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遅ればせながら京都南座報告。

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こんにちは。くにえです。


・・・・・・・・すっごく寒いです(++;)京都。

なにせホテルと劇場の行き来で鴨川沿いを毎日歩いて通いますので風がキビシイです(笑)


景色は最高ですが(^^)


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鴨川です。どことなく風情がありますよね!Love is 京都!



今月は京都南座に出演させていただいております。
演目等はこちらで!
http://kuniedayu.com/blog/2011/11/post-117.html



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京都南座です。

毎年12月・吉例顔見世興行になるとこの様に歌舞伎役者の看板を掲げます。




詳しくは、以前に京都・顔見世の記事をアップしておりますので、そちらを参考にしてください!
http://kuniedayu.com/blog/2009/12/post-25.html



おまけ。


2011.12kyoto_minamiza_gakuya.jpg

今月の清元の楽屋風景です。

今月は出演者が多く、普段は会議室を右に見える水色のシートで間切りして使用しています。
向こう隣は文字通り会議室です(笑)会議をしているかは分かりませんが(爆)




次回は、開幕前の写真を掲載しようと思っております。


今月は記事のアップに時間がかかっております。
申し訳ありませんm(_ _)m


清元 國惠太夫

喜撰について~波立つ胸を押し撫でるお坊さま~

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こんにちは。くにえです。


昨日より京都南座に出演させていただいております。


南座の近況報告は近々アップさせていただきたいと思います!




今回は京都南座・吉例顔見世興行・夜の部の演目「喜撰(きせん)」について簡単に解説させていただきます。


本名題を「六歌仙容彩(ろっかせんすがたのいろどり)」と言います。通称「喜撰」です。
作詞者は松本幸二。作曲者は初代清元斎兵衛です。


この「六歌仙」というものは平安時代の6人の優れた歌人を指しており、紀貫之が古今和歌集で批評したことでそう呼ばれるようになりました。

因みにこの6人とは、僧正遍照・在原業平・文屋康秀・喜撰法師・大伴黒主・小野小町です。



「六歌仙容彩」は5人の歌人(小野小町は脇役として登場)をそれぞれ題材とした五変化舞踊として天保2年(1831年)に江戸中村座で初演されました。つまりこの5段を総合して六歌仙容彩なわけです。

もともとは大阪道頓堀・角座で嵐雛助(嵐眠獅)が「化粧六歌仙(よそおいろっかせん)」というものを長唄で上演し、それを六歌仙容彩として作り直し、「喜撰」に清元を加えて上演されるようになりました。



現在、舞踊会では清元のみ、長唄のみの演奏というケースが多くありますが、歌舞伎では長唄との掛け合いが一般的です。
今回も長唄との掛け合いの舞台です。




通称の通り、今回の主役は喜撰法師です。(六歌仙の中でもう1つ、文屋康秀を題材とした「文屋」も清元の曲です。)

舞台は京都の祇園で、桜満開の山々に囲まれているとても華やかな場面です。


桜の小枝をかたげた喜撰法師がばったり出くわした茶汲みのお梶の美しさに恋をしてしまいます。
2人がじゃれながら踊っていると、それを諫めに寺から位の低いお坊さんたちが大勢やってきます。

結局ミイラ取りがミイラになるという形で、お坊さんたちも一緒に踊ってしまうというユーモラスな筋です。


この曲には「チョボクレ」「住吉踊り」といった江戸時代に流行った賑やかなナンバーも組み込まれていて年末を彩るには最高だと思いますよ0(^ ^)0




清元 國惠太夫





参考文献

清元全集(日本音曲全集)・宗家直伝清元集(中巻ノ五)・清元志寿太夫「清元五十番」解説本(吉川英史監修)


「隅田川」について(なみだ、涙の物語)

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こんにちは。くにえです。

 

今回は前回にお知らせさせていただいた京都南座・吉例顔見世興行の演目、清元「隅田川」について解説させていただきます!

