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歌詞「忍岡恋曲者(権九郎)」~2025年「四月大歌舞伎」歌舞伎座バージョン

「黒手組曲輪逢引」の幕開きに清元「忍岡恋曲者(権九郎)」が掛かります。

ご観劇のお供に是非ご活用下さいませ!




「忍岡恋曲者(権九郎)」


絵に書かば墨絵のさまや 朧夜の空ににじみし月影も
忍ぶが岡を二人連れ 散り来る花の白玉に
鐘の音霞む権九郎 手に手を取りてそこはかと
谷中を越えて車坂 よそ目に見れば二本の
離れぬ杉の道行は あじな縁しを出雲にて
結び違いし神垣や 稲荷の森へ歩み寄り

権九郎「コレ白玉道々も言う通り 掟厳しい廓をば連れて退いた上からは 所詮江戸には居られぬぞや」
白 玉「江戸の内に居られぬとて どこへ行くのでありんすよ」
権九郎「ンサアどこと言うて当てはなけれど 生まれ故郷の上方へでも連れて行き
 世間晴れて権九が女房 まず京なれば木屋町か 大坂ならば島の内 当分粋な へへへ座敷を借り」

下女が一人に 子猫が一匹 他には邪魔も新世帯
取り膳で食う楽しみは 一つ肴をむしり合い
箸の先での錣引き ひっくり返す皿小鉢
これはしたりと飛び退いて それ雑巾よ拾えよと
さんと呼びゃ ハーイと来る ぶちと呼びゃ ニャーンと来る
これを続けて呼ぶならば
おははいのハイと言やオニャニャのニャーンと鳴く
こんな騒ぎも痴話半分 嬉しかろうじゃないかいな

権九郎「なんと白玉そうなったら さぞそなたは嬉しかろうの」
白 玉「そりゃもうわちきが日頃の願い 嬉しゅうのうて何としましょう」
権九郎「うふふ あのまあ嬉しそうな顔わいな」

鼻毛のばして差し覗く 馬鹿げし顔を 流し目に

白 玉「そう聞く上は少しも早う 追手のかからぬ内 わちきゃ上方へ行きとうござんすが 聞けば遠い所とやら お前路用がござんすかえ」
権九郎「おっとそこに如才があるものか 今日千葉様へ納めに行く 為替の金の五十両 ちゃんと着服しておいた これを路用に通し駕篭 伊勢参宮から大和をば 廻った所がまさか二分にはなりゃしまい」
白 玉「そんならそこに持って居やしゃんすかえ」
権九郎「何で嘘をつくものか 疑わしくば サッこれを見や」
白 玉「ンまぁこりゃほんにお金でござんすな」
権九郎「しかも小判で五十両 これさえあれば大丈夫」

押し戴けば後ろより 財布めがけて一掴み
あわやと驚く権九郎 池の深みへ

白 玉「伝次さん」
伝 次「アッこれ」

むらかもめ

白 玉「伝次さん うまくいったねえ」
伝 次「そうよ 濡れ手で粟の五十両 この金の手に入ったのも みんなお主のお蔭 白玉いい度胸になったなぁ」
白 玉「これもみんな お前に仕込まれたんだよぉ」
伝 次「俺だといって まさか鋏を持って生まれやしねぇ これでも以前は武士のたね 藁の上から町家へやられ 育ちが悪さに巾着切り 悪いこたぁ覚え易く 今じゃどこの盛り場でも 顔を知られた牛若伝次 然し盗んだもなぁ一文でも 身に付けたこたぁありゃあしねえや 二人が仲の離れねえのも これが悪縁とでも言うんだろうよ」
白 玉「今更言うのも愚痴ながら お前とこういう仲になったのも 忘れもせぬ 去年の秋」

まだ新宅の店先を そそるいなせの地廻り衆
多くの中でこなさんが ふっと目につき物言いかけ
初手は浮気な格子色 朋輩衆になぶられて
話もならず裏茶屋で たまに逢うさえ束の間も
涙の雨に離るるが ここが苦界じゃないかいな
折しも告ぐる後夜の鐘 伝次はすげなく立ち上がり

伝 次「またもや追手のかからぬうち 世田谷道から厚木街道」
白 玉「あぁもし その道は寂しいかえ」
伝 次「どうせ駆け落ちをする道だもの 賑やかなこたぁありゃあしねえや」
白 玉「それだって何だか気味が悪いねえ そりゃそうと あの権九郎はどうしたろうねえ」
伝 次「どうするものか 土左右衛門よ」
白 玉「エェ」
伝 次「エェ ぐずぐずしねえで 早く支度をしねえか」
白 玉「アイ」

アイと白玉帯締め直し 二世を掛けたる中島を
あとに三橋や清水門 流れの里へと渡りゆく

白玉「伝次さん」
伝次「白玉達者でいろよ」

人目いとうてェ





※演出の都合上、歌詞や台詞が変更になる可能性があります。

2025.4.1現在


2025.4_kabukiza.jpg
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忍岡恋曲者(権九郎)の解説はこちら(國惠太夫Web Site「権九郎」)

歌詞「落人」~2025年「三月大歌舞伎」歌舞伎座バージョン

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歌詞「落人」~2025年「三月大歌舞伎」歌舞伎座バージョン

ご観劇のお供に是非ご活用下さいませ!

「落人」

落人も見るかや野辺に若草の すすき尾花はなけれども
世を忍び路の旅衣 着つつ馴れにし振袖も
どこやら知れる人目をば かくせど色香梅が花
散りてもあとの花のなか いつか故郷へ帰る雁
まだはだ寒き春風に 柳の都 後に見て
気も戸塚はと吉田ばし 墨絵の筆に夜の富士
よそめにそれと影くらき 鳥のねぐらを辿り来る

勘平「鎌倉を出でてようようと ここは戸塚の山中 石高道で足は痛みはせぬかや」
お軽「何の まあそれよりは まだ行先が思はれて」
勘平「そうであろう 昼は人目をはばかる故」
お軽「幸い ここの松かげで」
勘平「暫しがうちの足休め」
お軽「ほんにそれが よかろうわいなぁ」

何もわけ無き うさはらし 憂きが中にも旅の空
初ほととぎす明近く

色で逢いしも昨日今日 かたい屋敷の御奉公
あの奥様のお使いが 二人がえんやの御家来で
その悪縁か白猿に よう似た顔の錦絵の
こんな縁しが唐紙の 鴛鴦(おし)の番(つがい)の楽しみに

泊り泊りの旅籠やで ほんの旅寝の仮枕
嬉しい仲じゃないかいな 空定めなき花曇り
暗きこの身のくり言は 恋に心を奪はれて
お家の大事と聞いたとき 重きこの身の罪科と
かこち涙に目もうるむ

勘平「よくよく思へば後先のわきまえもなく ここ迄は来たれども 主君の大事をよそにして この勘平は
   とても生きては居られぬ身の上 其方は言はば女子の事 死後の弔ひ頼むぞや お軽さらばじゃ」
お軽「アレまたその様な事言はしゃんすか 私故にお前の不忠 それがすまぬと死なしゃんしたら
   わたしも死ぬるその時は アレ二人心中じゃと 誰がお前を褒めますぞぇ
   サぁここの道理を聞き分けて ひとまず私が在所へ来て下さんせ 父さんも母さんも
   それはそれは頼もしいお方 もうこうなったが 因果じゃと諦めて
   女房の言ふ事も ちっとは聞いて呉れたがよいわいなぁ」

それ其時の うろたえ者には誰がした みんなわたしがこころから
死ぬるその身を長らえて 思ひ直して親里へ 連れて夫婦が身を忍び
野暮な田舎の暮しには 機も織りそろ賃仕事 常の女子と言はれても 取乱したる真実が
やがて届いて山崎の ほんに私がある故に 今のお前の憂き難儀 堪忍してとばかりにて
人目なければ寄り添うて 言葉に色をや含むらん

勘平「成程聞き届けた それ程迄に思うて呉れるそちが親切 ひとまず立ち越え 時節を待ってお詫びせん」
お軽「そんなら聞き届けて下さんすか」
勘平「さぁ仕度しやれ」
お軽「アイ」

身ごしらえするその所へ

伴内「見付けた おぉ お軽も居るな やーやー勘平
   うぬが主人の塩谷判官高貞と おらが旦那の師直公と
   何か殿中でべっちゃくちゃ くっちゃくちゃと話合するその中に
   ちいちゃ刀をちょいと抜いてちょいと斬った科によって
   屋敷は閉門網乗物にて エッサッサ エッサッサ エッサエッサエッサッサと
   ぼっ帰してしもうた

   さあこれ烏(からす)鶉翻(うずらばん)
   (さあこれからは うぬが番)
   お鴨をこっちへ鳩鷺(はとさぎ)葭切(よしきり)
   (お軽(かる鴨)をこっちへ 渡さば良し)
   ひわだ雁(がん)だと孔雀が最後
   (嫌だ何だとぬかすが最後)
   とっ捕めっちゃ ひっ捕めっちゃ
   やりゃあしょねえが返答は さっ さっ さっさっ さささささ・・・
   勘平返事は丹頂丹頂(たんちょうたんちょう)」
        (何と何と)
※セリフは多少の違いがあります。

丹頂丹頂と呼ばわったり
勘平ふふっと吹きいだし

勘平「よい所へ鷺坂伴内 おのれ一羽で食い足らねど 勘平が腕の細ねぶか
   料理あんばい 喰うてみよえぇ」

大手を拡げて立ったりける

伴内「えぇ 七面鳥な もちで捕れ」
     (しち面倒くさい)
花四天「どっこい」

桜さくらという名に惚れて どっこいやらぬはそりゃ何故に
所詮お手には入らぬが花よ そりゃこそ見たばかり
それでは色にはならぬぞへ 桃か桃かと色香に惚れて
どっこいやらぬはそりゃ何故に 所詮まままにはならぬが風よ
そりゃこそ他愛ない それでは色にはならぬぞ へ

勘平「さぁこうなったらこっちのもの 耳から斬ろか 鼻からそごうか えぇもう一層の事に」
お軽「あ もしっ そいつ殺さばお詫びの邪魔 もうよいわいなぁ」
伴内「へへ もうよいわいなぁ」

口の減らない鷺坂は 腰を抱えてコソコソと 命からがら逃げてゆく

勘平「彼を殺さば 不忠の上に重なる罪科 最早明け方」
お軽「アレ山の端の」
勘平「東がしらむ」
二人「横雲に」

塒をはなれ鳴くからす 可愛い可愛いの女夫づれ
先は急げど心は後へ お家の安否如何ぞと
案じゆくこそォ

2025.3.3現在

2025.3_kabukiza.jpg
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落人の解説はこちら(國惠太夫website「落人」)

「神田祭」歌詞 〜片岡仁左衛門 坂東玉三郎 初春特別公演〜大阪松竹座バージョン

ご観劇のお供に是非ご活用下さいませ!

