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國惠太夫official websiteリニューアルのお知らせ

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こんにちは。くにえです。

毎日暑い日が続きますが皆さま如何お過ごしでしょうか?

 

この度「國惠太夫official website」をリニューアル致しました!\( 'ω')/

               ↓ ↓ ↓

2021.6_kuniedayu_HP.jpg

(写真をクリックすると國惠太夫official websiteが表示されます)

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このページは清元を多くの方に認知して頂き、清元を通じて伝統芸能の楽しさがお伝えできればと思い一新いたしました!(≧▽≦)

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内容などは随時更新して参ります!

 

 

 

よろしくお願いいたします!

清元 國惠太夫

八月花形歌舞伎in歌舞伎座に出演させていただきます!

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こんにちは。くにえです。

来月、8月3日~28日に「八月花形歌舞伎」が歌舞伎座に於いて開催されます。

 

 

2021.8_kabukiza.jpg

(クリックすると大きく表示されます)

清元は第二部「仇ゆめ」と第三部「三社祭」です。

 

くにえは第二部「仇ゆめ」に全日出演させていただく予定です。

 

 

仇ゆめと三社祭の歌詞&解説をアップしております!

ご観劇のお供などにご利用くださいませ!

 

仇ゆめ 解説&歌詞

三社祭 解説&歌詞

 

 

宜しくお願い致します!

 

 

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫

清元美治郎師を偲んで

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「あのね。唄の型は一つだけだとダメだよ。引き出しをたくさん作って瞬時に対応しないと踊りの演奏は務まらないからね。」

 

2021年6月4日午前5時5分。お師匠さんは旅立たれました。

 

この世界に入って経験ゼロ、舞台に出れば失敗の連続。

そんな私を見放すことなく数多くの経験の場を与えて下さったのが美治郎師でした。

 

美治郎師は私が師の清元菊輔師のお父様、清元寿國太夫師が「美月太夫」と名乗られていた時代にお名取になられました。

私の同門の大先輩にあたります。

 

その深いご縁もあり寿國太夫師の半世紀程の古い音源や、当時お稽古をしてもらった内容やエピソードを数多く教えていただきました。

また定期開催していた「やのくら音楽会(2008~2010)」に際しても、私の不出来な芸で2時間を超える厳しいお稽古を何度も付けていただきました。

 

「同じ師匠筋、同門で國惠さんはやっているのだから寿國師匠の節だけを覚えるのではなくて、どう唄いたいのか、もっと本質を見なきゃダメだよ。」

「1人が複数人のセリフをこなすのは大変なのは分かるけど、お客様にそれを気づかれちゃいけない。実際の人の会話を考えてごらん。とぎれとぎれの会話なんか無いだろ?」

決して声を荒らげることはせず、しかし的確に細部まで神経の行き届いたお稽古でした。

 

ここでは到底書ききれない思い出や言葉には表すことのできない御恩がたくさんございます。

 

私が歌舞伎でご一緒したのは昨年12月南座での「廓文章」。

舞踊会では今年4月末。

先日もメールがあったばかりです。

 

 

未だに信じられません・・・

 

なにか心の中にぽっかり大きな穴が開いたような感覚・・・

 

 

 

 

 

 

このご時世で大恩ある美治郎師にお悔やみでお会いすることも叶いません。

私の様な者が今回blogを書かせていただいた事、大変恐縮でおこがましいとは思います。

しかしより多くの方の胸に清元美治郎師が生き続けて下されればと、同門として、清元の後輩として、思いを書かせていただきました。

 

心よりご冥福をお祈りすると共に私自身の感謝の意をお師匠さんに述べたいと思います。

 

 

美治郎お師匠さん。本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫

夕顔棚 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「夕顔棚」のプチ解説と歌詞をお送りいたします。

 

 

この記事は5~6分ででお読みいただけます。

 

 

 

夕顔棚(ゆうがおだな)

 

 

解 説

 

作詞 川尻清譚(かわじりせいたん)  作曲 清元榮寿郎(作曲時は前名の清元栄次郎) 振付 坂東三津之丞

初演 1951年(昭和26年)3月 歌舞伎座 夜の部 三幕目

 

この曲は英一蝶の「夕顔棚の夕涼み」の図と月岡芳年「月百姿(つきのひゃくし)」の「楽しみは夕顔棚の夕涼み 男はててら 女は二布して」の浮世絵からヒントを得て作られました。

 

2021.6_yuugaodana_tukiokayoshitoshi.jpg

月岡芳年「月百姿(つきのひゃくし)」の一枚

 

初演の配役は

爺   七代目坂東三津五郎

婆   二代目市川猿之助

里の男 二代目市川笑猿

里の娘 三代目市川松蔦

 

演奏は清元志寿太夫師、清元栄次郎師でした。

 

 

舞台は暑い夏の夕暮れ時。

婆さんはお風呂へ入っていて、それを待つ爺さんは夕顔棚の下で一杯始めています。

 

すると近所から盆踊りの音が聞こえてきます。

爺さんは昔は踊りや唄の上手かったこと、案山子を婆さんと間違えて抱き着いてしまったことなど、二人は昔の時分を思い出し懐かしむのでした。

 

そこへ里の若い男女たちがやってきてこの老夫婦を盆踊りのへと誘うのでした。

 

とてもほのぼのとしたコミカルな作品です。

 

初演当初は戦後の爪痕残る時代でした。

古き良き日本の風景や穏やかな平和な日本を取り戻したいという想いもこの作品には随所に見受けられます。

 

 

歌 詞

 

水に写ったあの月影は 合わせ鏡の双面

 

夏の日もいつしか暮れて この里は昼の暑さを忘れ水

河原づたいの涼風に 蚊やりの煙り軒近く

しばし端居の片あぐら

 

「セリフ」

 

汗を流した風呂上り さっぱりとした浴衣がけ

うちわ使いの気も軽く 

 

「セリフ」

 

楽しみは夕顔棚の下涼み 男はててら女はふたの

誰に気兼ねのなか空の 月に浮かれた踊り唄

来るか来るかと焦がれて待てば 河原やなぎの影ばかり

さりとは影ばかり

 

「セリフ」

 

しのび忍びて主待つ夜道 月の影さへ気にかかる

さりとは気にかかる

 

「セリフ」

 

おんな十七 むすめの盛り 誰に見しょとて髪結い上げて

唄が好きだで踊りに行けば 握る手と手が縁のはし

愛しがられてまた逢いたさの 飛んでゆきたい羽根ばたき

ぱっと浮名の立ち姿 案山子をお前と間違えて

抱きついたではないかいな

 

おらら二十の年頃は 鄙(ひな)には稀な やさ男

手振り自慢で踊りに出たら 音頭上手につい打ち込んで

逢う度ごとに登りつめ お閻魔様に願掛けて

離れまいぞの約束を 嘘をついたらこの舌を

抜かれる怖さに添い遂げた

 

「セリフ」

 

機も織るやら 藁砧(わらぎぬた) とんとん拍子 相づちの

更け行くままの夜もすがら 入るさの月の消ゆるまで

賤が手わざの共稼ぎ

 

「セリフ」

 

折から里の若者が 走り遣いに木戸のくち

 

「セリフ」

 

惚れた惚れたが手に手を取れば 言えぬ思いの増すばかり

さりとは増すばかり 言えぬ思いの増すばかり

よい子の良い子のよいやさ

 