(前回ブログ http://kuniedayu.com/blog/2011/11/post-117.html )

 

 

この曲は本名題も通称も「隅田川(角田川)」といいます。

 

作詞を日本画家で有名な鏑木清方の父、条野採菊(じょうのさいきく)。作曲を二世清元梅吉が担当し、明治16年(1883年)に作詞者の条野採菊の邸宅で素浄瑠璃として開曲しました。

 

もともと、室町期に出来たとされる謡曲(能の詞曲)の「隅田川(角田川)」を改作したもので、当時、遊里や町の風景など、庶民の目線からの作品が多い清元が非難を浴びた時期があり、その脱却から謡曲の改作をして作られた異色の名曲です。

 

 

 

◆くにえの曲説明

 

 

隅田川の渡し守(船頭)が船出の準備をしているところへ都の北白川(京都)より逸れてしまった幼い子供を捜しているという女性に出会います。

この女性は髪も乱れ、もはや常人ではない様子でした。

 

この狂女は渡し守に子供の話をし、誘われるがままに舟に乗ります。

 

舟を川に出して少しのところ、狂女が向こう岸の柳の木の下で人が集まり、念仏を唱えている場面を

目にします。

狂女は渡し守に問うと、渡し守はその経緯を語るのでした。

 

「去年、都より人買いが幼い子供を買取った。慣れない旅にその幼い子は疲れ果て、この川岸に

倒れこんでしまったのだ。情け容赦ない人買いは、その幼い子供をそのまま捨て置き消えてしまった。人々は哀れに思って労わった。

故郷を問うと、都の白川と言う。父親の名を問うと、吉田という。

そうしてその身形の良い幼い子は草葉の露となってしまった。」

 

その話を聞いた狂女は渡し守に聞きます。

 

狂「それはいつごろのことですか?」

渡「去年3月。それも今日のことだ。」

狂「その子の歳は?」

渡「たしか12歳だった。」

狂「その名は?」

渡「梅若丸」

 

狂女は泣き伏せてしまいます。その子供こそ、この狂女の探していた我が子だったのです。

 

渡し守は哀れに思い、狂女を向こう岸の柳の下、梅若丸の眠る塚へと導くのでした。

 

月の夜。隅田川の波風と共に念仏を唱えます。

「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏・・・・・・・・・」

 

その時。

念仏の中に梅若丸も共に「阿弥陀仏」と唱えた声が狂女の耳に聞こえます。

 

狂女は梅若丸の眠る塚を抱きしめ、再び泣き伏せてしまうのでした。

 

 

原詞  「ついと塒(ねぐら)を たつ白鷺の のこす雫か 露か涙か」

 

 

やがて鐘の音が鳴り、空が明けてきます。        幕

 

 

 

 

この隅田川はこのようなバットエンド?で終わるのです。

 

(「ついと~」の舟唄は初演には無く、明治41年に開かれた演奏会の折、五世清元延寿太夫が付け加えました。)

 

 

くにえはこの曲がとても好きです。

 

最初の歌詞に

「実にや人の親の 心は闇にあらねども 子を思う道に迷うとは」

という文句があります。

 

どの時代でも子供を思う親の気持ちとは、何ものにも変えられない深いものがあるのだと、くにえは思います。

 

 

今日はママと一緒にお寝んねしよーかな(笑)

 

 

清元 國惠太夫

 

 

参考文献

清元全集(日本音曲全集)・宗家直伝清元集(上巻ノ三)

京都南座 吉例顔見世興行

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こんにちは。くにえです。

 

本日より京都南座で年末恒例となっております。「吉例顔見世興行」の歌舞伎が幕を開けました。

 (期間・11月30日(水)~12月26日(月))

 

 

2011.12_kyotominamiza_chirashi.jpg

(クリックすると拡大できます)

 

清元は昼の部に「隅田川」・夜の部に「喜撰」があります。

 

くにえも16日から千秋楽の26日まで出演の予定です。

 

近々、簡単な演目解説や劇場レポートを更新させていただきたいと思っております!