「神田祭」

一歳を今日ぞ祭に当り年 警固手古舞華やかに
飾る桟敷の毛氈も 色に出にけり酒機嫌
神田囃子も勢いよく

祭に対の派手模様 牡丹 釻菊 裏菊の
由縁もちょうど花尽し
祭のなぁ 派手な若い衆が勇みに勇み
身なりを揃えて ヤレ囃せ ソレ囃せ
花山車 手古舞 警固に行列 よんやさ
男伊達じゃの やれこらさ
達引きじゃのと 言うちゃ私に困らせる
色の欲ならこっちでも

常から主の仇な気を 知っていながら女房になって見たいの欲が出て
神や仏を頼まずに 義理もへちまの皮羽織
親分さんのお世話にて 渡りもつけてこれからは
世間構わず人さんの前 はばからず引き寄せて

森の小鴉 我はまた 尾羽をからすの羽さえも
なぞとあいつが得手物の ここが木遣りの家の株

ヤァやんれ引け引け よい声かけてエンヤラサ
やっと抱き締め床の中から 小夜着蒲団をなぐりかけ
何でもこっちを向かしゃんせ
ようい ようい よんやな
良い仲同士の恋諍いなら 痴話と口説は何でもかんでも今夜もせ
オォ東雲の明けの鐘 ごんと鳴るので仲直り済んました
ようい ようい よんやな
そよが締めかけ中網
えんや えんやこれは あれはさのえ(神田祭)

引けや引け引け 引くものにとりては
花に霞よ 子の日の小松 初会の盃 馴染みの煙草盆
お洒落娘の袖たもと 下場の履物
内裏女郎の召し物 座頭のまわし 菖蒲に大根
御神木のしめなわ
又も引くものは色々ござる 湯元細工の剣玉ぶりぶり
そさま故なら心の丈を 示し参らせ候べくの
人形 筆売り この首を 長く出したり縮めたり
なんとのろいじゃあろまいか(申酉)

よいよい よんやな よいよいよんやな 
やれよい声 かけろやー(申酉)

ヤァやんれ引け引け よい声かけてエンヤラサ
やっと抱き締め床の中から 小夜着蒲団をなぐりかけ
何でもこっちを向かしゃんせ
ようい ようい よんやな
良い仲同士の恋諍いなら 痴話と口説は何でもかんでも今夜もせ
オォ東雲の明けの鐘 ごんと鳴るので仲直り済んました
ようい ようい よんやな
そよが締めかけ中網
えんや えんやこれは あれはさのえ(神田祭)

2025.1.7現在


2025.1_syouchikuza!.jpg
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神田祭の解説はこちら(國惠太夫website「神田祭」)

歌詞「落人」~2025年「新春浅草歌舞伎」浅草公会堂バージョン

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歌詞「落人」~2025年「新春浅草歌舞伎」浅草公会堂バージョン

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「落人」

落人も見るかや野辺に若草の すすき尾花はなけれども
世を忍び路の旅衣 着つつ馴れにし振袖も
どこやら知れる人目をば かくせど色香梅が花
散りてもあとの花のなか いつか故郷へ帰る雁
まだはだ寒き春風に 柳の都 後に見て
気も戸塚はと吉田ばし 墨絵の筆に夜の富士
よそめにそれと影くらき 鳥のねぐらを辿り来る

勘平「鎌倉を出でてようようと ここは戸塚の山中 石高道で足は痛みはせぬかや」
お軽「何の まあそれよりは まだ行先が思はれて」
勘平「そうであろう 昼は人目をはばかる故」
お軽「幸い ここの松かげで」
勘平「暫しがうちの足休め」
お軽「ほんにそれが よかろうわいなぁ」

何もわけ無き うさはらし 憂きが中にも旅の空
初ほととぎす明近く

色で逢いしも昨日今日 かたい屋敷の御奉公
あの奥様のお使いが 二人がえんやの御家来で
その悪縁か白猿に よう似た顔の錦絵の
こんな縁しが唐紙の 鴛鴦(おし)の番(つがい)の楽しみに

泊り泊りの旅籠やで ほんの旅寝の仮枕
嬉しい仲じゃないかいな 空定めなき花曇り
暗きこの身のくり言は 恋に心を奪はれて
お家の大事と聞いたとき 重きこの身の罪科と
かこち涙に目もうるむ

勘平「よくよく思へば後先のわきまえもなく ここ迄は来たれども 主君の大事をよそにして この勘平は
   とても生きては居られぬ身の上 其方は言はば女子の事 死後の弔ひ頼むぞや お軽さらばじゃ」
お軽「アレまたその様な事言はしゃんすか 私故にお前の不忠 それがすまぬと死なしゃんしたら
   わたしも死ぬるその時は アレ二人心中じゃと 誰がお前を褒めますぞぇ
   サぁここの道理を聞き分けて ひとまず私が在所へ来て下さんせ 父さんも母さんも
   それはそれは頼もしいお方 もうこうなったが 因果じゃと諦めて
   女房の言ふ事も ちっとは聞いて呉れたがよいわいなぁ」

それ其時の うろたえ者には誰がした みんなわたしがこころから
死ぬるその身を長らえて 思ひ直して親里へ 連れて夫婦が身を忍び
野暮な田舎の暮しには 機も織りそろ賃仕事 常の女子と言はれても 取乱したる真実が
やがて届いて山崎の ほんに私がある故に 今のお前の憂き難儀 堪忍してとばかりにて
人目なければ寄り添うて 言葉に色をや含むらん

勘平「成程聞き届けた それ程迄に思うて呉れるそちが親切 ひとまず立ち越え 時節を待ってお詫びせん」
お軽「そんなら聞き届けて下さんすか」
勘平「さぁ仕度しやれ」
お軽「アイ」

身ごしらえするその所へ

伴内「見付けた おぉ お軽も居るな やーやー勘平
   うぬが主人の塩谷判官高貞と おらが旦那の師直公と
   何か殿中でべっちゃくちゃ くっちゃくちゃと話合するその中に
   ちいちゃ刀をちょいと抜いてちょいと斬った科によって
   屋敷は閉門網乗物にて エッサッサ エッサッサ エッサエッサエッサッサと
   ぼっ帰してしもうた

   さあこれ烏(からす)鶉翻(うずらばん)
   (さあこれからは うぬが番)
   お鴨をこっちへ鳩鷺(はとさぎ)葭切(よしきり)
   (お軽(かる鴨)をこっちへ 渡さば良し)
   ひわだ雁(がん)だと孔雀が最後
   (嫌だ何だとぬかすが最後)
   とっ捕めっちゃ ひっ捕めっちゃ
   やりゃあしょねえが返答は さっ さっ さっさっ さささささ・・・
   勘平返事は丹頂丹頂(たんちょうたんちょう)」
        (何と何と)

丹頂丹頂と呼ばわったり
勘平ふふっと吹きいだし

勘平「よい所へ鷺坂伴内 おのれ一羽で食い足らねど 勘平が腕の細ねぶか
   料理あんばい 喰うてみよえぇ」

大手を拡げて立ったりける

伴内「えぇ 七面鳥な もちで捕れ」
     (しち面倒くさい)
花四天「どっこい」

桜さくらという名に惚れて どっこいやらぬはそりゃ何故に
所詮お手には入らぬが花よ そりゃこそ見たばかり
それでは色にはならぬぞへ 桃か桃かと色香に惚れて
どっこいやらぬはそりゃ何故に 所詮まままにはならぬが風よ
そりゃこそ他愛ない それでは色にはならぬぞ へ

勘平「さぁこうなったらこっちのもの 耳から斬ろか 鼻からそごうか えぇもう一層の事に」
お軽「あ もしっ そいつ殺さばお詫びの邪魔 もうよいわいなぁ」
伴内「へへ もうよいわいなぁ」

口の減らない鷺坂は 腰を抱えてコソコソと 命からがら逃げてゆく

勘平「彼を殺さば 不忠の上に重なる罪科 最早明け方」
お軽「アレ山の端の」
勘平「東がしらむ」
二人「横雲に」

塒をはなれ鳴くからす 可愛い可愛いの女夫づれ
先は急げど心は後へ お家の安否如何ぞと
案じゆくこそォ

2024.12.29現在

2025.1_asakusakoukaidou.jpg

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落人の解説はこちら(國惠太夫website「落人」)

「かさね」歌詞 當る巳歳 吉例顔見世興行 京都南座バージョン

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こんにちは。くにえです。

「かさね」歌詞 當る巳歳 吉例顔見世興行 京都南座バージョン

歌詞

思いをも 心も人に染めばこそ 恋という顔なつ草の

遅れ先立つ二道を


同じ思ひに後先の わかちしどけも夏紅葉
梢の雨やさめやらぬ 夢の浮世と行きなやむ
男に丁度青日傘 骨になる共何のその
跡を逢ふ瀬の女気に こわい道さへようようと
互いに忍ぶ野辺の草 葉末の露か蛍火も
もし追手かと身づくろひ こころ関屋も後になし
木下川堤に着きにけり

与右衛門「これ累 思ひがけないこの所へ そなたはどうして来やったぞ」
累「どうしてとは胴慾な 一緒に死のうと約束して お前一人 覚悟の書置 ここまで慕うて来た程に 共に殺して下さんせ」
与右衛門「切なる心は尤もなれど そなたの養父は御預りの撫子の茶入紛失故 殿様の御とがめ受け それさへあるに 其方と死んでは親への不孝 思ひあきらめ此処から早う 帰ってたも」

言ふ顔つくづく打まもり

ひょんな縁でこのように

遂こうなった 仲じゃ故
勿体ない事乍ら 去年の初秋うらぼんに

祐念様の御十念 その時ふっと見染めたが

ほんに結ぶの神ならで 仏の庭の新枕
初手から蓮のうてなぞと 心で祝ふ菩提心

後生大事の殿御じゃと
奥の勤めの長つぼね 役者びいきの噂にも

どこやら風が成田屋を
お前によそへて楽しむ心 お年忘れに奥御殿 打交りたる騒ぎ唄

入黒子いれぼくろ  起請誓紙は反古にもなろが 五月六月は満更ほぐにも成りやせまい
唄う辻占今の身に あたりて私が恥かしと

あと言いさして口ごもる

与右衛門「はて 是非に及ばぬ それ程迄に思ひつめたる其方の心 可愛いや共に腹の子まで このまま殺すも世の成行 ふびん の者の心やな」

深き心をしら玉の 露の命をわれ故に

思えばびんなき心やと 手を取交し歎きしが せめて義理ある親達や

生みの親へもよそながら
今宵限りの暇乞ひ 不孝の罪は幾重にも

お許しあれと諸共に 川辺に暫し泣き居たる

不思議や流れに漂ふ髑髏 助が魂魄 錆つく鎌

与右衛門「なに 俗名 助」
累「えぇ アイタ アイタアーー イタ ・ ・ ・」
与右衛門「おぉ さては死霊の」
累「アレー」
捕り手 「与右衛門 御用だ」

暫し争ふ折柄に 風に流るるひと節に

夜や更けて 誠に文は ねやの伽

筆のさや焚く煙りさえ

埓も中洲のしらむ東雲

累「あぁもし お前どこへ行かしゃんすえ」
与右衛門「さぁ わしは やぁそなたの顔は」
累「何 わたしの顔が」
与右衛門「おそろしい」
累「何  恐ろしい 恐ろし いはお前の心 さぁその文 一寸見せて下さんせ」
与右衛門「こ こ の手紙は」
累「見せられまい 見せられまいがなぁ ちぇー お前はなぁ」