「セリフ」

 

仲もよいよい良い夫婦 尽きぬ縁のいつまでも

踊り忘れぬすずめ時

 

「セリフ」

 

惚れた惚れたが手に手を取れば 言えぬ思いの増すばかり

さりとは増すばかり 言えぬ思いの増すばかり

よい子の良い子のよいやさ

 

恋に焦がれて逢瀬を重ね 言えぬ思いの恥ずかしや

さりとは恥ずかしや 言えぬ思いの恥ずかしや

よい子の良い子のよいやさ

お前百までわしゃ九十九まで 尽きぬ縁の共白髪

さりとは共白髪 尽きぬ縁の共白髪

よい子の良い子のよいやさ

 

 

 

参考資料


清元集

演劇界(舞踊名作案内)

国立国会図書館デジタルコレクション

 

 

 

2015.6_kabukiza_yuugaodana.jpg

写真は2015年6月、歌舞伎座「六月大歌舞伎」の夕顔棚の舞台です。

 

 

 

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫

清海波 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「清海波」のプチ解説と歌詞をお送りいたします。

 

 

この記事は4~5分ででお読みいただけます。

 

 

 

清海波(せいがいは)

 

 

 

 

解 説

 

作詞 永井素岳  作曲 二世清元梅吉(部分作曲 五世清元延寿太夫)

初演 明治30年(1897年)6月20日、両国中村楼

 

この曲は五世清元延寿太夫名披露目の会で開曲され、素演奏のため本名題はありません

初代清元延寿太夫の定紋が「青海波」だったこと、初代の前名「豊後路清海太夫(ぶんごじきよみだゆう)」を名乗っていたことに因み清元では「清海波」とも書きます。

 

終盤の部分「ヤンラ月の名所・・・」を舟唄と言い、五世延寿太夫が新潟の追分にヒントを得て作曲したと伝わります。

 

 

 東北より順に日本の名高い海の名称を始めとして、神話、七夕などの物語、流行り唄、春夏秋冬の季節などを取り入れた歌詞になっています。

 

 

歌 詞

 

神代より光り輝く日の本や 干珠満珠の世語りを

今に伝えて陸奥(みちのく)の 千賀の塩竈 煙りたつ

霞に明けし松島の 眺めはつきぬ春の日の

潮の干潟をゆく袖に うつす薫りも懐しき

梅の花貝 桜貝 みるめの磯のあかぬなる

花のあと踏む夏山の 筑波が覗く船の中

 

逢瀬の浦の ささめごと いつか浮名も立浪の

うち込んでいる真心に 待つとは恋の謎々も

解けた素顔の夏の富士 清見の沖や三保が崎

まつに本意なき青東風に 憎や葦辺の片男波

その通い路は星合いの 中かけ渡す かささぎの

天の橋立 きれ戸とは 裏表なる播磨潟

汐汲む海女のしるしとて みどりの秋を残したる

恋は昔のうたひもの

 

あら めで鯛は神の代に 赤目と召され そめしより

蛭子の神の釣り上げし 二世の かため の懸鯛に

縁しを繋ぐ諸白髪 若やぐ尉(じょう)と うば玉の

闇の景色は漁火の ちらり ちらちら月の出汐に

網引の声の 節も拍子も一様に

 

ヤンラ月の名所は よそほかに 鳴いて明石の浜千鳥

ヤサホウ ヤサホウ 主に淡路は気にかかる

室の泊りを ソレ松帆の浦よ ヤサホウ エンヤ ヤサホウ エンヤ 面白や

 

波も静かに 青きが原を中にひかえて住吉と 名も高砂の夫婦松

雪にもめげぬ深みどり 栄ゆく家の寿を

なほ幾千代も延ぶるなる 直ぐな心の清元と

めでたく祝ふ泰平の 君が余沢ぞありがたき 

 

 

 

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

  

 

 

 

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清元 國惠太夫

三社祭 プチ解説&全曲歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「三社祭」のプチ解説と歌詞をお送りいたします。

 

 

この記事は6~7分ででお読みいただけます。

 

 

 

三社祭(さんじゃまつり)

 

 

解 説

 

作詞 二代目瀬川如皐  作曲 初代清元斎兵衛(清元栄治郎説有り)

初演 1832年(天保3年)3月 江戸中村座

 

本名題を「弥生の花浅草祭(やよいのはな あさくさまつり)」と言い、通称を「三社祭」と表します。

かつては登場人物より「善玉悪玉」と言っていました。

題に弥生とあるのは三社祭は元々3月に行われていたことに由来します。

 

 

本来この狂言は

上「神功皇后と武内宿禰」(常磐津)

下「善玉悪玉(三社祭)」(清元)

と分かれていて、上は山車人形として人物の登場する三社祭の場、下は宮戸川で漁をする兄弟の場です。

 

上記の通り、清元の場面は直接お祭りとは関係ない場なのですが、近年単体で上演される事が多くなり「三社祭」の通称が定着したものと考えられます。

 

登場人物は三社祭のルーツである「檜前浜成(ひのくまのはまなり)檜前竹成(ひのくまのたけなり)」の兄弟の漁師です。

※三社祭のルーツの詳しい内容は浅草観光連盟様HPをご覧ください。

 

 

ある日宮戸川(隅田川の一部)で檜前兄弟が漁をしていると空から「善玉」と「悪玉」が乗り移ってしまい、悪玉が昔の悪人たちを語るという筋です。

 

この「善玉」「悪玉」というものは、当時流行した「心学」という一種の道徳思想で、人間の善い行いも悪い行いも「玉」が憑りついて操っているという考えです。

「三社祭」は漁師兄弟が浅草観音を拾い上げた伝説と流行の心学をミックスした当時の最先端をゆくエンターテイメントだったのでしょう!

 

 

 

 

 

歌 詞

 

弥生なかばの花の雲 鐘は上野か浅草の

利生は深き宮戸川 誓ひの網のいにしえや 三社祭の氏子中

 

もれぬ誓ひや網の目に 今日の獲物も信心の

おかげお礼に朝参り 浅草寺の観世音

網の光りは夕鯵や 昼網夜網に凪もよく乗込む

河岸の相場に しけは 生貝生鯛生鰯

なまぐさばんだばさらんだ わびた世界じゃないかいな

そなた思えば七里が灘をのう 命ゃ捨て貝い来たものなしかえ戻ろうよ

捨て貝来たもの命ゃ 命ゃ捨て貝来たものなしかえ戻らうよ

サァサ何んとしょか どしょかいな

撞いてくりゃんな八幡鐘よ 可愛いお人の 人の目をさます

お人の人の可愛い 可愛いお人の 人の目をさます

サァサ何としょか どしょかいな 帰りましょ 待たしゃんせ

憎や烏が啼くいな 斯かる折から虚空より

風なまぐさく身にしむる呆れて暫し両人は 大空きっと見あぐれば

 

「善か悪かの二つの玉」

「あらはれ出でたは」

「こいつは」

「稀有だわえ」

 

あーら 不思議やな 一つ星なら長者にも ならんで出たる二ない星

あらはれ出でたる二つ玉 思ひがけなく落散る風の

ぞっと身に沁みうろたへ伏し悶絶するこそ

悪にとっては 事もおろかや 悪七別当 悪禅師

保元平治に悪源太 梶原源太は梅ケ枝を

蛭の地獄へ落したためしもありとかや

これは昔の物語

それが嫌さに気の毒さに おいらが宗旨はありがたい

弘法大師のいろはにほへと 変わる心はからくり的

北山時雨じゃないけれど 振られて帰る晩もあり それでお宿の首尾もよく

とかく浮世は儘にはならぬ 善に強きは コレ善の綱

牛に曳かれて善悪は 浮かれ拍子の一踊り

 