 

 

 

清元 國惠太夫

11月新橋演舞場・初日が開きました!~吉野山~

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こんにちは。くにえです。

 

先月28日のNHKや29日の清朗会(雁金)では多くの方にご清聴いただき、まことに感謝しております。

個人的にいくつか電話やメールをいただきました!

本当にありがとうございます!(^^)

 

 

今日、新橋演舞場での歌舞伎興行が初日を向かえました。

くにえも今日から6日まで新橋演舞場・昼の部「吉野山」に出演させていただいております。

 

新橋演舞場のチラシ等を掲載しております。(10月25日・更新ブログ)http://kuniedayu.com/blog/2011/10/post-110.html

 

 

2011.11_shinbashienbujyou_butai1.jpg

 新橋演舞場・昼の部・吉野山の舞台です。

 

 

2011.11_shinbashienbujyou_butai2.jpg

 

 開演直前の写真です。皆さんスタンバイをしています。

照明によりハレーションをおこしてしまっていて少々見づらいですね(汗)すみませんm(_ _)m

 

 

立方は佐藤忠信・尾上松緑丈、静御前・尾上菊之助丈、逸見藤太・市川團蔵丈です。

 

 

 

6日まで精一杯勤めさせていただきたいと思います!

 

 

清元 國惠太夫

11月 浅草・平成中村座

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こんにちは。くにえです。

 

来月、中村勘三郎丈率いる平成中村座の興行が浅草であります。

昼の部に清元「お祭り」が上演されます。

 

2011.11_heiseinakamuraza1.jpg

 

2011.11_heiseinakamuraza2.jpg

 

初日1日(火)~26日(土)の期間の興行です。

(*昼の部17日  夜の部7日・16日・21日は休演)

 

くにえは7日~14日、16日、18日~23日の出演予定です。

 

 

場所は隅田公園内に仮設劇場を作っての上演となります。

この劇場の面白いところは、上演中に外の音が聞こえることがあるということです。

緊急車両のサイレンとか(笑)

これもまた一興です(^^)

 

また客席もユニークです。

 

1つは幕の中、つまり舞台の両サイドに客席があります!

これは幕が閉まっていても大道具さんのセット作りや役者さんのスタンバイ風景などをつぶさに

見ることが出来ます。

普段では決して見られない表情や会話などが楽しめるわけです(笑)

 

もう1つ、2階中央にたった4席しかない「お大尽席」があります。

この席は上演を終えた役者さん達が、お大尽席に直接ご挨拶に伺うという特典がつきます。

 

これもまた歌舞伎ファンにはたまらないものでしょうね!

 

この「平成中村座」のコンセプトは江戸時代の劇場により近く再現するというものです。

 

上記のように歌舞伎の演目だけでなく様々な部分で大いに楽しめることと思います!

 

 

 

清元 國惠太夫

11月新橋演舞場~吉例・顔見世大歌舞伎~

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こんにちは。くにえです。

 

来月、新橋演舞場に於いて「吉例・顔見世大歌舞伎」があります。

 

 

2011.11_shinbashienbujyou.jpg

 

初日1日(火)~千秋楽25日(金)の興行です。

 

昼の部に清元「吉野山」があり、くにえも末席に加わらせていただきます。

くにえは、初日1日から6日まで出演させていただく予定です。

 

 

ちなみに7日より浅草・平成中村座に出演させていただく予定です。

平成中村座の詳細はまた次の機会に!(^^)

 

 

清元 國惠太夫

 

 

「待っていたとはありがてぇ」 ~お祭り~

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こんにちは。くにえです。

 

再び大阪より記事を書かせていただきます。

 

前回の告知通り今月大阪新歌舞伎座で上演されております「お祭り」ついて簡潔に書かせて頂きます!