それその様によそ他に  深い楽しみあればこそ  わしをだまして胴慾な もしやにかかる恋の慾  兎角浮世がままにもならば

帯の矢の字を前垂に 針打やめて落しばら

駒下駄履いて歩いたら  まことに誠に嬉しかろ
ならぬ先まで思ふのも  今更身で身が恥しい  むごいわいのと取つ いて
変る姿を露知らず  色をふくみし取りなりは  憐れにもまたいぢらしや

与右衛門「道理々々 死ぬると云ふは皆いつわり  国へ帰参の此与右衛門 足手まといとは思へども  そなたを連れて これよりすぐに」
累「そんなら一緒に」
与右衛門「さぁ おじゃ」
累「あい」

いそいそ先へたちまちに 

邪慳の刃 血汐の紅葉  竜田の川の瀬と変わる
男の裾にしがみつき

累「アーこりゃ わたしをだまして」
与右衛門「おお  殺すのじゃ」
累「ええ」
与右衛門「 仔細と云ふは  これを見よ」

鏡にうつせば

累「アレー ヤヤヤヤヤ ・ ・ ・こ、こりゃまあどうして此様に  私の顔の変わりしはぁ」
与右衛門「こりゃ累 因果の道理をよっく聞け 汝がためには実の親 菊が夫の助を殺したその報ひ  廻りめぐりてその顔の 変り果てたも前世の約束 この与右衛門は親の仇  これも因果と さぁあきらめて」

成仏せよと無二無三

打ってかかれば身をかはし
のう情けなや うらめしや

身は煩悩のきづなにて 恋路に迷ひ親おやの
仇なる人と知らずして  恪気嫉妬のくどき言

我と我身に惚れ過ぎし 心の内のおもてなや 

つらき心は先の世の  如何なる恨みか忌しと
口説いつ泣いつ 身をかきむしり

人の報ひのあるものか  無きものか
思ひ知れやとすっくと立ち 振乱したる黒髪は

此世からなる鬼女の有様
つかみかかれば与右衛門も 鎌取直して土橋の上
襟髪つかんで ひとえぐり 情容赦も夏の霜  消ゆる姿の八重撫子
これや累の名なるべし 後に伝えし物語

恐ろしかりける

2024.12.3編集

IMG_2231.jpeg

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「かさね」の解説はこちら(國惠太夫WEB Site)

「流星」歌詞 ~信州松本大歌舞伎~まつもと市民芸術館バージョン

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「流星」歌詞~信州松本大歌舞伎~
     まつもと市民芸術館・主ホール バージョン

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※流星は一人の立ち方が「父雷」「母雷」「子雷」「婆雷」を瞬時で踊り分けます。今回は役柄によって歌詞の色を変えてみました。

父雷」「母雷」「子雷」「婆雷





「流星」

それ銀漢と唐詞に つらぬる五言七言の
硬い言葉を柔らぐる 三十一文字の大和歌
天の河原にかわらじと 深くも願う夫婦星
その逢瀬さえ一年(ひととせ)に 今宵一夜の契り故
まだ明星の影薄き 暮れぬうちより織女が
待てば待たるる牽牛も 牛の歩みのもどかしく
心は先へ行き合いの 八重の雲路を辿り来る
それと見るよりかさ鷺の 飛立つ想い押し鎮め

織女「おなつかしや我がつま様 おかわりとてもあらざりしか」
牽牛「おもえば年にただ一度 この七夕に逢うのみにて」
織女「かりの便りもなき身の上」
牽牛「なつかしきは いかばかり」
織女「とりわけ去年は雨降りて」
牽牛「そもじに逢うも三年越し」

しかも続きし長雨に 八十の河原に水増して
妻こし船に棹させど とわたるよすが明け近く
長鳴き鳥に短夜を 思えば牛と引く綱も
あとへ引かるる後朝(きぬぎぬ)に
つれなき別れも昨日と過ぎ
今日は雨気もなか空に 心も晴れて雲の帯び
解けて寝る夜の嬉しさと 寄り添う折から闇雲に

丸い世界へ生まれしからは
恋をするのが特鼻褌(とくびこん)
寝るに手まわし宵から裸
ぞっと夜風にハッハッハッ ハックサメ 
彼奴が噂をしているか エエ畜生めと夕闇を
足も空にて駆け来たり

流星「ご注進 ご注進」
牽牛「誰かと思えば そちゃ流星」
織女「注進とは何事なるか」
牽牛「様子はいかに」
流星「ハハーッ」

さらば候そろそろと 三つ合わせてさん候

およそ夜這いと化け物は 夜中のものに宵の内 
とろとろやろうと思いのほか 一つ長屋の雷が
夫婦喧嘩の乱騒ぎ 
聞けばこの夏流行の 端唄の師匠へ落っこちて
気は失なわねど肝心の 雲を失い居候

聞く女房は呆れ果て
マッコレそんなのろけた鳴りようでは 

恐がるお臍で茶を沸かそう 鳴るなら大きな声をして 
ゴロゴロゴロ ピカピカピカ ゴロゴロゴロ ピカピカピカ
ゴロゴロ ゴロゴロ ゴロゴロゴロゴロ
ゴロゴロ・・・・・ピシャリっと

鳴らねばさまを付けられぬ と言えば
亭主は腹を立て それは昔の雷だ 
大きな声で鳴らずとも 粋に端唄で鳴るのが当世
それがいやなら

父雷「出て行きゃれ」 

母雷「なに出て行けとのォ」
父雷「オオサッ 角を見るのも アァ厭になった」

我がものと思えば軽ろし傘の雪

我がもの故に仕方なく 我慢をすりゃあつけ上がり 
亭主を尻に引きずり女房 サア恋の重荷の子供を連れ
きりきりと出て行きゃれ
 

いえいえここは私の家 
お前は婿の小糠雨 傘一本もない身の上 
汝そうぬかせば了簡がと 打ってかかるを
ゴロゴロゴロ
ゴロゴロゴロと鳴る音に

傍に寝ていた小雷 コヨコヨコヨと起き上がり 
コレ父さん可哀想に母さんを
背負った太鼓じゃあるまいし
何でそのようにたたくのじゃ

堪忍してとコヨコヨコヨ 

かかる騒ぎに隣りから
婆雷が止めに来て 


婆雷「マママこれ」

お前方はどうしたのじゃ 夫婦喧嘩は雷獣も 

喰わぬに野暮を夕立は どんな太鼓の八つ当たり
出て行との一声は

月が鳴いたか時鳥 いつしか白む短夜に まだ寝もやらぬ手枕や

アレおなるさんもくよくよと 
愚痴なようだが コレマ泣いているわいな 
端唄に免じて五郎介どの 了簡してとゴロゴロゴロ 
いえいえ私しゃ 打たれたからは
了簡ならぬとゴロゴロゴロ
 
ならずば汝とゴロゴロゴロ 
父さん待ってコヨコヨコヨ 
これはしたりとゴロゴロゴロ

止めるはずみに雷婆 ウーンとばかりに倒るれば

こりゃころりではあるまいか
医者よ針医と立ち騒げば 
入れ歯の牙を飲み込んで 胸につかえて苦しやと

言うにおかしく仲直り

どこもかしこも大騒ぎ 名残りを惜しむかこち言
雲に掛け橋 流星は 口舌はささらさらりっと
西へ飛ぼうか 東へ飛ぼか とちらへ行こうぞ思案橋
月の出汐に辺りは黒幕天の川
見えるは二人の鵲(かささぎ)の
雲の谷間の勢ぞろォォォい (清元「船」替え歌)

夫婦喧嘩のあらましは
かくの通りと褌(ふんどし)で 汗を拭うて至りける

流星「ありゃもう夜明け ハヤおさらば」

虚空はるかに





2024.7.11現在






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「流星」歌詞 ~歌舞伎町歌舞伎~シアターミラノ座バージョン

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「流星」歌詞~歌舞伎町歌舞伎~
     シアターミラノ座バージョン

ご観劇のお供に是非ご活用下さいませ!


※流星は一人の立ち方が「父雷」「母雷」「子雷」「婆雷」を瞬時で踊り分けます。今回は役柄によって歌詞の色を変えてみました。

父雷」「母雷」「子雷」「婆雷





「流星」

それ銀漢と唐詞に つらぬる五言七言の
硬い言葉を柔らぐる 三十一文字の大和歌
天の河原にかわらじと 深くも願う夫婦星
その逢瀬さえ一年(ひととせ)に 今宵一夜の契り故
まだ明星の影薄き 暮れぬうちより織女が
待てば待たるる牽牛も 牛の歩みのもどかしく
心は先へ行き合いの 八重の雲路を辿り来る
それと見るよりかさ鷺の 飛立つ想い押し鎮め

織女「おなつかしや我がつま様 おかわりとてもあらざりしか」
牽牛「おもえば年にただ一度 この七夕に逢うのみにて」
織女「かりの便りもなき身の上」
牽牛「なつかしきは いかばかり」
織女「とりわけ去年は雨降りて」
牽牛「そもじに逢うも三年越し」

しかも続きし長雨に 八十の河原に水増して
妻こし船に棹させど とわたるよすが明け近く
長鳴き鳥に短夜を 思えば牛と引く綱も
あとへ引かるる後朝(きぬぎぬ)に
つれなき別れも昨日と過ぎ
今日は雨気もなか空に 心も晴れて雲の帯び
解けて寝る夜の嬉しさと 寄り添う折から闇雲に

丸い世界へ生まれしからは
恋をするのが特鼻褌(とくびこん)
寝るに手まわし宵から裸
ぞっと夜風にハッハッハッ ハックサメ 
彼奴が噂をしているか エエ畜生めと夕闇を
足も空にて駆け来たり

流星「ご注進 ご注進」
牽牛「誰かと思えば そちゃ流星」
織女「注進とは何事なるか」
牽牛「様子はいかに」
流星「ハハーッ」

さらば候そろそろと 三つ合わせてさん候

およそ夜這いと化け物は 夜中のものに宵の内 
とろとろやろうと思いのほか 一つ長屋の雷が
夫婦喧嘩の乱騒ぎ 
聞けばこの夏流行の 端唄の師匠へ落っこちて
気は失なわねど肝心の 雲を失い居候

聞く女房は呆れ果て
マッコレそんなのろけた鳴りようでは 

恐がるお臍で茶を沸かそう 鳴るなら大きな声をして 
ゴロゴロゴロ ピカピカピカ ゴロゴロゴロ ピカピカピカ
ゴロゴロ ゴロゴロ ゴロゴロゴロゴロ
ゴロゴロ・・・・・ピシャリっと