早い手玉や品玉の 品よく結ぶ玉襷 かけて思ひの玉櫛毛

開けて口惜しき玉手箱 かよふ玉鉾 玉松風の

もとはざざんざで唄えや唄えや うかれ烏の烏羽玉や

うややれ やれやれ そうだぞそうだぞ 声々に

しどもなや

唄うも舞うも 法の奇特に善玉は 消えて跡なく失せにけり

 

 

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

 

玉屋 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「玉屋」のプチ解説と歌詞をお送りいたします。

 

 

この記事は5~6分ででお読みいただけます。

 

 

 

玉屋(たまや)

 

 

解 説

 

作詞 二代目瀬川如皐  作曲 初代清元斎兵衛(清元栄治郎説有り)

 

初演 天保3年(1832年)7月。江戸中村座

 

本名題を「おどけ俄煮珠取(おどけにわかしやしゃぼんのたまとり)」、通称を「玉屋」と言います。

 

元々は二代目中村芝翫が四変化で踊ったものの一幕として上演されていました。また四幕ともすべて「玉」に関連する題材を扱っていました。

 

  恵比須         長唄

  竜王          長唄

  珠取海女        長唄

  しゃぼん玉売り(玉屋) 清元

 

 

主人公は当時の人々には貴重で珍しい「シャボン玉」を吹いて見せるという大道芸人です。

 

冒頭の歌詞

「さぁさ 寄ったり 見たり 吹いたり 評判の 玉屋」と、子供や近所の人を集めるための売り声。

この売り声には「4ったり 3たり 2いたり 1ょうばん」と洒落て数字が隠されています。

 

当時にカウントダウンという概念があったかは謎ですが、お客を集めてシャボン玉を吹く景気付けにはなっていたのかもしれません(笑)

 

現在では思いもつかない職業ですが、「玉」に関連するものを歌詞に多く盛り込んでいて、当時の江戸庶民の文化や風俗を紐解くきっかけになっているという学者さんも居るくらいに江戸の空気を感じれるのではと思います(≧▽≦)

 

 

 

 

 

歌 詞

 

さぁさ寄ったり見たり 吹いたり評判の玉屋玉屋

商う品は八百八町 毎日ひにちお手遊び 子供衆寄せて辻々で

お目に掛値のない代物を お求めなされと辿り来る

 

玉屋「さあさあ評判評判 お子さま方のお慰み

   何でもかでも吹き分けてご覧に入れましょう

   先ず玉の始まりは」

 

今度仕出しじゃなけれども お子様方のおなぐさみ

ご存じ知られた玉薬

鉄砲玉とはこと変わり 当たって怪我のないお土産で

曲は様々 大玉小玉吹き分けは その日その日の風次第

まず玉尽くしで言おうなら たまたま来れば人の客

などとじらせば口真似の こだまもいつか呼子鳥

たつきも知らぬ肝玉も しまる時にはそろばん玉の

堅いおやじに輪をかけて 若いうちから数珠の玉

オットとまった性根玉 しゃんとそこらでとまらんせ

とまるついでにわざくれの 蝶々とまれをやってくりょ

 

蝶々とまれや菜の葉にとまれ 菜の葉いやなら葭の先へとまれ

それとまった 葭がいやなら木にとまれ

 

つい染み易き廓の水 もし花魁へおいらんと

言ったばかりで後先は

恋の暗闇辻行燈の 陰で一夜は立ち明かし 格子のもとへも幾度か

遊ばれるのは初めから 心で承知しながらも

もしやと思うこけ未練

昼の稼ぎも上の空 鼻の先なる頬かむり

 

吹けば飛ぶよな玉屋でも お屋敷さんのお窓下

犬にけつまずいて オヤ馬鹿らしい

 

口説きついでにおどけ節 伊豆と相模はいよ国向かい

橋を架きょやれ船橋を 橋の上なる六十六部が落っこった

笈は流 るる錫杖は沈む 中の仏がかめ泳ぎ 坊さん忍ぶは闇がよい

月夜にはあたまがぶらり しゃらりと

のばさ頭がぶらりしゃらりと こちゃ構やせぬ

衣の袖の綻びも構やせぬ しどもなや

 

折も賑う祭礼の 花車の木遣りも風につれ

オーエンヤリョー

いとも畏き御代に住む 江戸の恵みぞありがたき

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

 

雁金 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「雁金」のプチ解説と歌詞をお送りいたします。

 

 

この記事は4~5分ででお読みいただけます。

 

 

 

雁金(かりがね)

 

 

解 説

 

作詞 河竹黙阿弥 作曲 二世清元梅吉

初演 明治14年(1881年)11月。東京新富座。
 
本名題 色増栬夕映(いろまさるもみじのゆうばえ)。通称を「雁金」といいます。
 
この曲は「島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ)」の三幕目「神楽坂 望月輝の妾宅の場」で妾の弁天お照との色模様を扱った作品です。
望月輝とお照が、隣から聞こえる清元や鈴虫の音を聞いて互いの身の上を語り合うという艶っぽい内容です。
 
現在では芝居の筋立てに関係なく、女性1人で恋人を待つという内容で舞踊化されたりする事の多い名作です。
因みに
二世清元梅吉はお京(都一いな)を後妻と迎えました。
この女性は「一中節」の名手でその影響もあってか、この雁金には一中節の型が色濃く反映されています。
 
 
 

 

 

歌 詞

 

 
 
 
雁金を 結びし蟵(かや)も 昨日今日
残る暑さを忘れてし 肌につめたき風たちて
ひるも音をなく蟋蟀に 哀れを添える秋の末
我が身一つにあらねども 憂きにわけなきことにさへ
露の涙のこぼれ萩 くもりがちなる空ぐせに
夕日の影の薄紅葉 梅も桜も色かえる
中に常磐の松のいろ
 
まだその時は卯の花の 夏のはじめに白河の
関はなけれど人目をば 厭ふへだての旅の宿
飛び交う蝶に灯の 消えて若葉の木下闇
おもはぬ首尾にしっぽりと 結びし夢も短夜に
覚めて恨みの明の鐘
 
空ほの暗き東雲に 木の間がくれのほととぎす
鬢のほれをかきあぐる 櫛の雫か しづくか露か
濡れて嬉しき朝の雨 はや夏秋もいつしかに
過ぎて時雨の冬近く 散るや木の葉のばらばらと
風に乱るる萩すすき 草の主は誰ぞとも
名を白菊の咲出でて 匂ふ此家ぞ知られける

 

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

 

五月大歌舞伎in歌舞伎座

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こんにちは。くにえです。

 

来月5月、歌舞伎座に於いて「五月大歌舞伎」が3日~28日に開催されます。

休演日は10日、19日です。

 

 

第二部、仮名手本忠臣蔵「道行旅路の花聟(落人)」に出演させていただきます。

 

 

2021.5_kabukiza.jpg

(クリックすると大きく表示されます)

 

くにえの出演日は15日~28日(千穐楽)です。

 

 