 

今月舞台で演奏されているのは「申酉」のことです。通称で「お祭り」と呼ぶ場合が多くあります。

 

 

 

申酉。本名題を「再茲歌舞伎花轢(またここにかぶきのはなだし)」といいます。

作詞は二代目桜田治助で作曲を初代清元斎兵衛。1826年(文政9年)、江戸市村座で初演されました。

元々は上「武内宿禰(たけのうちのすくね)」、中「網打ち」、下「申酉」の三段返しで上演されていました。

 

 

 

この「申酉」とは東京赤坂にある日枝神社(山王神社)のことです。そこで毎年開催される江戸の三大祭の一つ、「山王祭」を主とした曲の内容になっています。

 

※日枝神社を申酉と呼ぶのは、江戸城を築城する際に風水・陰陽の関係で、

  川越日枝神社を移しました。江戸城を中心として申酉の方角にあることから由来しています。

  また、その理由あって祭りには猿と鶏を飾った山車が出ます。

※江戸三大祭とは浅草の「三社祭」、神田明神の「神田祭」、そして日枝神社の「山王祭」です。

  ちなみにこの三つをそれぞれ題材にした曲が清元にあります。

※「山王」とは日枝神社に祀られている大山咋神(おおやまくいのかみ)の通称です。

 

 

 

内容は鳶の頭が申酉の祭りで酒に酔い、喧嘩したり、色恋の話をしたりと、粋でシンプルな内容です。

 また、舞台の前半の「待ってました!」と客席からオオムコウがかかり、それを受けて「待っていたとはありがてぇ ・・・」と役者が台詞をしゃべるところも見所の一つです。

因みに、この台詞は清元の曲の本文とは多少演出を変えています。歌舞伎や日本舞踊では演出を変えた方を多く用います。

 

 

 

鳶の頭を演じる中村勘三郎丈は11ヶ月ぶりの舞台復帰ということもあり、この台詞のやり取りが色々な意味を持っているようにお客様や我々は感じるところです。

 

 

 

申酉(お祭り)

申酉の花も盛りの暑さにも 負けぬ気性の見かけから

言わずと知れしお祭りの 形もすっかりそこら中

行き届かせてこぶもなく ここでは一つあそこでは

頭かしらと立てられて ご機嫌じゃのと町内の

家主方も夕日影 風もうれしく戻り道

 

 

 「もし 皆さんもご苦労でござりやす

  こんな中で受けさせるんじゃねえが

  まあ ほんのことだが 聞いてくんねぇ ヨー」〔本文〕

 

 

(「待ってました!」

 「なに 待っていた? 待っていたとはありがてぇ

  受けさせるんじゃねえが まあ ほんのことだが

  聞いてくんねぇ ヨー」)〔舞台版〕)
 

 

じたい去年の山帰り 言うは今さら過ぎし秋

初の一座の連れのうち 面白そうな口あいに

好いたが因果 好かれたも こころの二つはないわいな

そのときあいつが口癖に
 

 

諦めて何のかのと ありゃただの人 

赤ぼんぶの我々なりゃこそ滅法界に迷いやす

お手が鳴るから 銚子の替わり目と あがってみたれば

お客が三人 庄屋ぽんぽん 狐拳

とぼけた色ではないかいな

 

よいよい よんやな よいよいよんやな 

やれよい声 かけろえ

 

引けや引け引け 引くものにとりては

花に霞よ 子の日の小松 初会の盃 馴染みの煙草盆

お洒落娘の袖たもと 下場の履物

内裏女郎の召し物 座頭のまわし 菖蒲に大根

御神木のしめなわ

 

又も引くものは色々ござる 湯元細工の剣玉ぶりぶり

そさま故なら心の丈を 示し参らせ候べくの

人形 筆売り この首を 長く出したり縮めたり

なんとのろいじゃあろまいか
 

 

実にも上なき獅子王の萬歳千秋かぎりなく

つきせぬ獅子の座頭と お江戸の恵みぞ有難き

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫

大阪・新歌舞伎座「九月松竹大歌舞伎」その2

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こんにちは。くにえです。

 

今日大阪は天気が良いです!