鳴らねばさまを付けられぬ と言えば
亭主は腹を立て それは昔の雷だ 
大きな声で鳴らずとも 粋に端唄で鳴るのが当世
それがいやなら

父雷「出て行きゃれ」 

母雷「なに出て行けとのォ」
父雷「オオサッ 角を見るのも アァ厭になった」

我がものと思えば軽ろし傘の雪

我がもの故に仕方なく 我慢をすりゃあつけ上がり 
亭主を尻に引きずり女房 サア恋の重荷の子供を連れ
きりきりと出て行きゃれ
 

いえいえここは私の家 
お前は婿の小糠雨 傘一本もない身の上 
汝そうぬかせば了簡がと 打ってかかるを
ゴロゴロゴロ
ゴロゴロゴロと鳴る音に

傍に寝ていた小雷 コヨコヨコヨと起き上がり 
コレ父さん可哀想に母さんを
背負った太鼓じゃあるまいし
何でそのようにたたくのじゃ

堪忍してとコヨコヨコヨ 

かかる騒ぎに隣りから
婆雷が止めに来て 


婆雷「マママこれ」

お前方はどうしたのじゃ 夫婦喧嘩は雷獣も 

喰わぬに野暮を夕立は どんな太鼓の八つ当たり
出て行との一声は

月が鳴いたか時鳥 いつしか白む短夜に まだ寝もやらぬ手枕や

アレおなるさんもくよくよと 
愚痴なようだが コレマ泣いているわいな 
端唄に免じて五郎介どの 了簡してとゴロゴロゴロ 
いえいえ私しゃ 打たれたからは
了簡ならぬとゴロゴロゴロ
 
ならずば汝とゴロゴロゴロ 
父さん待ってコヨコヨコヨ 
これはしたりとゴロゴロゴロ

止めるはずみに雷婆 ウーンとばかりに倒るれば

こりゃころりではあるまいか
医者よ針医と立ち騒げば 
入れ歯の牙を飲み込んで 胸につかえて苦しやと

言うにおかしく仲直り

どこもかしこも大騒ぎ 名残りを惜しむかこち言
雲に掛け橋 流星は 口舌はささらさらりっと
西へ飛ぼうか 東へ飛ぼか とちらへ行こうぞ思案橋
月の出汐に辺りは黒幕天の川
見えるは二人の鵲(かささぎ)の
雲の谷間の勢ぞろォォォい (清元「船」替え歌)

夫婦喧嘩のあらましは
かくの通りと褌(ふんどし)で 汗を拭うて至りける

流星「ありゃもう夜明け ハヤおさらば」

虚空はるかに





2024.4.29現在




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「神田祭」歌詞 ~四月大歌舞伎〜歌舞伎座バージョン

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「神田祭」歌詞 ~四月大歌舞伎〜歌舞伎座バージョン

ご観劇のお供に是非ご活用下さいませ!

「神田祭」

一歳を今日ぞ祭に当り年 警固手古舞華やかに
飾る桟敷の毛氈も 色に出にけり酒機嫌
神田囃子も勢いよく

祭に対の派手模様 牡丹 釻菊 裏菊の
由縁もちょうど花尽し
祭のなぁ 派手な若い衆が勇みに勇み
身なりを揃えて ヤレ囃せ ソレ囃せ
花山車 手古舞 警固に行列 よんやさ
男伊達じゃの やれこらさ
達引きじゃのと 言うちゃ私に困らせる
色の欲ならこっちでも

常から主の仇な気を 知っていながら女房になって見たいの欲が出て
神や仏を頼まずに 義理もへちまの皮羽織
親分さんのお世話にて 渡りもつけてこれからは
世間構わず人さんの前 はばからず引き寄せて

森の小鴉我はまた 尾羽をからすの羽さえも
なぞとあいつが得手物の ここが木遣りの家の株

ヤァやんれ引け引け よい声かけてエンヤラサ
やっと抱き締め床の中から 小夜着蒲団をなぐりかけ
何でもこっちを向かしゃんせ
ようい ようい よんやな
良い仲同士の恋諍いなら 痴話と口説は何でもかんでも今夜もせ
オォ東雲の明けの鐘 ごんと鳴るので仲直り済んました
ようい ようい よんやな
そよが締めかけ中網
えんや えんやこれは あれはさのえ(神田祭)

引けや引け引け 引くものにとりては
花に霞よ 子の日の小松 初会の盃 馴染みの煙草盆
お洒落娘の袖たもと 下場の履物
内裏女郎の召し物 座頭のまわし 菖蒲に大根
御神木のしめなわ
又も引くものは色々ござる 湯元細工の剣玉ぶりぶり
そさま故なら心の丈を 示し参らせ候べくの
人形 筆売り この首を 長く出したり縮めたり
なんとのろいじゃあろまいか(申酉)

よいよい よんやな よいよいよんやな 
やれよい声 かけろやー(申酉)

ヤァやんれ引け引け よい声かけてエンヤラサ
やっと抱き締め床の中から 小夜着蒲団をなぐりかけ
何でもこっちを向かしゃんせ
ようい ようい よんやな
良い仲同士の恋諍いなら 痴話と口説は何でもかんでも今夜もせ
オォ東雲の明けの鐘 ごんと鳴るので仲直り済んました
ようい ようい よんやな
そよが締めかけ中網
えんや えんやこれは あれはさのえ(神田祭)

2024.3.31現在




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「喜撰」歌詞 2024年 三月大歌舞伎

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「喜撰」歌詞 2024年 三月大歌舞伎バージョン

長唄・清元 掛け合い




※長唄=赤


我庵は芝居の辰巳常盤町 しかも浮世を離れ里
世辞で丸めて浮気でこねて 小町桜の眺めに飽かぬ
彼奴にうっかり眉毛を読まれ
法師法師はきつつきの 素見ぞめきで帰らりょうか
わしは瓢箪浮く身じゃけれど
主は鯰のとり所 ぬらりくらりと今日もまた
浮かれ浮かれて来りける 

もしやと御簾を余所ながら 喜撰の花香茶の給仕
波立つ胸を押し撫でて しまりなけれど鉢巻も
幾度しめて水馴れ掉
濡れて見たさと手を取って 小野の夕立縁の時雨
化粧の窓に手を組んで どう見直して胴振るい
今日の御見の初昔 悪性と聞いて此胸が
朧の月や松の影
わたしゃお前の政所 何時か果報も一森と
褒められたさの身の願い
惚れ過ぎる程愚痴な気に
心の底の知れ兼ねて
じれったいでは ないかいな
何故惚れさしたコレ姉ェ
うぬぼれ過ぎた悪洒落な
賤が伏屋に糸取るよりも 主の心がそれそれ取りにくい エェさりとは
機嫌気づまも不断から 酔うたお客の扱いは
見馴れ聞き馴れ目顔で悟る 粋を通した其あとは コレひぞり言
粋と云はれて浮いた同士

ヤレェェ色の世界に出家を遂げェェる
ヤレヤレヤレヤレ細かにちょぼくれ
愚僧が住家は京の辰巳 世を宇治山とや人は云ふなり
ちゃちゃくちゃ茶園の 咄す濃い茶の緑の橋姫
夕べの口舌の袖の移香 花橘の小島が崎より
一散走りに走って戻れば 内の嬶が恪気の角文字
牛も涎を流るる川瀬の 内へ戻って我から焦がる
蛍を集め手管の学問
唐も日本も里の恋路か 山吹流しの水に照り添ふ
朝日のお山に誰でも彼でも 二世の契りは平等院とや
さりとは是はうるせぇこんだに
奇妙頂礼ど如らァァァい
ここに極まる楽しさよ

(坊主大勢出)

住吉の岸辺の茶屋に腰打ちかけて ヨイヤサ コレハイナ
松でェ釣ろやれェェェ蛤ィを 逢ふて嬉しきヤンレ夏の月
ヤットコセ ヨイヤナ アリャリャ これわいなぁ このなんでもせえ

難波江の片葉の芦の結ぼれかかり ヨイヤサ コレワイナ
解けてェほぐれてェェェ逢ふことォも
待つに甲斐あるヤンレ夏の雨
ヤットコセ ヨイヤナ アリャリャ これわいなぁ このなんでもせえ

姉さんおん所かえ 島田金谷は川の間 旅籠はいつもお定まり
お泊りならば泊らんせ お風呂もどんどん沸いている
障子もこの頃張替えた 畳もこの頃かえてある
お寝間のお伽も負けにして
草鞋の紐に仇どけの 結んだ縁の一夜妻
あんまり憎うも あるまいか
てもそうだろ そうだろ そうであろ
住吉様の岸の姫松 めでたさよ
いさめの御祈祷 清めの御祈祷 天下泰平国土安穏 目出度さよ
来世は生を黒牡丹 己のが庵 へ帰り行く 我が里さしてぞ



2024.2.29 現在

2024.3.3 修正

喜撰の解説はこちら
國惠太夫 Website「喜撰」解説

「吉野山」歌詞 2024年 二月御園座大歌舞伎

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「吉野山」歌詞

二月御園座大歌舞伎~十三代目市川團十郎白猿襲名披露 八代目市川新之助初舞台~バージョン

※赤=竹本連中

恋と忠義はいずれが重い 掛けて思いは計りなや
静に忍ぶ旅立ちや

馴れぬ茂みのまがい道 弓手(ゆんで)も馬手(めて)も若草を
分けつつ行けば あさる雉子(きぎす)のぱっとたっては
ほろろ けんけん ほろろうつ
なれは子ゆえに身を焦がす 我は恋路に迷う身の
ああ羨まし 妬ましや

谷の鶯 初音のつづみ はつねの鼓
調あやなす音に連れて つれて真似草 音に連れて
遅ればせなる忠信が 吾妻からげの旅姿
背に風呂敷 しかと背負たらおうて 野道あぜ道ゆらりゆらり
軽いとりなりいそいそと 目立たぬように道隔て

静 「おぉ忠信殿 待ちかねましたわいな」
忠信「これはこれは静様 女中の足と侮って思わぬ遅参 まっぴら御免くださりましょう」
静 「ここは名に負う吉野山 四方の梢もいろいろに」
忠信「春立つと 云うばかりにや三吉野の」
静 「山も霞みて」
忠信「今朝は」
両人「見ゆらん」

見渡せば 四方の梢もほころびて
梅が枝唄う歌姫の 里の男子が声々に
我が夫が天井ぬけて据える 昼の枕はつがもなや
可笑し烏の一節に

弥生は雛の妹背中 女雛男雛と並べておいて
眺めに飽かぬ三日月の 宵に寝よとは きぬぎぬに
急かれまいぞと恋の欲 桜は酒が過ぎたやら
桃にひぞりて後ろ向き 羨ましうは ないかいな

忠信「せめては憂さを 幸い 幸い」

姓名添えて賜わりし 御着せ長を取り出だし
君と敬い奉る しずかは鼓を御顔と よそえて上に置きの石
人こそ知らね西国へ 御下向の御海上 波風荒く御船を
住吉浦に吹き上げられ それより吉野にまします由
やがてぞ参り候らはんと 互いに形見を取り納め
実にこの鎧を賜わっしも 兄継信が忠勤なり

静 「なに継信が 忠勤とや」

誠にそれよ 来し方を

思いぞ出る壇ノ浦の

忠信「海に兵船 平家の赤旗 陸(くが)に白旗」

源氏の強者 あら物々しやと夕日影 長刀引きそばめ
何某は平家の侍 悪七兵衛景清と名乗りかけ
薙ぎ立て薙ぎ立て 薙ぎ立つれば
花に嵐のちりちりぱっと 木の葉武者
言い甲斐なしとや方々よ 三保谷の四郎これにありと
渚にちょうと打ってかかる 刀を払ろう長刀の えなれぬ振る舞い いづれとも
勝り劣りは波の音 打ち合う太刀の鍔元(つばもと)より 折れて引く潮 帰る雁
勝負の花と見すつるかと 長刀小脇にかい込んで 兜の錣(しころ)を引っ掴み
後へ引く足 たじたじたじ 向こうへ行く足 よろよろよろ
むんずと錣をひっ切って 双方尻江に どっかと座す
腕の強さと言いければ
首の骨こそ強けれと
ムフフフフフ ダハハハハハ
笑いし後は入り乱れ 手しげき働き兄継信
君の御馬の矢面に 駒を駆け据え立ち塞がる