落人のプチ解説&歌詞をblogにてアップしてあります。

観劇のお供に是非ご覧下さいませ!(≧▽≦)

 

落人 プチ解説&歌詞 清元國惠太夫blog

 

 

宜しくお願い致しますm(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫

四季三葉草 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「四季三葉草」のプチ解説と歌詞をお送りいたします。

 

 

この記事は6~7分ででお読みいただけます。

 

 

 

四季三葉草(しきさんばぞう)

 

 

解 説

 

開曲は1838年(天保9年)夏。

素浄瑠璃として作られたために本名題はありません。

 

作詞者は三枡屋二三治(みますやにそうじ)、作曲者は二世清元斎兵衛。

二世清元延寿太夫が初語りをしたと言われています。

 

名前の読み通り「式三番叟」の歌詞を四季の草花の名前と語呂を合わせして作られました。

 

冒頭部分には謡曲(能)の「翁」を引用して重厚感を演出します。

ちなみに

「とうとうたらり たらりら たらりあがり ららりとう」

これが冒頭部分の歌詞なのですが日本語ではない感じがします(;'∀')

 

調べると歌詞のルールには諸説ある様です。

 

・チベット地方(サンスクリット語)をそのまま引用した説

・仏教のお経を引用した説

・笛の楽譜説

などなど

 

現在でもいくつか説があるようです。

 

曲の歌詞に「」「」「」「」のパートがございますので、下記の歌詞に色を付けておきたいと思います(/・ω・)/

 

歌 詞

 

とうとうたらり たらりら たらりあがり ららりとう

ところ千代まで 変らぬ色の みどりたつ春 まつの花

曽我菊の名も翁草 そよやいづくの花の滝

玲々と落ちて水の月 素袍(すおう)の袖も千歳(せんざい)の

梅が香慕とう うぐいすも 初音床しきわが宿の 竹も直なる一節に

うつして四季の三葉草 立舞う姿いと栄(は)えて

桃は初心に柳はませた 風の縺れ(もつれ)に解けかかる こちゃ海棠(かいどう)つぼみのままよ

うら山吹に若楓 藤色衣 主とても かざす袂の桜狩 その盃の数よりも

 

おおさえ おおさえ 喜びありや 喜びありや 幸ひこころに任せたり

 

千早振る神の昔に あらなくに 卯の花垣根白浪の 渚の砂(いさご)さくさくとして

あしたの花の富貴草

女子ごころは芍薬(しゃくやく)に 思うたばかり姫百合の まだ葉桜も染めぬのに 

そりゃあんまりな梨の花 気も石竹に軒の妻 菖蒲も知らで折添へて いつか手生けの床の花

元の座敷へおもおもと お直り候らえ ようがましや さはらば一枝参らしょう そなたこそ

君が由縁の色見草 うつろう水に杜若(かきつばた) 池のみぎわに鶴亀の 縁し嬉しき踊り花

 

女郎花 宵の約束小萩が許で 尾花招けば糸薄(いとすすき)通ふ心の百夜草(ももよぐざ)

こちゃこちゃ真実 愛おしらし そうじゃいな しほらしや

時雨の紅葉寒菊や 水仙清き枇杷の花 花の吹雪のサラサラさっと

山茶花や 恵みに花の勲しは 千代に八千代の玉椿

眺めつきせぬ花の時 今も栄えて清元の 治まる家とぞ祝しける

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

 

4月7日(水)NHK FMラジオ「邦楽のひととき」放送

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こんにちは。くにえです。

 

本日、NHKラジオ「邦楽のひととき」を収録して参りました!

 

 

 

2021.3.22_NHK_syuuroku.jpg

 

 

NHK FMラジオ 「邦楽のひととき」

 

 

演目

「玉屋」「旅奴(抜粋)」

 

 

放送日時

2021.4.7(水)11:20~11:50

2021.4.8(木)5:20~5:50(再放送) 

 

 

出演

浄瑠璃

清元 美好太夫  清元 國惠太夫  清元 瓢太夫

三味線

清元 美十郎  清元 志一朗  清元 美一郎(上)

 

 

 

 

宜しくお願い致しますm(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫

花紅葉士農工商(文売り)プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「文売り」をご紹介したいと思います(/・ω・)/

 

 

この記事は5~6分ででお読みいただけます。

 

 

 

文売り(ふみうり)

 

 

解 説

 

 

この曲は1820年(文政3年)11月に江戸玉川座で上演されました。

本名題を「花紅葉士農工商(はなもみじしのうこうしょう)」、通称を「文売り」と言います。

作詞者は近松門左衛門、作曲者は清元斎兵衛です。

 

元来は本名題にもあるように「士」「農」「工」「商」にそれぞれ見立てた四変化の舞踊で、逢坂山の関所を通る際に各人物が物語を語ってゆくという内容です。

 「士」・・・武士 松田左近

 「農」・・・田舎娘 おさん

 「工」・・・大工 臍右衛門(ほぞえもん)

 「商」・・・文売り

 

上記のように「文売り」は「商」の部分にあたり、元旦から15日までの期間に代書、懸想文(けそうぶみ・恋慕を綴った手紙)を男女に売って良縁を作るという職業でした。

今回主人公の文売りは、実は傾城大淀という太夫で金太郎(坂田金時)の母「山姥」でもあるという人物です。

 

 

曲の筋は遊郭で「小田巻」という傾城(花魁)と他の花魁が一人の男性をめぐって突飛ばしたり殴り合ったりの大ゲンカを繰り広げ、それを聞きつけた遣り手や仲居、店に出入りのある座頭、按摩、外を歩く巫女や山伏、中には雪駄下駄が片方脱げたまま駆けつけた者など、遊郭中の見物人なども大乱闘となって大騒ぎになってしまったという内容です。

ちなみに「他の花魁」というのは「文売り(実は傾城大淀)」ではないかと推測されますが、物語内では明確に現わされていません(^_^;)

 

 

 

歌 詞

 

 

同じ身すぎもさまざまに 目出度き春の懸想文

これは恋路を売り歩く 文玉章(ふみたまずさ)の数々は

口説上手に惚れ上手 または相惚れ片思い

縁のたねを結び文 これも世渡る 習いかや

 

文売り「さあさあ これは色を商う文売りでござんす

    私が商う文の数々は

    宵の睦言 まだな事 まぁ聞かしゃんせェ」

 

流れ忙しき憂き勤め 替わる夜ごとのその中に

惚れた男の意地悪う オットよしても暮れの鐘

その手で深みへまた俺を かける心と見てとった

どりゃと立つのを引き止めて

今日は取り分け色々と 言うこと聞くこと たんとある

その約束で今朝早う ござんす筈を憎らしい

初に逢瀬の絹ぎぬに 送る出口の嬉しさを

心に思うありたけを 言い交わしたを何じゃいな

野暮な口説の只中へ 降って脇から只一人

 

文売り「同じ廓に小田巻という傾城が 毎晩送る 文の数々」

 

三万三千三百三十三本ほど 指に廓の文使い

返事の無いに腹立てて 顔に紅葉の打掛けを

とって脱ぎ捨て私がそば

 

小田巻「これ かつみさん いやなお方に惚れはせぬ

    今までお前が大事にしたアノさんを

    今日から私に下さんせ」

                    (かつみ=男の子の禿の意味。女の子の禿=みどり)

 

もらいに来たと ずっかりと こっちも日頃の癇癪酒

 

