなら 痴話と口説は何でもかんでも今夜もせ
オォ東雲の明けの鐘 ごんと鳴るので仲直り済んました
ようい ようい よんやな
そよが締めかけ中網
えんや えんやこれは あれはさのえ

オォえんやりょう

実にも上なき獅子王の 万歳千秋限りなく
牡丹は家のものにして お江戸の恵みぞ有り難き

動画