あまり暑くなく、東京に比べて過ごしやすい感じがします。

 

 

前回の記事で書かせていただきました。

今日、明日と大阪・新歌舞伎座に出演させていただいています。

 

(前回ブログ記事 http://kuniedayu.com/blog/2011/09/post-101.html )

 

2011.9.8shinkabukiza_gakuya.1.jpg

 

新歌舞伎座の楽屋です。

今回は出演される方が多く、義太夫さん・常磐津さんとご一緒の部屋です。

 

 

2011.9.8shinkabukiza_butai.jpg

 

舞台写真です。山台から撮影しました。

スタンバイした状態で撮影したので、くにえからの舞台目線です!

幕は閉まっていますが(笑)

 

演目はお祭り。鳶頭を演じられるのは中村勘三郎丈です。

 

 

次回のブログでは演目の「お祭り」について書きたいと思います(予定)

 

 

 

清元 國惠太夫

 

 

大阪・新歌舞伎座「九月松竹大歌舞伎」

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こんにちは。くにえです。

 

 

今月、大阪の新歌舞伎座で「新歌舞伎座 新開場一周年記念 九月松竹大歌舞伎」が

開催されております。

上演期間は9月2日から26日です。

 

2011.9_osaka_shinkabukiza_chirashi.jpg

 

夜の部で、今月から舞台に復帰なさった中村勘三郎丈が清元「お祭り」の鳶頭を演じられています。

 

くにえも8日、9日、13~16日の計6日間、出演させていただきます!

 

大阪に行きましたら改めてご報告させていただきたいと思います。

 

 

清元 國惠太夫

祝・千穐楽!

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こんにちは。くにえです。

 

本日、新橋演舞場六月大歌舞伎が千穐楽を迎えました。

 

知人・友人も足を運んでくださった様で大変感謝しております!!

 

ただ・・・。

幕が閉まる時に会釈や手を振ってくれたのですが・・・当然、反応できません(笑)

というか、つい反射的にやり返しそうになったのを必死に抑えました(笑)

 

でもそうしちゃう皆さんが大好きです!!とても嬉しく思いますよ!

 

 

今後も手を振って下さいとは言えませんが、楽しんでいただけたら幸いです。

 

ありがとうございましたm(_ _)m

 

 

清元 國惠太夫

 

 

これや累(かさね)の名なるべし

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こんにちは。くにえです。

 

今回は、今新橋演舞場で興行を打っている歌舞伎の一幕「累(かさね)」について簡潔に書きたいと思います。

 

累は1600年台、江戸幕府が開かれて間もない頃の実話が元と言われています。

茨城県常総市羽生町の法蔵寺というお寺に累やその一族の墓や遺品が残っています。

 

法蔵寺の画像が載っているページを見つけました。 

法蔵寺・累の墓

 

この法蔵寺に残る実説です。

堀越与右衛門(初代)に所に、すぎは助(すけ)という連れ子と共に嫁入りしました。

この連れ子の助は片足が悪い上に顔が醜く与右衛門に邪魔者扱いされ、6つの歳に鬼怒川の岸で母親に

殺されてしまいます。

やがて夫婦の間に女児が生まれますが、親の因果で片目で足の悪い不器量者でした。

名前を「お累(おるい)」と名付けましたが近所では「累なる(かさなる)因果」という意味を含めて

「累(かさね)」と呼ぶようになりました。

累がある時、病気の旅人を看病したことが縁でその旅人を二代目与右衛門として夫婦になりました。

しかし、この与右衛門は累の醜さに嫌気がさし、他の女と一緒になるため、豆刈りの帰り、夕暮れ時の鬼怒川へ突き落として殺してしまいます。

 

そ知らぬ顔で与右衛門は幾人の妻を娶りますが、これも因果か夫婦仲は円満ではありませんでした。

そして最後に結婚した「おきよ」との間に菊という女児が生まれます。

この菊に累や助の怨霊が乗り移り、先の累殺しや初代与右衛門夫婦の助殺しなどを語りだし、罪を暴いてしまうという内容です。

 

因みにその菊の怨霊を祓った人物が「祐天上人(ゆうてんじょうにん)」といって、現在の東急東横線の駅名にもなっている「祐天寺」を開山して、累たちの霊を弔ったとされています。