別の花魁「これ小田巻とやら くだ巻きとやら せっかくお前の

     御無心じゃが もう百年も経ったのち 松葉を添えて

     主さんあぎょう」

 

あだ馬鹿らしいと言い様に 突きのく弾みにばたばたばた

縁から下へ落ちの人 あご痛たたと泣きいだす

 

騒ぎの声に小田巻が 遣り手 引き舟 仲居 飯炊き

出入りの座頭 按摩とり 神子 山伏に 占やさん

雪駄片しに下駄片し 草鞋(わらんず)掛けで来るもあり

 

台所から座敷まで 太夫さんの仕返しと

ここでは打ち合い 抓めり合い 銚子 燗鍋 踏み返し

そりゃこそ津波が打ち混ぜて 隠居が子を産む ヤレ取り上げて

ソレかつお節よ擂鉢よ がらがらピシャリっと鳴る音に

桑原くわばら観音経 秘蔵な子猫が馬ほどな

鼠を喰わえて駆け出すやら 屋根では鼬(いたち)が踊るやら

 

神武以来の悋気いさかい このこと世上に知られけり

 

よどまぬ水に月影も 暫し留むる逢坂の

関に残せし物語 勇ましかりける次第なり

 

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

北州千歳壽(北州) プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

今回は清元「北州」の曲紹介をしたいも思います^_^
 

この記事は5~6分で読んでいただけると思います。

 
 

北州(ほくしゅう)

 
 
 
 

解 説

 


 

1818年(文化15年)春に素浄瑠璃として開曲されました。
作詞者の太田蜀山人は洒落者と伝わり本名題を「北州千歳壽(ほくしゅうせんざいのことぶき)」と付けています。
 
作詞者は上記の太田蜀山人(南畝なんぽ)、作曲者は元吉原の芸妓でのちに料亭「川口」経営者のお直。
蜀山人は遊女の部屋で歌詞を書き上げたと言われています。
 
この曲は蜀山人が70歳の祝いと、若くして亡くなった遊女「玉菊」の追悼を込めて作られたものと伝わっています。
 
 
北州とは江戸の北に位置する「吉原遊郭」のことを指します。


三味線は平家掛かりより「およそ千年の鶴は〜」と謡曲(能)の「翁」から出ていて重々しく始まります。

「万歳楽とうとうたり」は「万歳楽と謡うたり」と「万歳楽とうとうたり(とうとうたらり)」の2つの意味が隠れています。

そして「霞のころも〜」からガラリと曲調が変わり吉原の四季を織り込んだ華やかなものになります。


歌詞にも吉原に関連する場所や行事が出てくるという清元ならではの演出になっております。
 
 
 
 
 
 

歌 詞

 
 
およそ千年の鶴は 万歳楽とうとうたり 又
万代の池の 亀の甲は 三曲 にまがりて
曲輪をあらわさず 新玉の
 
霞の衣えもん坂 衣紋つくろう初買の
袂ゆたかに大門の 花の江戸町 京町や
背中合せの松かざり 松の位を見返りの
柳桜の仲の町 いつしか花もちりてつとんと
見世清掻きの風薫る 簾かかげてほととぎす
鳴くや皐月の菖蒲草 あやめもわかぬ一単物
いよし御見の文月の なき玉章の灯篭に
星の痴話言 ささめ言
 
銀河と聞けば白々と 白帷子の袖にそよそよ
はや八朔の白無垢の 雪白妙に降りあがり
なじみ重ねて 二度の月見に逢いとて見とて
合せ鏡の姿見に 露うちかけの菊重ね
きくのませたる禿菊 いつか引込み突出しの
約束かたき神無月に 誰が誠より本立の
山鳥の尾の酉の市 妹がり行けば千鳥足
日本堤を土手馬の 千里も一里通い来る
浅草市の戻りには 吉原女郎衆が手鞠つく
 
ちょと百ついた浅草寺 筑波の山のこのも彼面
葉山茂山おしげりの しげきみかげに栄えゆく
四季折々の風景は 実に仙境 かくやらん
隅田の流れ清元の 寿延ぶる太夫どの
君は千代ませ 千代ませと 悦びを祝ふ 天ぴつ和合神
日々に太平の足をすすむる 葦原の国安国と舞ひ納む
 
 
 
 
 

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

 
 
 
「北州」の演奏動画はこちらから「清元pockets」
         ↓↓
youtube_kiyomotopockets_hokusyuu.jpg
画像をクリックするとYouTubeへとびます!
 
 
 
 
 
 
 

清元 國惠太夫

隅田川 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

三月大歌舞伎、第三部「隅田川」のプチ解説&歌詞を書かせていただきます。

 

 

浄瑠璃を耳だけでとらえるのはなかなか難しい箇所もございます。

 

この記事は9~10分で読んでいただけると思います。

歌詞をサクッとお読みいただくだけで舞台をより一層楽しんで頂けると思います!

 

是非ともこちらをご活用くださいませ\( 'ω')/ 

 

 

 

 

 

隅田川(すみだがわ)

 

 

 

 

解 説

 

謡曲(能の詞章)「角田川」を題材として作詞を条野採菊(じょうのさいきく)、作曲を二世清元梅吉が担当し清元の曲に仕上げました。ちなみに条野採菊は鏑木清方画伯の父でもあります。

この曲は1883年(明治16年)2月17日に素浄瑠璃(清元のみの演奏)として作詞者の自邸で開曲しました。

そのため本名題も無く「隅田川」です。

 

1919年(大正8年)9月歌舞伎座の興行で二代目市川猿之助(初代市川猿翁)により舞台化されました。

 

 

我が子「梅若丸」を探し続けて都よりはるばる東の隅田川まで来た母「班女の前(狂女)」。それを「舟人(渡し守)」が助けます。 

髪も乱れ、もはや常人ではない様子でした。

 

舟人は心身共に疲れっきった班女の前を舟に乗せ、その経緯を聞くうちにある出来事を思い出します。

それは昨年都より「人買い」が由緒のあるだろう幼い子供を買い取り、ここへやって来た話でした。

 

その幼い子供は一歩も歩けないほど疲れ果て、あげくに人買いに捨てられてしまいました。

周りの人たちは不憫に思い介抱しましたが命を落としてしまうのでした。

 

舟人の話を聞いた班女の前は詳しい時期や年齢を問います。

「名前は?」

「梅若丸」

命を落とした幼い子供は班女の前の子供だったのです。

 

一層不憫に感じた舟人は梅若丸を供養した塚へと案内し念仏を唱えます。

「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ・・・・・・」

 

すると念仏の中に梅若丸が共に念仏を唱える声が!?

 

 

「ついと塒を立つ白鷺の 残す雫か露か涙か」

 

その声は幻であったのか。現実であったのか。

空はほのぼのと空けてゆくのでした。

 

 

 

冒頭部分

「実にや人の親の 心は闇にあらねども 子を思う道に迷うとは」

 

この一節の通り、子供を想う親心は偉大です。

母子の愛情に溢れている悲劇の大作です!