静 「おぉ聞き及ぶその時に 平家の方にも 名高き強弓」

能登守

静 「教経と」

名乗りも和えず よっ引いて 放つ矢先は恨めしや
兄継信が胸板に たまりもあえず真っ逆さま 敢え無き最後は武士の
忠臣義士の名を残す 思い出ずるも涙にて 袖は乾かぬ筒井筒

掛かるところへ早見の藤太 家来引き連れ立ち至る

※早見の藤太・家来 セリフ (舞台でお楽しみに!)※

禰宜が鼓に鈴振る手元 ちょっと鳥居を ありゃありゃしてこい
飛び越え狐 愛嬌も 宇賀の御霊は玉姫稲荷
妻恋 染めて嫁入りして
そこらでしめたぞ天日照り
堅い契りのお岩様 四ツ谷でお顔を三巡りに
好いたらしいと思うたる 縁に引かれて車咲き
ちょっとおさえた強力の
袖すり抜けてどっこいな
えぇもうしつこい そこいらで
翁稲荷か とうとうたらり 喜びありや烏森

いつか御身も伸びやかに 春の柳生の いと長く
枝を連ぬる御契り などかは朽ちしかるべきと
互いに諫め いさめられ 急ぐとすれど はかどらぬ 芦原峠 鴻の里
雲と見紛う三吉野の
麓の里にぞ

2024.1.29 現在


吉野山の解説はこちら

國惠太夫Web site 「吉野山」解説

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「流星」歌詞 〜2024年 新春浅草歌舞伎〜

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「流星」歌詞 〜2024年 新春浅草歌舞伎〜 浅草公会堂バージョン

ご観劇のお供に是非ご活用下さいませ!



清元「流星」

父雷 母雷 子雷 婆雷

それ銀漢と唐唄に 連ぬる五言七言の
かたい言葉を柔らぐる 深くも願ごう女夫星
折からここへ流星が

丸い世界へ生まれしからは 恋をするのが特鼻褌(とくびこん)
寝るに手まわし宵から裸 ぞっと夜風にハッハッハッ ハックサメ
彼奴が噂をしているか エエ畜生めと夕闇を 足も空にて駆け来たり

流星「ご注進ご注進」

さらば候そろそろと 三つ合わせてさん候

およそ夜這いと化け物は 夜中のものに宵の内
とろとろやろうと思いのほか 一つ長屋の雷が 夫婦喧嘩の乱騒ぎ

聞けばこの夏流行の 端唄の師匠へ落っこちて
気は失なわねど肝心の 雲を失い居候

聞く女房は呆れ果て マッコレそんなのろけた鳴りようでは 
恐がるお臍で茶を沸かそう 鳴るなら大きな声をして 
ゴロゴロゴロ ピカピカピカ ゴロゴロゴロ ピカピカピカ
ゴロゴロ ゴロゴロ ゴロゴロゴロゴロ ゴロゴロ・・・・・ピシャリっと
鳴らねばさまを付けられぬ と言えば
亭主は腹を立て それは昔の雷だ 
粋に端唄で鳴るのが当世 それがいやなら
父雷「出て行きゃれ」

母雷「なに出て行けとえぇ」
父雷「オオサッ 角を見るのも アァ厭になった」

我がものと思えば軽ろし傘の雪

父雷「我がもの故に仕方なく 我慢をすりゃあつけ上がり 亭主を尻に引きずり女房 サア恋の重荷の子供を連れ きりきりと出て行きゃれ」
母雷「いえいえここは私の家」

お前は婿の小糠雨 傘一本もない身の上
汝そうぬかせば了簡がと 打ってかかるを
ゴロゴロゴロ ゴロゴロゴロと鳴る音に

傍に寝ていた小雷 コヨコヨコヨと起き上がり 

子雷「コレ父さん可哀想に母さんを」


背負った太鼓じゃあるまいし 何でそのようにたたくのじゃ

堪忍してとコヨコヨコヨ 

かかる騒ぎに隣りから 婆雷が止めに来て 

婆雷「マママこれ お前方はどうしたのじゃ 夫婦喧嘩は雷獣も 喰わぬに野暮を夕立は どんな太鼓の八つ当たり 出て行との一声は」

月が鳴いたか時鳥

アレおなるさんもくよくよと 
愚痴なようだが コレマ泣いているわいな
端唄に免じて五郎介どの 了簡見してとゴロゴロゴロ
いえいえ私しゃ 打たれたからは 了簡ならぬとゴロゴロゴロ
ならずば汝とゴロゴロゴロ
父さん待ってコヨコヨコヨ
これはしたりとゴロゴロゴロ
止めるはずみに雷婆 ウーンとばかりに倒るれば

こりゃころりではあるまいか
医者よ針医と立ち騒げば
入れ歯の牙を飲み込んで 胸につかえて苦しやと

言うにおかしく仲直り 夫婦喧嘩のあらましは
かくの通りと手ぬぐいで 汗を拭うて至りける

流星「ありゃもう夜明け お二人様にはお床入り ハヤおさらば」

虚空はるか

西へ飛ぼうか東へ飛ぼか どちへ行こうぞ 思案橋

2024.1.1 現在


流星の解説はこちら

國惠太夫Web site 「流星」解説





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清海波 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「清海波」のプチ解説と歌詞をお送りいたします。

 

 

この記事は4~5分ででお読みいただけます。

 

 

 

清海波(せいがいは)

 

 

 

 

解 説

 

作詞 永井素岳  作曲 二世清元梅吉(部分作曲 五世清元延寿太夫)

初演 明治30年(1897年)6月20日、両国中村楼

 

この曲は五世清元延寿太夫名披露目の会で開曲され、素演奏のため本名題はありません

初代清元延寿太夫の定紋が「青海波」だったこと、初代の前名「豊後路清海太夫(ぶんごじきよみだゆう)」を名乗っていたことに因み清元では「清海波」とも書きます。

 

終盤の部分「ヤンラ月の名所・・・」を舟唄と言い、五世延寿太夫が新潟の追分にヒントを得て作曲したと伝わります。

 

 

 東北より順に日本の名高い海の名称を始めとして、神話、七夕などの物語、流行り唄、春夏秋冬の季節などを取り入れた歌詞になっています。

 

 

歌 詞

 

神代より光り輝く日の本や 干珠満珠の世語りを

今に伝えて陸奥(みちのく)の 千賀の塩竈 煙りたつ

霞に明けし松島の 眺めはつきぬ春の日の

潮の干潟をゆく袖に うつす薫りも懐しき

梅の花貝 桜貝 みるめの磯のあかぬなる

花のあと踏む夏山の 筑波が覗く船の中

 

逢瀬の浦の ささめごと いつか浮名も立浪の

うち込んでいる真心に 待つとは恋の謎々も

解けた素顔の夏の富士 清見の沖や三保が崎

まつに本意なき青東風に 憎や葦辺の片男波

その通い路は星合いの 中かけ渡す かささぎの

天の橋立 きれ戸とは 裏表なる播磨潟

汐汲む海女のしるしとて みどりの秋を残したる

恋は昔のうたひもの

 

あら めで鯛は神の代に 赤目と召され そめしより

蛭子の神の釣り上げし 二世の かため の懸鯛に

縁しを繋ぐ諸白髪 若やぐ尉(じょう)と うば玉の

闇の景色は漁火の ちらり ちらちら月の出汐に

網引の声の 節も拍子も一様に

 

ヤンラ月の名所は よそほかに 鳴いて明石の浜千鳥

ヤサホウ ヤサホウ 主に淡路は気にかかる

室の泊りを ソレ松帆の浦よ ヤサホウ エンヤ ヤサホウ エンヤ 面白や

 

波も静かに 青きが原を中にひかえて住吉と 名も高砂の夫婦松

雪にもめげぬ深みどり 栄ゆく家の寿を

なほ幾千代も延ぶるなる 直ぐな心の清元と

めでたく祝ふ泰平の 君が余沢ぞありがたき 

 

 

 

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

  

 

 

 

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清元 國惠太夫

三社祭 プチ解説&全曲歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「三社祭」のプチ解説と歌詞をお送りいたします。

 

 

この記事は6~7分ででお読みいただけます。

 

 

 

三社祭(さんじゃまつり)

 

 

解 説

 

作詞 二代目瀬川如皐  作曲 初代清元斎兵衛(清元栄治郎説有り)

初演 1832年(天保3年)3月 江戸中村座

 

本名題を「弥生の花浅草祭(やよいのはな あさくさまつり)」と言い、通称を「三社祭」と表します。

かつては登場人物より「善玉悪玉」と言っていました。

題に弥生とあるのは三社祭は元々3月に行われていたことに由来します。

 

 

本来この狂言は

上「神功皇后と武内宿禰」(常磐津)

下「善玉悪玉(三社祭)」(清元)

と分かれていて、上は山車人形として人物の登場する三社祭の場、下は宮戸川で漁をする兄弟の場です。

 

上記の通り、清元の場面は直接お祭りとは関係ない場なのですが、近年単体で上演される事が多くなり「三社祭」の通称が定着したものと考えられます。

 

登場人物は三社祭のルーツである「檜前浜成(ひのくまのはまなり)檜前竹成(ひのくまのたけなり)」の兄弟の漁師です。

※三社祭のルーツの詳しい内容は浅草観光連盟様HPをご覧ください。

 

 

ある日宮戸川(隅田川の一部)で檜前兄弟が漁をしていると空から「善玉」と「悪玉」が乗り移ってしまい、悪玉が昔の悪人たちを語るという筋です。

 

この「善玉」「悪玉」というものは、当時流行した「心学」という一種の道徳思想で、人間の善い行いも悪い行いも「玉」が憑りついて操っているという考えです。

「三社祭」は漁師兄弟が浅草観音を拾い上げた伝説と流行の心学をミックスした当時の最先端をゆくエンターテイメントだったのでしょう!