 

因みついでにもう1つ。

祐天寺には「累塚」があります。現在の塚は清元「累」を再演した際、累役の六代目尾上梅幸(ばいこう)・与右衛門役の十五代目市村羽左衛門(うざえもん)・浄瑠璃の五代目清元延寿太夫の三者で寄進されました。

 

現在でも歌舞伎なので「累」を上演する際、主だった関係者で累塚にお参りします。

 

 

清元「累」

本名題を「色彩間刈豆(いろもようちょっとかりまめ)」と言います。

この「刈豆」の部分は上記の実説で豆刈りの後に累を殺しているところから取ったとされています。

 

文政6年(1823)6月、江戸森田座で鶴屋南北作「法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)」の2幕目に初演されました。

劇自体はしばらく上演されませんでしたが、大正9年(1920)12月に上記の三者で再演という運びになりました。

以後、清元の代表作の1つとなったわけです。

 

芝居の内容としては武士の与右衛門が腰元の累を殺そうと道行になります。

この与右衛門は悪党で、累の母とも愛人関係にあり、その上に夫の助を鎌で殺しているのでした。

何も知らない累は愛する与右衛門と共に木下川堤(きねがわづつみ)までやってきます。

そこに助のドクロと鎌が流れてきます。

与右衛門が鎌をとった瞬間、助の怨念で累の顔がみるみる醜悪になります。

そこで与右衛門は本性を見せ、累にその鎌を振りあげ切り殺すという内容です。

 

残酷な物語です(汗)

 

2011.6_shinbashienbujyo_kabuki_butai.jpg

 

今月の「累」の幕前直前の舞台写真です。

とても見ごたえのある舞台です。

 

是非ご覧下さい!

 

 

清元 國惠太夫

新橋演舞場 六月大歌舞伎

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こんにちは。くにえです。

 

日付は6月2日になりました。

とうとう越えました。一線を・・・30歳です。

 

なんかあっという間です!

ついこの前までオムツをしていたというのにね~。

まあ精神年齢はまだまだオムツをはいていますが(笑)

 

 

さて、

今月、新橋演舞場・六月大歌舞伎に出演させていただきます。

 

2011.6_shinbashienbujyo_kabuki.jpg

 

公演日は2日~26日までです。

 

今回は夜の部・3幕目の「累(かさね)」に出演させていただきます。

(「累」開幕予定20:00ころ)

 

かさね    中村 時蔵

与右衛門   市川 染五郎

 

ちなみにくにえの出演日は4日~9日、18日~26日(千秋楽)の15日間です。

 

「かさね」の解説は近々ブログで書きたいと思います。

 

 

お暇でしたら是非、新橋演舞場へ!

 

 

清元 國惠太夫

 

 

歌舞伎の今昔1 「照明」

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こんにちは。くにえです。

いやー雪ですね。都心でも牡丹雪が舞い、屋根も薄っすらと白くなっています。

体感だけではなく、目でも寒さを感じられる日でしたね。

 

さて、今回は久しぶりに歌舞伎の今昔にスポットを当てたいと思います。


 

「照明について」


舞台において欠かすことの出来ない照明。

今は文明が進み、照明機材で色とりどりの演出を照明で表現することが出来ます。

例えば、深い青で夜を表現したり、ライトを点滅させることで雷を表現したり・・・。


 

では、江戸時代の電気の無い時代はどうしていたのでしょう?

 

古い文献によると歌舞伎興行は基本的に外が明るいときに幕を開けていました。

 

 

昔の劇場は規模にもよりますが、今の3階建ての建物くらいの大きさがあって
2階席もありました。

その2階席の壁が戸になっていて開け閉めをすることでライトの代わりをしていたそうです。

 

 

2階席の手すりに提灯をぶら下げたり、棒に皿をつけてその上に蝋燭を立てて
役者の顔に近づける「面明かり(つらあかり)」という道具も使われていたそうです。


 

今と昔の違いは舞台だけが明るいのではなくて劇場全体が明るかったということです。


 