 

 

ちなみにこの開曲当時は遊里や色恋、下町を題材とした曲の多い清元も世間より非難されてました。

(演劇改良運動)

そこで五世清元延寿太夫は今まで清元にある曲の歌詞編纂(不適切な言葉も使われていた)などで風評脱却を目指しました。

 

この「隅田川」開曲も脱却の一つの方法としての試みでした。

子を失った母が隅田川岸をさまよい歩き、舟人(渡し守)が介抱する場面やその母を塚へと案内する場面など、今までの清元の様に艶っぽさはなく、曲全体を上品に仕上げたのも上記の時代背景が大きいとされています。

また最後部分の舟唄「ついと塒を立つ白鷺の のこす雫か露か涙か」の部分も五世延寿太夫が補曲したと言われています。

 

 

 

 

 

歌 詞

 

 

舟  人「これは隅田川の渡守にて候 今日は舟を急ぎ 人々を渡さばやと存じ候

     又都より女物狂いの下り候由 暫く舟を止め彼の物狂いを待とうずるにて候」

 

実にや人の親の 心は闇にあらねども 子を思う道に迷うとは 今こそ思いしら雪の 

身に降りかかる憂き苦労 誰に語りて晴らすらん

 

班女の前「これは都北白川に 年経て住める女なり」

 

思わざりき思い子を ひと商人に誘われて 行方は何処逢坂の 関の東の国遠き

東とかやに下りぬと 聞くより心乱れ髪 櫛けずるらん青柳の 愛しわが子を尋ねわび

千里を行くも親心 来るとはなしに東なる 隅田河原の片ほとり 渡りに近く着きにけり

 

班女の前「のうのう舟人 わらわをもその船に乗せて給わり候え」

舟  人「おことは何処より いづかたへ下る人ぞ」

班女の前「これは都より人を尋ねて この東へ下る者にて候

     のう舟人 あれに白き鳥の見えたるは何と申し候ぞ」

舟  人「おお あれこそ沖の鴎なり」

 

うたてやな浦にては 千鳥ともいえかもめとは などこの隅田川にては 都鳥とは告げずして

沖の鴎と夕潮に 在吾の君の古えは わが身の上に業平や いざ言問わん都鳥

我思い子はありやなしやと 問えど 答えも渚こぐ 舟人わらわを乗せ給えと 言うに 舟人掉取り直し

 

舟  人「急ぎて舟に乗り候へ」

班女の前「おお嬉しの舟人やな

     おおあの向いの柳のもとに 人の多く集 まりしは 何事にて候ぞ」

舟  人「さん候 あれは大念仏にて候 それにつき哀れなる物語りの候

     この舟の向いへ着き候はん程に 語って聞かせ申すべし さても」

 

去年の弥生に 人商人の都より 幼き者を買いとりて 奥へ下らん道すがら ならわぬ旅の疲れにや

一足だにも歩めじと この川岸にひれ伏せしを 情を知らぬ人買いは 幼き者を路地路次に捨て 

そのまゝ奥へ下りたり

 

舟  人「その幼な子を見てあるに 由ある者と思うにぞ」

 

人々さまざまいたわりて 国を問えば 都の白川 父御の名をば問いたるに 吉田と許り夕告ぐる

諸行無常の鐘の音を 聞くがこの世の名残りにて 草葉の露と消えにしは 哀れ というも愚なり

今日乗合いの方々も 逆縁ながら一遍の 念仏申させ給えかし

 

班女の前「のう舟人 今の物語りはいつの事にて候ぞ」

舟  人「昨年三月 しかも今日の事にて候」

班女の前「してその稚子の歳は」

舟  人「十二歳とか」

班女の前「その名は」

舟  人「梅若丸」

 

その幼き者こそは この物狂いが子にてあれ これは夢かや浅ましやと 人目も恥ず泣き伏せば

 

舟  人「おお さては御身が子にてありしか あら悼わしや

     せめては亡き人の墓なりとも見せ申さん いざ此方へ」

 

いざさせ給えと伴えば 昨日迄も今日迄も 逢うを頼みに見も知らぬ 東の果へ下りしに

今は此世になき跡に 一ㇳ本柳枝たれて 千草百草茂るのみ せめては土を掘返えし

亡骸なりとも今一度 見たや逢いたやとばかりに 落つる涙は道芝の 露を欺くばかりなり

 

舟  人「如何に御歎き候共 今はその甲斐候わね 只々後世を弔い候えや」

 

我子の為と身を起し 月の夜念仏諸共に 南無阿弥陀仏 阿弥陀仏

隅田河原の波風も 声たて添えて 南無阿弥陀 阿弥陀仏

 

班女の前「のうのう今の念仏の内に 正しく我子の声すなり」

 

我子はどこにいづくにぞ あるかなきかと箒木の いとど心の物狂い 我子の声と聞きたるは

川に飛び交う都鳥 我子の姿と見えたるは 塚に添うたるさし柳

ついと塒を立つ白鷺の 残す雫か露か涙か

幻の見えつ隠れつする程に 空ほのぼのと明けにけり

 

 

 

(演出の都合上、変更になる場合があります。)

 

 

 

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

2011.12kyoto_minamiza_sumidagawa.jpg

写真は2011年12月、京都南座での隅田川の舞台です。

我々がスタンバイをしているところです(笑)

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

雪暮夜入谷畦道~直侍~(三千歳)プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

三月大歌舞伎、第二部「雪暮夜入谷畦道~直侍~」のプチ解説&歌詞を書かせていただきます。

 

 

浄瑠璃を耳だけでとらえるのはなかなか難しい箇所もございます。

 

この記事は7~8で読んでいただけると思います。

歌詞をサクッとお読みいただくだけで舞台をより一層楽しんで頂けると思います!

 

是非ともこちらをご活用くださいませ\( 'ω')/ 

 

 

 

 

 

雪暮夜入谷畦道~直侍~(ゆきのゆうべ いりやのあぜみち~なおざむらい~)

 

 

解 説


この演目での清元の場面は、罪人として追いかけられている片岡直次郎が雪の中、三千歳のいる入谷村の大口屋の寮(別荘)へ忍び尋ねるというシーンです。 

 

またこの状況の場面を「余所事浄瑠璃(よそごとじょうるり)」と言います。

三千歳と直次郎の再開する建物の隣の座敷(よそ)から清元が聞こえてくるという、お芝居に我々が出ても不自然にならない様な洒落た演出になっています(*´▽`*)

 

ちなみに以前ご紹介した吉田屋・廓文章(夕霧)も余所事浄瑠璃で、我々は羽織を着ての出演です。

 

國惠太夫blog「吉田屋廓文章(夕霧)」

 

 

 

元々は河竹黙阿弥作の「天衣紛上野初花(河内山)くもにまごううえののはつはな(こうちやま)」の六幕目「大口屋寮の場」にあたり、今回はその前の五幕目の「入谷村そば屋の場」とニ幕を抜粋した演出となります。

 

 

清元としても独立してよく演奏される浄瑠璃で、本名題を「忍逢春雪解(しのびあうはるのゆきどけ)」と言います。

作詞者は河竹黙新七(黙阿弥)。作曲者は清元お葉(四世延寿太夫夫人)または二世清元梅吉または合作。

登場人物から「三千歳」と通称されることも多々あります。

 

1881年(明治14年)3月に江戸新富座で河竹新七が「河内山」に直次郎が三千歳に逢いに来る場面を足して改作しました。

 

「入谷村そば屋の場」で悪党仲間の「暗闇の丑松」とでくわし、直次郎自身の罪が発覚し追手が迫っていると告げられます。

またそのそば屋で、胸を患っている三千歳の治療をしている「按摩の丈賀」と出会い、三千歳の今の様子を聞かされます。

直次郎は悩みますが、危険を冒してまで想う三千歳の元へと逢いに行く決意をするのでした。

 

丈賀に今夜三千歳のところへ逢いに行くことを言づけますが、それを陰から見ていた丑松。

 

直次郎を売って自分だけ罪を逃れるか?兄弟分の義理を通すか? 