 

 

 

 

 

歌 詞

 

弥生なかばの花の雲 鐘は上野か浅草の

利生は深き宮戸川 誓ひの網のいにしえや 三社祭の氏子中

 

もれぬ誓ひや網の目に 今日の獲物も信心の

おかげお礼に朝参り 浅草寺の観世音

網の光りは夕鯵や 昼網夜網に凪もよく乗込む

河岸の相場に しけは 生貝生鯛生鰯

なまぐさばんだばさらんだ わびた世界じゃないかいな

そなた思えば七里が灘をのう 命ゃ捨て貝い来たものなしかえ戻ろうよ

捨て貝来たもの命ゃ 命ゃ捨て貝来たものなしかえ戻らうよ

サァサ何んとしょか どしょかいな

撞いてくりゃんな八幡鐘よ 可愛いお人の 人の目をさます

お人の人の可愛い 可愛いお人の 人の目をさます

サァサ何としょか どしょかいな 帰りましょ 待たしゃんせ

憎や烏が啼くいな 斯かる折から虚空より

風なまぐさく身にしむる呆れて暫し両人は 大空きっと見あぐれば

 

「善か悪かの二つの玉」

「あらはれ出でたは」

「こいつは」

「稀有だわえ」

 

あーら 不思議やな 一つ星なら長者にも ならんで出たる二ない星

あらはれ出でたる二つ玉 思ひがけなく落散る風の

ぞっと身に沁みうろたへ伏し悶絶するこそ

悪にとっては 事もおろかや 悪七別当 悪禅師

保元平治に悪源太 梶原源太は梅ケ枝を

蛭の地獄へ落したためしもありとかや

これは昔の物語

それが嫌さに気の毒さに おいらが宗旨はありがたい

弘法大師のいろはにほへと 変わる心はからくり的

北山時雨じゃないけれど 振られて帰る晩もあり それでお宿の首尾もよく

とかく浮世は儘にはならぬ 善に強きは コレ善の綱

牛に曳かれて善悪は 浮かれ拍子の一踊り

 

早い手玉や品玉の 品よく結ぶ玉襷 かけて思ひの玉櫛毛

開けて口惜しき玉手箱 かよふ玉鉾 玉松風の

もとはざざんざで唄えや唄えや うかれ烏の烏羽玉や

うややれ やれやれ そうだぞそうだぞ 声々に

しどもなや

唄うも舞うも 法の奇特に善玉は 消えて跡なく失せにけり

 

 

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

 

玉屋 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「玉屋」のプチ解説と歌詞をお送りいたします。

 

 

この記事は5~6分ででお読みいただけます。

 

 

 

玉屋(たまや)

 

 

解 説

 

作詞 二代目瀬川如皐  作曲 初代清元斎兵衛(清元栄治郎説有り)

 

初演 天保3年(1832年)7月。江戸中村座

 

本名題を「おどけ俄煮珠取(おどけにわかしやしゃぼんのたまとり)」、通称を「玉屋」と言います。

 

元々は二代目中村芝翫が四変化で踊ったものの一幕として上演されていました。また四幕ともすべて「玉」に関連する題材を扱っていました。

 

  恵比須         長唄

  竜王          長唄

  珠取海女        長唄

  しゃぼん玉売り(玉屋) 清元

 

 

主人公は当時の人々には貴重で珍しい「シャボン玉」を吹いて見せるという大道芸人です。

 

冒頭の歌詞

「さぁさ 寄ったり 見たり 吹いたり 評判の 玉屋」と、子供や近所の人を集めるための売り声。

この売り声には「4ったり 3たり 2いたり 1ょうばん」と洒落て数字が隠されています。

 

当時にカウントダウンという概念があったかは謎ですが、お客を集めてシャボン玉を吹く景気付けにはなっていたのかもしれません(笑)

 

現在では思いもつかない職業ですが、「玉」に関連するものを歌詞に多く盛り込んでいて、当時の江戸庶民の文化や風俗を紐解くきっかけになっているという学者さんも居るくらいに江戸の空気を感じれるのではと思います(≧▽≦)

 

 

 

 

 

歌 詞

 

さぁさ寄ったり見たり 吹いたり評判の玉屋玉屋

商う品は八百八町 毎日ひにちお手遊び 子供衆寄せて辻々で

お目に掛値のない代物を お求めなされと辿り来る

 

玉屋「さあさあ評判評判 お子さま方のお慰み

   何でもかでも吹き分けてご覧に入れましょう

   先ず玉の始まりは」

 

今度仕出しじゃなけれども お子様方のおなぐさみ

ご存じ知られた玉薬

鉄砲玉とはこと変わり 当たって怪我のないお土産で

曲は様々 大玉小玉吹き分けは その日その日の風次第

まず玉尽くしで言おうなら たまたま来れば人の客

などとじらせば口真似の こだまもいつか呼子鳥

たつきも知らぬ肝玉も しまる時にはそろばん玉の

堅いおやじに輪をかけて 若いうちから数珠の玉

オットとまった性根玉 しゃんとそこらでとまらんせ

とまるついでにわざくれの 蝶々とまれをやってくりょ

 

蝶々とまれや菜の葉にとまれ 菜の葉いやなら葭の先へとまれ

それとまった 葭がいやなら木にとまれ

 

つい染み易き廓の水 もし花魁へおいらんと

言ったばかりで後先は

恋の暗闇辻行燈の 陰で一夜は立ち明かし 格子のもとへも幾度か

遊ばれるのは初めから 心で承知しながらも

もしやと思うこけ未練

昼の稼ぎも上の空 鼻の先なる頬かむり

 

吹けば飛ぶよな玉屋でも お屋敷さんのお窓下

犬にけつまずいて オヤ馬鹿らしい

 

口説きついでにおどけ節 伊豆と相模はいよ国向かい

橋を架きょやれ船橋を 橋の上なる六十六部が落っこった

笈は流 るる錫杖は沈む 中の仏がかめ泳ぎ 坊さん忍ぶは闇がよい

月夜にはあたまがぶらり しゃらりと

のばさ頭がぶらりしゃらりと こちゃ構やせぬ

衣の袖の綻びも構やせぬ しどもなや

 

折も賑う祭礼の 花車の木遣りも風につれ

オーエンヤリョー

いとも畏き御代に住む 江戸の恵みぞありがたき

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

 

雁金 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「雁金」のプチ解説と歌詞をお送りいたします。

 

 

この記事は4~5分ででお読みいただけます。

 

 

 

雁金(かりがね)

 

 

解 説

 

作詞 河竹黙阿弥 作曲 二世清元梅吉

初演 明治14年(1881年)11月。東京新富座。
 
本名題 色増栬夕映(いろまさるもみじのゆうばえ)。通称を「雁金」といいます。
 
この曲は「島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ)」の三幕目「神楽坂 望月輝の妾宅の場」で妾の弁天お照との色模様を扱った作品です。
望月輝とお照が、隣から聞こえる清元や鈴虫の音を聞いて互いの身の上を語り合うという艶っぽい内容です。
 
現在では芝居の筋立てに関係なく、女性1人で恋人を待つという内容で舞踊化されたりする事の多い名作です。
因みに
二世清元梅吉はお京(都一いな)を後妻と迎えました。
この女性は「一中節」の名手でその影響もあってか、この雁金には一中節の型が色濃く反映されています。
 
 
 

 

 

歌 詞

 

 
 
 
雁金を 結びし蟵(かや)も 昨日今日
残る暑さを忘れてし 肌につめたき風たちて
ひるも音をなく蟋蟀に 哀れを添える秋の末
我が身一つにあらねども 憂きにわけなきことにさへ
露の涙のこぼれ萩 くもりがちなる空ぐせに
夕日の影の薄紅葉 梅も桜も色かえる
中に常磐の松のいろ
 
まだその時は卯の花の 夏のはじめに白河の
関はなけれど人目をば 厭ふへだての旅の宿
飛び交う蝶に灯の 消えて若葉の木下闇
おもはぬ首尾にしっぽりと 結びし夢も短夜に
覚めて恨みの明の鐘
 
空ほの暗き東雲に 木の間がくれのほととぎす
鬢のほれをかきあぐる 櫛の雫か しづくか露か
濡れて嬉しき朝の雨 はや夏秋もいつしかに
過ぎて時雨の冬近く 散るや木の葉のばらばらと
風に乱るる萩すすき 草の主は誰ぞとも
名を白菊の咲出でて 匂ふ此家ぞ知られける

 

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

 

四季三葉草 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「四季三葉草」のプチ解説と歌詞をお送りいたします。

 

 

この記事は6~7分ででお読みいただけます。

 

 

 

四季三葉草(しきさんばぞう)

 

 

解 説

 

開曲は1838年(天保9年)夏。

素浄瑠璃として作られたために本名題はありません。

 

作詞者は三枡屋二三治(みますやにそうじ)、作曲者は二世清元斎兵衛。

二世清元延寿太夫が初語りをしたと言われています。

 

名前の読み通り「式三番叟」の歌詞を四季の草花の名前と語呂を合わせして作られました。

 

冒頭部分には謡曲(能)の「翁」を引用して重厚感を演出します。

ちなみに

「とうとうたらり たらりら たらりあがり ららりとう」

これが冒頭部分の歌詞なのですが日本語ではない感じがします(;'∀')

 

調べると歌詞のルールには諸説ある様です。

 

・チベット地方(サンスクリット語)をそのまま引用した説

・仏教のお経を引用した説

・笛の楽譜説

などなど

 

現在でもいくつか説があるようです。

 

曲の歌詞に「」「」「」「」のパートがございますので、下記の歌詞に色を付けておきたいと思います(/・ω・)/

 

歌 詞

 

とうとうたらり たらりら たらりあがり ららりとう

ところ千代まで 変らぬ色の みどりたつ春 まつの花

曽我菊の名も翁草 そよやいづくの花の滝

玲々と落ちて水の月 素袍(すおう)の袖も千歳(せんざい)の

梅が香慕とう うぐいすも 初音床しきわが宿の 竹も直なる一節に

うつして四季の三葉草 立舞う姿いと栄(は)えて

桃は初心に柳はませた 風の縺れ(もつれ)に解けかかる こちゃ海棠(かいどう)つぼみのままよ

うら山吹に若楓 藤色衣 主とても かざす袂の桜狩 その盃の数よりも

 

おおさえ おおさえ 喜びありや 喜びありや 幸ひこころに任せたり

 

千早振る神の昔に あらなくに 卯の花垣根白浪の 渚の砂(いさご)さくさくとして

あしたの花の富貴草

女子ごころは芍薬(しゃくやく)に 思うたばかり姫百合の まだ葉桜も染めぬのに 

そりゃあんまりな梨の花 気も石竹に軒の妻 菖蒲も知らで折添へて いつか手生けの床の花

元の座敷へおもおもと お直り候らえ ようがましや さはらば一枝参らしょう そなたこそ

君が由縁の色見草 うつろう水に杜若(かきつばた) 池のみぎわに鶴亀の 縁し嬉しき踊り花

 

女郎花 宵の約束小萩が許で 尾花招けば糸薄(いとすすき)通ふ心の百夜草(ももよぐざ)

こちゃこちゃ真実 愛おしらし そうじゃいな しほらしや

時雨の紅葉寒菊や 水仙清き枇杷の花 花の吹雪のサラサラさっと

山茶花や 恵みに花の勲しは 千代に八千代の玉椿

眺めつきせぬ花の時 今も栄えて清元の 治まる家とぞ祝しける

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

 

落人 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。
 
今回は清元「落人」の解説&歌詞を書きたいと思います。
 
 
 
 

 

 

この記事は7~8分ででお読みいただけます。

 

 

 

落人(おちうど)

 

 

解 説

 

 

本名題を「道行旅路花聟(みちゆきたびじのはなむこ)」といいます。
1883年(天保4年)3月に江戸河原崎座で初演。
 
「仮名手本忠臣蔵」の大ヒットにより場面を「表裏」で増やし、この落人は三段目の裏と称して「早野勘平」と「腰元お軽」の道行物として上演されました。
 
作詞は三升屋二三治、作曲は初世清元榮次郎(清元斎兵衛、二世清元延寿太夫との説も有り)。

初演時の配役は勘平を七世市川海老蔵、お軽を三世尾上菊五郎、鷺坂伴内を尾上梅五郎です。
 
 
 
勘平とお軽は罪人となって共に落ち延びて行かねばならなくなりました。

塩谷判官(浅野内匠頭)の登城の供として選ばれた勘平でしたが、恋仲であるお軽が逢いに来てしまいます。
途中鷺坂伴内に絡まれてしまいますが何とか切り抜けます。
しかし時間を要してしまい、勘平はお供に遅れてしまうのでした。
 
その塩谷判官は高師直(吉良上野介)を殿中で斬りつけるという事件が発生してしまいます。
 
自らの色事で主君の大切な場に居合わせる事が出来なかったら勘平は大いに悔やみ、自害を試みます。

そこでお軽が説得に努め、一先ず自分の里へと「落ち人」となって道行をする事になるのでした。
 


場面は道行の途中、戸塚の山中です。
 
落ち延びる二人は人目を忍ぶために夜に歩き続けます。
途中松かげで休憩をしながら自分たちの馴れ初めや勘平の自害にはやる行動をお軽は諫めます。

 

 

そこへ江戸よりの追手「鷺坂伴内」らと遭遇し戦いになります。

 

この戦いの部分は「鳥ずくし」の掛け言葉と軽快なリズムが聴きどころです。
(※下記の歌詞に掛かっている言葉も色を変えて掲載しますのでご参照ください!)
 