また、長い時代物の場合など、物語が一日で終わらない芝居があります。
日も暮れて劇場に光が入らなくなります。

そういったときには興行の責任者(太夫元・たゆうもと)が芝居の途中に出てきて
「本日はこれぎり」といって幕を閉め、次の日に続きを上演することもあったそうです。


 

 

自然の摂理に身近に接した穏やかな生活の中で、観客も納得して明日を心待ちにする。

再び幕が上がれば熱狂し、感動する。


 

何とも良い時代のように思えます。

 

 

清元 國惠太夫

清元 吉野山とは

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こんにちは。くにえです。

 

大変お待たせいたしました!

 

今日はお問い合わせを幾つか頂戴しました、清元「吉野山(よしのやま)」について、
時代背景も織り交ぜながら書かせていただきます(笑)

 

本名題を「幾菊蝶初音道行(いつもきくちょうはつねのみちゆき)」といいます。
通称として、登場人物の名を取った「忠信(ただのぶ)」、
または場面から取って「吉野山」とも呼びます。

本名題にもあるように「道行物(みちゆきもの)」「時代物」として区分されます。


概要は、源義経の愛妾である静御前が、佐藤忠信をお供に連れて義経一行のいる吉野山の館へと向かう場面。

佐藤忠信とは、義経が奥州藤原家に身を寄せていた時に兄・佐藤継信と共に付き従ってきた忠臣です。

 

この佐藤忠信がニセ者で、実はキツネ(狐忠信)というのが、歌舞伎ならではのユニークな設定です。

 

静御前の所持する「初音の鼓(はつねのつづみ)」が狐忠信の母親の皮で出来ていて、
それを慕ってつきまとっているのです。

忠信は、時おり狐らしい手つきや動きが出てしまい、気付かれぬように必死に隠すというコミカルな演出が随所にあります。

 

 

見どころのひとつは曲の中盤、義太夫との掛け合いで

「思いぞ出ずる 壇ノ浦の 海に兵船 平家の赤旗 陸(くが)に白旗」から始まる部分。

 

兄の佐藤継信が壇ノ浦の戦いで勇ましい奮戦をし、そして最期を迎えるありさまを静御前に語って聞かせるところです。

そしてもうひとつの見どころは、そうこうしている間に逸見藤太(早見の藤太)ら、役人が静御前を捕えに来るのを忠信がなんなく蹴散らす場面です。

静御前と共に先へと急ぐところで幕引きです。

 

演目の前半は、静御前が吉野の桜や鶯の声聞きながら優美な雰囲気を創り出します。

後半は、忠信が前述の見どころのとおり勇壮な内容になっていて、それぞれにマッチした曲調となっています。

 

まさに歌舞伎の傑作の一つでしょう!

 

 

簡潔に書かせていただきました。

「吉野山」は歌舞伎において非常に多く上演されます。
先月に引き続き今月も大阪新歌舞伎座で上演されています。
(くにえも今日より出演させていただいてます!また近々ご報告いたします!)

 

是非一度は生で見ていただきたいと思います。

 

◆吉野山

清元の「吉野山」となるまでには、複雑ないきさつがあります。

「吉野山」は延享4年(1747年)11月、大阪の竹本座で初演された義太夫節「義経千本桜」の四段目「道行初音旅」の改作です。
江戸ではその翌年寛延元年(1748年)に中村座で初めて上演されました。(二世竹田出雲・並木千柳・三好松洛?の合作)

これを文化元年(1804年)、常磐津に移し上演されました。これが江戸浄瑠璃の最古と言われています。
文化5年(1808年)5月、中村座で清元の前身である富本節(とみもと)に改曲し、文政4年(1821年)に「調絲初音環(しらべのいとはつねのおだまき)」という名で清元延寿太夫が出演しました。

これが清元「吉野山」としての初演です。


◆参考文献

江戸豊後浄瑠璃史・清元集(紫本)・清元全集(日本音曲全集)


 

清元 國惠太夫

八月新橋演舞場「花形歌舞伎」

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こんにちは。くにえです。

 

約1ヶ月半のご無沙汰です。

なんだかんだでバタバタしておりました(←言い訳です(汗))

 

今月新橋演舞場で弟一部「義経千本桜」・二幕目「吉野山」の末席に出演させていただきます。

2010_8_shinbashi_ennbujyou.jpg

今年の歌舞伎での「吉野山」率はすごいですね!