 

しかしその答えは意外な偶然から決するのでした・・・。

 

 

清元の演奏する「大口屋寮の場」はそういった状況の中で直次郎が三千歳に逢う場面です。

 

 

冒頭の部分

「冴え返る春の寒さに降る雨も 暮れて何時しか雪となり 上野の鐘の音も凍る」

この一節だけで場面を想像できるほど、素晴らしい詞です。

 

また「知らせうれしく~」や「一日逢わねば千日の 思いにわたしゃ患うて」といった三千歳の想いのままが詞に表現されており見どころ聴きどころです!

 

河竹黙阿弥お得意の「七五調」のセリフ回しも粋で爽快ですよ。

 

 

自分の危険も返りみず、三千歳の元へ逢いに行く直次郎。

現代のドラマにも引けを取らない恋愛劇を是非ともお楽しみくださいませ(^O^)

 

 

 

 

 

歌 詞

 

冴え返る 春の寒さに降る雨も 暮れていつしか雪となり 上野の鐘の音も凍る

細き流れの幾曲り 末は田川へ入谷村 廓へ近き畦道も 右か左か白妙に

往来のなきを幸ひと 人目を忍びたたずみて 

 

直次郎「思ひがけなく丈賀に会い 頼んでやったさっきの手紙 もう三千歳の手へ届いた時分

    門の締りが開けてあるか かどからそっと 当って見ようか」

 

たしかにここと目覚えの 門の扉(とぼそ)へ立ちよれば 風に鳴子の音高く

驚く折から新造が 灯し携え立ち出でて 

 

千代春「今鳴子の鳴ったのは風のようでは無かったが」

千代鶴「大方ここへ直はんが」

千代春「アァモシ 静かにしなましよ」

 

さし足なして千代春が 扉へ寄りて声ひそめ

 

千代春「モシ直はんざますか」

直次郎「おぉそう云う声は千代春さんかへ」

千代春「さっ早くこっちへ這入んなましょ」

千代鶴「わちきは奥の花魁へ お知らせ申して参りんしょう」

 

気転きかして奥戸口 互ひに心 合鍵に 扉を開けて伴ふ折から

 

門の外には丑松が 内の様子を伺ひて 一人うなづき雪道を 飛ぶが如くに急ぎ行く

 

直次郎「やっとの思ひで忍んで来たんだ 聞けば三千歳は患っているそうだなぁ」

千代春「それもみんなおまはん故でありんすよ」

 

晴れて逢はれぬ恋仲は 人に心を奥の間より

知らせ嬉しく三千歳が 飛立つばかり立ち出でて 訳も涙にすがりつき

 

「セリフ」

 

千代春「花魁」

千代鶴「直はん」

千代春「ここでゆっくり」

両 人「お話なんなんしえ」

 

廓(さと)に馴れたる新造が 話の邪魔と次の間へ 粋を通して入りにける

後には二人さし合も 涙ぬぐふて三千歳が 恨めしそうに顔を見て

 

「セリフ」

三千歳「わづか別れて居てさえも」

 

一日逢はねば千日の 思ひにわたしゃ患うて 針や薬のしるしさへ 泣きの涙に紙濡らし

枕に結ぶ夢さめて いとど思ひの十寸鏡(ますかがみ)見る度毎に面痩せて どうで長らへ居られねば

殺して行って下さんせと 男にすがり嘆くにぞ

 

直次郎「今更云うて返らぬが 悪事をなしてお仕置を 受けりゃ先祖代々の 墓へ入れぬこの身の上

    回向院の下屋敷へ 俺れの墓をば建ってくれ コレがお主へ おれの頼みだ」

 

これが頼みと手を取りて 共に涙にくれにける 男も愚痴に絡まれて もて余したる折からに

始終を聞いて寮番の 喜兵衛は一間を立ち出でて

 

「セリフ」

 

実に桓山(かんざん)の悲しみも 斯くやとばかり降る雪に 積る思ひぞ(残しける)

 

 

 

(演出の都合上、変更になる場合があります。)

 

 

 

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

2016.01_kabukiza_ura.jpg

この写真は2016年1月歌舞伎座「壽初春大歌舞伎」の時のものです。

三千歳と直侍が再開する「大口屋寮の場」のセットです。 

撮影は舞台裏で、表では前場が上演されており、とても暗く見えづらいです(。-人-。) 

スミマセンm(_ _)m

 

 

またYouTubeチャンネル「清元pockets」にも三千歳のお手軽動画をアップしております!

 

youtube_michitose_samune.jpg

(画像をクリックするとYouTube「三千歳」に飛びます)

 

 

 

清元 國惠太夫

YouTubeチャンネル「清元pockets」を開設しました!

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こんにちは。くにえです。

この度YouTubeチャンネル「清元pockets(きよもとポケッツ)」を開設いたしました(^O^)

 

 

 

youtube_kiyomotopockets_syoukaigazou.jpg

(画像をクリックするとYouTube「清元pockets」に飛びます)

 

  

 

 

このチャンネルでは通常の清元の曲を3~5分くらいに切り取りまして皆様に手軽にお聞きいただきたいというコンセプトで開設いたしました。

 

近々歌舞伎や舞台で演奏される演目を優先的に、また簡単な解説と歌詞を入れ定期的に動画をアップして行きたいと思っております。

 

 

 

 

宜しくお願い致しますm(_ _)m

三月大歌舞伎in歌舞伎座

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こんにちは。くにえです。

 

来月、3月に歌舞伎座に於きまして「三月大歌舞伎」が開催されます。

 

 

 

2021.3_kabukiza_chirashi.jpg

(クリックすると大きく表示されます)

 

 

第二部「雪暮夜入谷畦道~直侍~」と第三部Aプロ「隅田川」が清元の演奏になります。

 

くにえは第二部「雪暮夜入谷畦道~直侍~」に初日4日より21日まで出演させていただく予定です。

※11日は休演日です。

 

 

\( 'ω')/3月も清元が聴けます\( 'ω')/

 

皆々様!宜しくお願い致します!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫

1月30日(土)NHKFMラジオ邦楽百番「夕霧」放送

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こんにちは。くにえです。

 

本日、1月30日(土)NHKFMラジオ放送分の邦楽百番「夕霧」を収録して参りました!

 

 

 

2021.1.13_NHK.jpg

 

コロナ対策の関係で大きなスタジオ、そして座る位置を隣と2m空けての収録でした。

 

くにえは夕霧のセリフ箇所を頂戴いたしました(^O^)

 

昨年12月の京都南座での興行では竹本ご連中がなさる部分も清元で演奏します。

節回しも三味線も違い、清元のみの演奏も情緒があってとても良いものです(≧▽≦)

是非とも聞き比べてみてください( ´艸`)

 

 

NHK FMラジオ 邦楽百番「夕霧」

 

放送日

2021年1月30日(土) 午前11:00~午前11:50

再放送

2021年1月31日(日) 午前5:00~午前5:50

 

 

浄瑠璃

清元 美寿太夫  清元 清榮太夫  清元 國惠太夫

三味線

清元 美治郎  清元 延美雪  清元 美一郎(上)

 

 

 

宜しくお願い致しますm(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫

京都南座「吉例顔見世興行」千穐楽を迎えました!