無事伴内らを追い返し、二人は旅を急ぐのでした。
 

 

 

ちなみに舞台では美しく観えるようにライトを煌々とつけておりますが、話の筋では夜中から明け方にかけての時間帯です(笑)
 
 
 
 
 
 
 

歌 詞

 
 
 
 

落人も見るかや野辺に若草の すすき尾花はなけれども
世を忍び路の旅衣 着つつ馴れにし振袖も
どこやら知れる人目をば かくせど色香梅が花
散りてもあとの花のなか いつか故郷へ帰る雁
まだはだ寒き春風に 柳の都 後に見て
気も戸塚はと吉田ばし 墨絵の筆に夜の富士
よそめにそれと影くらき 鳥のねぐらを辿り来る

 
勘平「鎌倉を出でてようようと ここは戸塚の山中 石高道で足は痛みはせぬかや」
お軽「何の まあそれよりは まだ行先が思はれて」
勘平「そうであろう 昼は人目をはばかる故」
お軽「幸い ここの松かげで」
勘平「暫しがうちの足休め」
お軽「ほんにそれが よかろうわいなぁ」
 
 
何もわけ無き うさはらし 憂きが中にも旅の空
初ほととぎす明近く
 
色で逢いしも昨日今日 かたい屋敷の御奉公
あの奥様のお使いが 二人がえんやの御家来で
その悪縁か白猿に よう似た顔の錦絵の
こんな縁しが唐紙の 鴛鴦(おし)の番(つがい)の楽しみに
 
泊り泊りの旅籠やで ほんの旅寝の仮枕
嬉しい仲じゃないかいな 空定めなき花曇り
暗きこの身のくり言は 恋に心を奪はれて
お家の大事と聞いたとき 重きこの身の罪科と
かこち涙に目もうるむ
 
 
勘平「よくよく思へば後先のわきまえもなく ここ迄は来たれども 主君の大事をよそにして
   この勘平はと ても生きては居られぬ身の上 其方は言はば女子の事 
   死後の弔ひ頼むぞや お軽さらばじゃ」
お軽「アレまたその様な事言はしゃんすか 私故にお前の不忠 それがすまぬと死なしゃんしたら
   わたしも死ぬるその時は アレ二人心中じゃと 誰がお前を褒めますぞぇ
   サぁここの道理を聞き分て ひとまず私が在所へ来て下さんせ 父さんも母さんも
   それはそれは頼もしいお方 もうこうなったが 因果じゃと諦めて
   女房の言ふ事も ちっとは聞いて呉れたがよいわいなぁ」
 
 
それ其時の うろたえ者には誰がした みんなわたしがこころから
死ぬるその身を長らえて 思ひ直して親里へ 連れて夫婦が身を忍び
野暮な田舎の暮しには 機も織りそろ賃仕事 常の女子と言はれても 取乱したる真実が
やがて届いて山崎の ほんに私がある故に 今のお前の憂き難儀 堪忍してとばかりにて
人目なければ寄り添うて 言葉に色をや含むらん
 
 
勘平「成程聞き届けた それ程迄に思うて呉れるそちが親切 ひとまず立ち越え
   時節を待ってお詫びせん」
お軽「そんなら聞き届けて下さんすか」
勘平「さぁ仕度しやれ」
お軽「アイ」
 
 
身ごしらえするその所へ
 
 
伴内「見付けた おぉ お軽も居るな やーやー勘平
   うぬが主人の塩谷判官高貞と おらが旦那の師直公と
   何か殿中でべっちゃくちゃ くっちゃくちゃと話合するその中に
   ちいちゃ刀をちょいと抜いてちょいと斬った科によって
   屋敷は閉門網乗物にて エッサッサ エッサッサ エッサエッサエッサッサと
   ぼっ帰してしもうた
 
   さあこれ烏(からす)鶉翻(うずらばん)
   さあこれからは うぬが番
   お鴨をこっちへ鳩鷺(はとさぎ)葭切(よしきり)
   お軽(かる鴨)をこっちへ 渡さば良し
   ひわだ雁(がん)だと孔雀が最後
   嫌だ何だとぬかすが最後
   とっ捕めっちゃ ひっ捕めっちゃ
   やりゃあしょねえが返答は さっ さっ さっさっ さささささ・・・
   勘平返事は丹頂丹頂(たんちょうたんちょう)」
        何と何と
 
 
丹頂丹頂と呼ばわったり
勘平ふふっと吹きいだし
 
 
勘平「よい所へ鷺坂伴内 おのれ一羽で食い足らねど 勘平が腕の細ねぶか
   料理あんばい 喰うてみよえぇ」
 
 
大手を拡げて立ったりける
 
 
伴内「えぇ 七面鳥な もちで捕れ」
      しち面倒くさい
花四天「どっこい」
 
 
桜さくらという名に惚れて どっこいやらぬはそりゃ何故に
所詮お手には入らぬが花よ そりゃこそ見たばかり
それでは色にはならぬぞへ 桃か桃かと色香に惚れて
どっこいやらぬはそりゃ何故に 所詮まままにはならぬが風よ
そりゃこそ他愛ない それでは色にはならぬぞ へ
 
 
勘平「さぁこうなったらこっちのもの 耳から斬ろか 鼻からそごうか
   えぇもう一層の事に」
お軽「あ もしっ そいつ殺さばお詫びの邪魔 もうよいわいなぁ」
伴内「へへ もうよいわいなぁ」
 
 
口の減らない鷺坂は 腰を抱えてコソコソと 命からがら逃げてゆく
 
 
勘平「彼を殺さば 不忠の上に重なる罪科 
   最早明け方」
お軽「アレ山の端の」
勘平「東がしらむ」
二人「横雲に」
 
 
塒をはなれ鳴くからす 可愛い可愛いの女夫づれ
先は急げど心は後へ お家の安否如何ぞと
案じゆくこそ道理なれ
 
 
 
 
 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

花紅葉士農工商(文売り)プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「文売り」をご紹介したいと思います(/・ω・)/

 

 

この記事は5~6分ででお読みいただけます。

 

 

 

文売り(ふみうり)

 

 

解 説

 

 

この曲は1820年(文政3年)11月に江戸玉川座で上演されました。

本名題を「花紅葉士農工商(はなもみじしのうこうしょう)」、通称を「文売り」と言います。

作詞者は近松門左衛門、作曲者は清元斎兵衛です。

 

元来は本名題にもあるように「士」「農」「工」「商」にそれぞれ見立てた四変化の舞踊で、逢坂山の関所を通る際に各人物が物語を語ってゆくという内容です。

 「士」・・・武士 松田左近

 「農」・・・田舎娘 おさん

 「工」・・・大工 臍右衛門(ほぞえもん)

 「商」・・・文売り

 

上記のように「文売り」は「商」の部分にあたり、元旦から15日までの期間に代書、懸想文(けそうぶみ・恋慕を綴った手紙)を男女に売って良縁を作るという職業でした。

今回主人公の文売りは、実は傾城大淀という太夫で金太郎(坂田金時)の母「山姥」でもあるという人物です。

 

 

曲の筋は遊郭で「小田巻」という傾城(花魁)と他の花魁が一人の男性をめぐって突飛ばしたり殴り合ったりの大ゲンカを繰り広げ、それを聞きつけた遣り手や仲居、店に出入りのある座頭、按摩、外を歩く巫女や山伏、中には雪駄下駄が片方脱げたまま駆けつけた者など、遊郭中の見物人なども大乱闘となって大騒ぎになってしまったという内容です。

ちなみに「他の花魁」というのは「文売り(実は傾城大淀)」ではないかと推測されますが、物語内では明確に現わされていません(^_^;)

 

 

 

歌 詞

 

 

同じ身すぎもさまざまに 目出度き春の懸想文

これは恋路を売り歩く 文玉章(ふみたまずさ)の数々は

口説上手に惚れ上手 または相惚れ片思い

縁のたねを結び文 これも世渡る 習いかや

 

文売り「さあさあ これは色を商う文売りでござんす

    私が商う文の数々は

    宵の睦言 まだな事 まぁ聞かしゃんせェ」

 

流れ忙しき憂き勤め 替わる夜ごとのその中に

惚れた男の意地悪う オットよしても暮れの鐘

その手で深みへまた俺を かける心と見てとった

どりゃと立つのを引き止めて

今日は取り分け色々と 言うこと聞くこと たんとある

その約束で今朝早う ござんす筈を憎らしい

初に逢瀬の絹ぎぬに 送る出口の嬉しさを

心に思うありたけを 言い交わしたを何じゃいな

野暮な口説の只中へ 降って脇から只一人

 

文売り「同じ廓に小田巻という傾城が 毎晩送る 文の数々」

 

三万三千三百三十三本ほど 指に廓の文使い

返事の無いに腹立てて 顔に紅葉の打掛けを

とって脱ぎ捨て私がそば

 

小田巻「これ かつみさん いやなお方に惚れはせぬ

    今までお前が大事にしたアノさんを

    今日から私に下さんせ」

                    (かつみ=男の子の禿の意味。女の子の禿=みどり)

 

もらいに来たと ずっかりと こっちも日頃の癇癪酒

 

別の花魁「これ小田巻とやら くだ巻きとやら せっかくお前の

     御無心じゃが もう百年も経ったのち 松葉を添えて

     主さんあぎょう」

 

あだ馬鹿らしいと言い様に 突きのく弾みにばたばたばた

縁から下へ落ちの人 あご痛たたと泣きいだす

 

騒ぎの声に小田巻が 遣り手 引き舟 仲居 飯炊き

出入りの座頭 按摩とり 神子 山伏に 占やさん

雪駄片しに下駄片し 草鞋(わらんず)掛けで来るもあり

 

台所から座敷まで 太夫さんの仕返しと

ここでは打ち合い 抓めり合い 銚子 燗鍋 踏み返し

そりゃこそ津波が打ち混ぜて 隠居が子を産む ヤレ取り上げて

ソレかつお節よ擂鉢よ がらがらピシャリっと鳴る音に

桑原くわばら観音経 秘蔵な子猫が馬ほどな

鼠を喰わえて駆け出すやら 屋根では鼬(いたち)が踊るやら

 

