三枡屋二三治
初世清元斎兵衛
1826年(文政9年)9月 江戸中村座
歌へす歌へす餘波大津絵(かへすがへす おなごり おおつゑ)
清元全集 清元集 清元五十番
解説
この「船頭」は1826年(文政9年)9月 に「座頭」と一緒に五変化舞踊で江戸中村座で初演されました。
作詞者は三枡屋二三治、演者は大阪から江戸へ来て活躍していた二代目関三十郎が、再び大阪へ帰る際に記念で五変化にて踊ったものです。そのため本名題に「餘波おなごり」と付けられています。
「船頭」清元
「藤娘」長唄(清元にも有り)
「奴」長唄
「天神」長唄
「座頭」清元
※「座頭」は初演時、長唄との掛け合いで演じられたと伝わります。
初演時の清元の演奏は
浄瑠璃 榮寿太夫(翌年二世延寿太夫)政太夫 志喜太夫
三味線 齋兵衛 磯八
大津(現在の滋賀県大津市)で流行った民族画「大津絵」を題材に端唄「大津絵」が作られ、それを歌舞伎に移植して五変化舞踊として成立しました。
江戸時代、船頭という職業は粋でいなせなイメージがあり、清元「船頭」の他にも常磐津「佃船頭」「雷船頭」(1838年)「夕月船頭」(1847年)など、歌舞伎舞踊の変化物に多く取り上げられるようになりました。台詞の「二十年の江戸っ子だ」は関三十郎が江戸へ来て20年の歳月が経ったことから取り入れられています。
歌詞の「お癇立ち」とは落雷の意味。船頭が雷に怖いながらも「これ雷」と悪態をついたり、雷に色恋の話をしたり聞いたりと滑稽で面白い作品です。
歌詞
船頭殿の顔の色 じっと眺め て竹煙管
お癇立ちでもあんべぇか そりゃこそ雷おちてぴっしゃり肝冷す
篠を束ねて突くよな雨に 濡れて通うか憎からぬ
その御贔屓の旦那を送り江戸船の わっちゃ是でも水道の水が
染み渡ったるありがたさ お恵み受けてのぼり船
船頭「モシ河岸を突きやすよ」
あたりやす 相手嫌はぬ勇肌 恐いものなく悪体を
こわごわ言ふも
船頭「コレ かみなり」
さあ落ちるなら落ちて見ろ 今年で丁度
船頭「二十年の フン 江戸っ子だ」
蝦夷松前の お方でも 又は東のわっちらでも 心に二つはないわいな
これもひとえに皆様の お蔭で小いろも土地柄で
言ふも惚気て受けさせる この頃あひるの女めに
かかとじゃないが喰ひこまれ こっちも血道を上汐に
客と船頭の二人前
とうとう小づりを入揚げて とどの詰りは
どう考えて見ても 末は詰らぬごろつきは
今日はかみなりの仲間入り ならひ心にやってくりよ
さてもおかしや雲の上からごろりごろり ごろごろごろと仰山な
かみなりどんの色恋は 太鼓を腰にくっつけて
虎の皮の頬かむり 光って見せてぶらぶらと
鳴るがしょざいでそりゃこそ そりゃこそ落ちて
恋しやる わけもなや
こいつは飛んだ色事と 勇みは浪を走るもの
悪い地口も出たらめで いつもの酒屋へ走り行く