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こんにちは。くにえです。
 
本日、京都南座「吉例顔見世興行」が千穐楽を迎えました!
 
 
 
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今月の「廓文章」の舞台です。
舞台稽古直前、第3部関係者全員へのコロナ対策説明会を客席で行い、終了後に撮影したものです。
 
 
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今月の大入りと筋書です。
 
 

 
今の状況で顔見世興行が京都で開催された事、またその舞台に乗せて頂けた事は私にとりまして大変幸せなことです。
 
本当にありがとうございます。
 
舞台に携われる喜びや感謝、また演奏に対する難しさ。
改めて考える事が出来ました。
 
 
何より多くのお客様のご来場、私よりも心より御礼申し上げます。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

清元 國惠太夫

廓文章・吉田屋(夕霧)プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

来月京都南座に於いて「吉例顔見世興行」が開催されます。

その第三部に竹本・清元「廓文章・吉田屋」が掛かります。

(吉例顔見世興行の詳細は國惠太夫blog「京都南座 吉例顔見世興行」をご覧ください)

 

 

今回は「廓文章・吉田屋」の清元の箇所の解説と歌詞を書きたいと思います(^O^)

 

浄瑠璃は母音を伸ばしたり「節付け」があります。

そのため耳だけでとらえるのはなかなか難しい箇所もございます。

 

 

6~8分で読んでいただけると思います。

歌詞もサクッとお読みいただくだけで舞台の概要や雰囲気をより一層楽しんで頂けると思います!

また江戸風俗、古語、清元を学ぶ際のちょっとしたお役に立てれば幸いでございます!

 

是非ともご活用くださいませ\( 'ω')/

 

 

 

 

解 説

 

清元での本名題は「春夜障子梅(はるのよしょうじのうめ)」と言います。

芝居などで竹本連中と掛合の場合は「廓文章」と表現する場合がほとんどです。

これは元々は義太夫の「廓文章」の「吉田屋の場」を清元の前身である「富本節」に作曲しなおした為です。(のち清元へ移調されました。)

これも清元では「吉田屋」「夕霧」と、少し違う通称をします。

 

初演は天明4年(1784年)正月(江戸森田座)。

ちなみにこの天明は、現在の福岡県志賀島で金印が発見されたり、数年に渡り「天明の大飢饉」が起こったり、浅間山の噴火と当時の民衆にも大きな出来事は数多くあった時代だった様です。

 

作詞は近松門左衛門(義太夫時の作者)、作曲は佐々木市四郎、初演の浄瑠璃は富本斎宮太夫です。

初演の伊左衛門は四世松本幸四郎、夕霧は三枡徳次郎。

高麗屋さんにとってもとても縁の深い演目なのです)^o^(

 

 

「清元」になってからの初演は文久3年(1863年)9月(江戸中村座)です。

 

 

 

登場人物の「夕霧太夫」は大阪の新町の実在した人物です。

江戸の「高尾太夫」京都の「吉野太夫」そして大阪の「夕霧太夫」と並び称されたほどの名妓だったようです。

京都島原にあった「扇屋」に在籍し、お店の移転と共に大阪新町へ。

その後、延宝6年(1678年)に27歳で没したと記録にあります。

 

 

芝居の内容は

親に勘当され、紙で出来た着物(紙子)を着なくてはならない程落ちぶれた伊左衛門。

夕霧の居る吉田屋を訪れ、主人の喜左衛門に昔馴染みで部屋へ通してもらえるが、どうやら当の夕霧は他の客と遊んでいるらしい。

床の間にある三味線を取って、奥座敷から聞こえてくる音と共に嫉妬と怒りを「ゆかりの月」の唄で表します。

 

それを知った夕霧は伊左衛門の所へ走り寄って嬉し涙を流しますが、伊左衛門は「万歳傾城」とののしって足蹴にします。

夕霧は伊左衛門の誤解を悲しみ、寝ても覚めても思い続けて病気も患ってしまったことを訴え、

そこへ扇屋主人喜左衛門と女房おさきが来て、伊左衛門の勘当が許され、夕霧を見受けする手続きも無事終わった旨を告げます。

めでたしめでたし、で終わります( ´艸`)

 

 

清元の「くどき」といわれる夕霧の心情を語る箇所などが聴きどころとなっております!^^


また我々の座っている山台は「隣のお座敷」という設定です。

どこからともなく三味線や唄が聴こえてくるという日本古来のルール「暗黙の了解」の成立する「他所事浄瑠璃(よそごとじょうるり)」の作品でもあります\(^o^)/

 

 

歌 詞

 

後には一人うたたねの 寝ても寝られぬ置炬燵

掛ける布団の肌寒く

 

「セリフ」

 

奥の様子を伊左衛門 腹立まぎれ床の間の 三味線引きよせ調子さへ

合はばどうしてこうしてと 胸は二上り三下り

唄のしょうがに合の手や 可愛い男に逢坂の

関よりつらい世のならい

 

「セリフ」

 

思はぬ人に堰き留められて 今は野澤の一つ水

 

「セリフ」

 

済まぬ心の中にも暫し 澄むはゆかりの月の影

無残やな夕霧は 流れの昔なつかしき

夫の音締め身にこたえ 飛び立つ心奥の間の

首尾が朽ちせぬえんと縁 胸と心の間の山 間の襖の工合よく

明暮恋しい夫の顔 見るに嬉しく走り寄り

抱きついたるきりぎりす 泣くより外の事ぞなき

 

「セリフ」

 

とうに死ぬるはずなれど 今日まで命 長らえしも

神仏の控え綱 これ 懐かしゅうはないかいな

顔が見とはないかいなと 

揺り起こし 揺り起こし 抱き起こせば

 

「セリフ」

 

通りゃと言ひければ

 

「セリフ」

 

誠にめでとうさむらいける

 

「しかも足駄はいて蹴るやら」

 

年立ち返る足駄(あしだ)にて 誠にめでたうさむらひける

 

「セリフ」

 

慾わかに御萬歳とや 年立ち返る足駄にて 誠にめでたうさむらいける

 

「町人も蹴る 伊左衛門も蹴る」

 

と蹴ちらかし 煙草引きよせ吹く煙管の さらぬ体にて居たりける

 

夕霧涙もろともに 怨みられたり嘆つのは 色のならいと言いながら

仲直りすりゃ明の鐘ェェ 憎うてならぬ鳥の声

何の烏が意地悪で 啼くぢゃなけれど絹ぎぬの

去なせとむない心から 去年の暮から丸一 年

二年越しに音づれなく それは幾瀬の物案じ

それ故にこの病い痩せ 衰えたが目に見えぬかァァ

せん薬とねり薬と鍼と 按摩でようようと

命繋いでたまさかに 逢うてこなはんに甘ようと

思うところを逆さまな こりゃ酷らしいどうぞいの

心強や胴慾な 憎やと膝に引き寄せて

さすっつ泣いつ声を上げ 訳も性根もなかりける

「セリフ」

 

家内が勇む勢ひにィィ 連れて浮き立つ伊左衛門

悦びの眉を開くや扇屋夕霧 名を萬代の春の花

目出度かりけるゥゥ

 

 

 

※演出上変更になる場合がございます。

 

 

  

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