神武以来の悋気いさかい このこと世上に知られけり

 

よどまぬ水に月影も 暫し留むる逢坂の

関に残せし物語 勇ましかりける次第なり

 

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

北州千歳壽(北州) プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

今回は清元「北州」の曲紹介をしたいも思います^_^
 

この記事は5~6分で読んでいただけると思います。

 
 

北州(ほくしゅう)

 
 
 
 

解 説

 


 

1818年(文化15年)春に素浄瑠璃として開曲されました。
作詞者の太田蜀山人は洒落者と伝わり本名題を「北州千歳壽(ほくしゅうせんざいのことぶき)」と付けています。
 
作詞者は上記の太田蜀山人(南畝なんぽ)、作曲者は元吉原の芸妓でのちに料亭「川口」経営者のお直。
蜀山人は遊女の部屋で歌詞を書き上げたと言われています。
 
この曲は蜀山人が70歳の祝いと、若くして亡くなった遊女「玉菊」の追悼を込めて作られたものと伝わっています。
 
 
北州とは江戸の北に位置する「吉原遊郭」のことを指します。


三味線は平家掛かりより「およそ千年の鶴は〜」と謡曲(能)の「翁」から出ていて重々しく始まります。

「万歳楽とうとうたり」は「万歳楽と謡うたり」と「万歳楽とうとうたり(とうとうたらり)」の2つの意味が隠れています。

そして「霞のころも〜」からガラリと曲調が変わり吉原の四季を織り込んだ華やかなものになります。


歌詞にも吉原に関連する場所や行事が出てくるという清元ならではの演出になっております。
 
 
 
 
 
 

歌 詞

 
 
およそ千年の鶴は 万歳楽とうとうたり 又
万代の池の 亀の甲は 三曲 にまがりて
曲輪をあらわさず 新玉の
 
霞の衣えもん坂 衣紋つくろう初買の
袂ゆたかに大門の 花の江戸町 京町や
背中合せの松かざり 松の位を見返りの
柳桜の仲の町 いつしか花もちりてつとんと
見世清掻きの風薫る 簾かかげてほととぎす
鳴くや皐月の菖蒲草 あやめもわかぬ一単物
いよし御見の文月の なき玉章の灯篭に
星の痴話言 ささめ言
 
銀河と聞けば白々と 白帷子の袖にそよそよ
はや八朔の白無垢の 雪白妙に降りあがり
なじみ重ねて 二度の月見に逢いとて見とて
合せ鏡の姿見に 露うちかけの菊重ね
きくのませたる禿菊 いつか引込み突出しの
約束かたき神無月に 誰が誠より本立の
山鳥の尾の酉の市 妹がり行けば千鳥足
日本堤を土手馬の 千里も一里通い来る
浅草市の戻りには 吉原女郎衆が手鞠つく
 
ちょと百ついた浅草寺 筑波の山のこのも彼面
葉山茂山おしげりの しげきみかげに栄えゆく
四季折々の風景は 実に仙境 かくやらん
隅田の流れ清元の 寿延ぶる太夫どの
君は千代ませ 千代ませと 悦びを祝ふ 天ぴつ和合神
日々に太平の足をすすむる 葦原の国安国と舞ひ納む
 
 
 
 
 

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

 
 
 
「北州」の演奏動画はこちらから「清元pockets」
         ↓↓
youtube_kiyomotopockets_hokusyuu.jpg
画像をクリックするとYouTubeへとびます!
 
 
 
 
 
 
 

清元 國惠太夫

隅田川 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

三月大歌舞伎、第三部「隅田川」のプチ解説&歌詞を書かせていただきます。

 

 

浄瑠璃を耳だけでとらえるのはなかなか難しい箇所もございます。

 

この記事は9~10分で読んでいただけると思います。

歌詞をサクッとお読みいただくだけで舞台をより一層楽しんで頂けると思います!

 

是非ともこちらをご活用くださいませ\( 'ω')/ 

 

 

 

 

 

隅田川(すみだがわ)

 

 

 

 

解 説

 

謡曲(能の詞章)「角田川」を題材として作詞を条野採菊(じょうのさいきく)、作曲を二世清元梅吉が担当し清元の曲に仕上げました。ちなみに条野採菊は鏑木清方画伯の父でもあります。

この曲は1883年(明治16年)2月17日に素浄瑠璃(清元のみの演奏)として作詞者の自邸で開曲しました。

そのため本名題も無く「隅田川」です。

 

1919年(大正8年)9月歌舞伎座の興行で二代目市川猿之助(初代市川猿翁)により舞台化されました。

 

 

我が子「梅若丸」を探し続けて都よりはるばる東の隅田川まで来た母「班女の前(狂女)」。それを「舟人(渡し守)」が助けます。 

髪も乱れ、もはや常人ではない様子でした。

 

舟人は心身共に疲れっきった班女の前を舟に乗せ、その経緯を聞くうちにある出来事を思い出します。

それは昨年都より「人買い」が由緒のあるだろう幼い子供を買い取り、ここへやって来た話でした。

 

その幼い子供は一歩も歩けないほど疲れ果て、あげくに人買いに捨てられてしまいました。

周りの人たちは不憫に思い介抱しましたが命を落としてしまうのでした。

 

舟人の話を聞いた班女の前は詳しい時期や年齢を問います。

「名前は?」

「梅若丸」

命を落とした幼い子供は班女の前の子供だったのです。

 

一層不憫に感じた舟人は梅若丸を供養した塚へと案内し念仏を唱えます。

「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ・・・・・・」

 

すると念仏の中に梅若丸が共に念仏を唱える声が!?

 

 

「ついと塒を立つ白鷺の 残す雫か露か涙か」

 

その声は幻であったのか。現実であったのか。

空はほのぼのと空けてゆくのでした。

 

 

 

冒頭部分

「実にや人の親の 心は闇にあらねども 子を思う道に迷うとは」

 

この一節の通り、子供を想う親心は偉大です。

母子の愛情に溢れている悲劇の大作です!

 

 

ちなみにこの開曲当時は遊里や色恋、下町を題材とした曲の多い清元も世間より非難されてました。

(演劇改良運動)

そこで五世清元延寿太夫は今まで清元にある曲の歌詞編纂(不適切な言葉も使われていた)などで風評脱却を目指しました。

 

この「隅田川」開曲も脱却の一つの方法としての試みでした。

子を失った母が隅田川岸をさまよい歩き、舟人(渡し守)が介抱する場面やその母を塚へと案内する場面など、今までの清元の様に艶っぽさはなく、曲全体を上品に仕上げたのも上記の時代背景が大きいとされています。

また最後部分の舟唄「ついと塒を立つ白鷺の のこす雫か露か涙か」の部分も五世延寿太夫が補曲したと言われています。

 

 

 

 

 

歌 詞

 

 

舟  人「これは隅田川の渡守にて候 今日は舟を急ぎ 人々を渡さばやと存じ候

     又都より女物狂いの下り候由 暫く舟を止め彼の物狂いを待とうずるにて候」

 

実にや人の親の 心は闇にあらねども 子を思う道に迷うとは 今こそ思いしら雪の 

身に降りかかる憂き苦労 誰に語りて晴らすらん

 

班女の前「これは都北白川に 年経て住める女なり」

 

思わざりき思い子を ひと商人に誘われて 行方は何処逢坂の 関の東の国遠き

東とかやに下りぬと 聞くより心乱れ髪 櫛けずるらん青柳の 愛しわが子を尋ねわび

千里を行くも親心 来るとはなしに東なる 隅田河原の片ほとり 渡りに近く着きにけり

 

班女の前「のうのう舟人 わらわをもその船に乗せて給わり候え」

舟  人「おことは何処より いづかたへ下る人ぞ」

班女の前「これは都より人を尋ねて この東へ下る者にて候

     のう舟人 あれに白き鳥の見えたるは何と申し候ぞ」

舟  人「おお あれこそ沖の鴎なり」

 

うたてやな浦にては 千鳥ともいえかもめとは などこの隅田川にては 都鳥とは告げずして

沖の鴎と夕潮に 在吾の君の古えは わが身の上に業平や いざ言問わん都鳥

我思い子はありやなしやと 問えど 答えも渚こぐ 舟人わらわを乗せ給えと 言うに 舟人掉取り直し

 

舟  人「急ぎて舟に乗り候へ」

班女の前「おお嬉しの舟人やな

     おおあの向いの柳のもとに 人の多く集 まりしは 何事にて候ぞ」

舟  人「さん候 あれは大念仏にて候 それにつき哀れなる物語りの候

     この舟の向いへ着き候はん程に 語って聞かせ申すべし さても」

 

去年の弥生に 人商人の都より 幼き者を買いとりて 奥へ下らん道すがら ならわぬ旅の疲れにや

一足だにも歩めじと この川岸にひれ伏せしを 情を知らぬ人買いは 幼き者を路地路次に捨て 

そのまゝ奥へ下りたり

 

舟  人「その幼な子を見てあるに 由ある者と思うにぞ」

 

人々さまざまいたわりて 国を問えば 都の白川 父御の名をば問いたるに 吉田と許り夕告ぐる

諸行無常の鐘の音を 聞くがこの世の名残りにて 草葉の露と消えにしは 哀れ というも愚なり

今日乗合いの方々も 逆縁ながら一遍の 念仏申させ給えかし

 

班女の前「のう舟人 今の物語りはいつの事にて候ぞ」

舟  人「昨年三月 しかも今日の事にて候」

班女の前「してその稚子の歳は」

舟  人「十二歳とか」

班女の前「その名は」

舟  人「梅若丸」

 

その幼き者こそは この物狂いが子にてあれ これは夢かや浅ましやと 人目も恥ず泣き伏せば

 

舟  人「おお さては御身が子にてありしか あら悼わしや

     せめては亡き人の墓なりとも見せ申さん いざ此方へ」

 

いざさせ給えと伴えば 昨日迄も今日迄も 逢うを頼みに見も知らぬ 東の果へ下りしに

今は此世になき跡に 一ㇳ本柳枝たれて 千草百草茂るのみ せめては土を掘返えし

亡骸なりとも今一度 見たや逢いたやとばかりに 落つる涙は道芝の 露を欺くばかりなり

 

舟  人「如何に御歎き候共 今はその甲斐候わね 只々後世を弔い候えや」

 

我子の為と身を起し 月の夜念仏諸共に 南無阿弥陀仏 阿弥陀仏

隅田河原の波風も 声たて添えて 南無阿弥陀 阿弥陀仏

 

班女の前「のうのう今の念仏の内に 正しく我子の声すなり」

 

我子はどこにいづくにぞ あるかなきかと箒木の いとど心の物狂い 我子の声と聞きたるは

川に飛び交う都鳥 我子の姿と見えたるは 塚に添うたるさし柳

ついと塒を立つ白鷺の 残す雫か露か涙か

幻の見えつ隠れつする程に 空ほのぼのと明けにけり

 

 

 

(演出の都合上、変更になる場合があります。)

 

 

 

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

2011.12kyoto_minamiza_sumidagawa.jpg

写真は2011年12月、京都南座での隅田川の舞台です。

我々がスタンバイをしているところです(笑)

 

 

 

 

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youtube_sumidagawa_samune.jpg

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清元 國惠太夫