 

 

今月末に国立大劇場にて市川亀治郎丈の会(次回に詳細を)があるのですが、

こちらも「吉野山」が出るんです。

 

たしかに吉野山は舞台も曲も素晴らしいですもんね~。

2010_8_shinbashi_enbujyo_gakuya.jpg

おまけ。

一昨日の新橋演舞場の楽屋風景です。

 (奥より、清元志寿造氏・清元美三郎氏・清元志一朗氏)

無許可で掲載(笑)

 

清元 國惠太夫 

新橋演舞場~近況~

こんにちは。くにえです。

 

ここ一週間、新橋演舞場→病院で点滴→新橋演舞場のコースを毎日していたお陰で

 

全快までは行かないまでも何とか声を出せるところまで回復いたしました。

個人的に沢山の方々からご心配のメールや御連絡を頂きました。

 

本当にありがとうございました。

 

 

お・ま・け。

2010_5_16_ukarebozu.jpg

写真は夜の部「うかれ坊主」の開幕直前の舞台です。

 

色々な人がそれぞれの仕事をこなして、25日間毎日舞台を開けるんですよ!

 

 

清元 國惠太夫

5月 新橋演舞場 歌舞伎公演

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こんにちは。くにえです。


 

4月30日に歌舞伎座は閉場して、いよいよ新橋演舞場に本拠を置くこととなりました。

今日はその初日を迎えました。

清元は新橋演舞場で

             (昼の部)吉野山、お祭り

             (夜の部)うかれ坊主

                               の3段が出ます。


興行日は5月4日~28日です。

くにえも今月の歌舞伎のすみっこに出演させていただいています(笑)


ちょっとややこしいスケジュールなので表にしてみました。


2010_5_4_shinbashi_kouban.gif


歌舞伎はおもしろいですよ!是非新橋演舞場へ!!


 

清元 國惠太夫


歌舞伎興行の「冠」

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こんにちは。くにえです。

 

今日も相変わらず寒いですね。雪もチラついていたりします。

 

雪が降ると趣があって大変よいのですが、
体感温度よりも寒く感じるのが難点ですね。ブルブル。

 

今夜あたりも降るんじゃないですかね~(汗)


 

今日は歌舞伎興行の冠について少しお話したいと思います。

よく「〇月〇〇大歌舞伎」なんて見かけたりすることがあると思います。
      ↑

この〇〇のことを「冠(かんむり)」といい、これによって内容を少し分別することができるのです。

 

例えば「花形歌舞伎」といえば、人気や注目されている役者、一座の代表者「花形役者」が出演します。

 

役者が名跡を継ぎ、お披露目する場合は「襲名興行(歌舞伎)」と言って、演目のほかに役者が観客の前で口上を述べる機会があります。

 

他にも、

 

◆「吉例顔見世興行(歌舞伎)」
吉例(きちれい)とはめでたいしきたりの事で、かつては各座の役者が混ざって、新たな顔ぶれで芝居を催すこと。現在は11月の歌舞伎座と12月の京都南座にて吉例として催されている。

◆「追善興行(歌舞伎)」
今は亡き名俳優の回忌に催す。

◆「通し狂言興行(歌舞伎)」
義経千本桜、忠臣蔵など、昼夜合わせて一つの内容を場面を変えて物語る。

 

などがあります。

 

 

さらに、時節を冠するものもあります。

 

◆「新春大歌舞伎」
新春、正月に催す歌舞伎。

◆「納涼大歌舞伎」
古くから夏の暑い時期に催す歌舞伎。四谷怪談などの怪奇ものの演目が多い。

 

特殊なものとして、現在歌舞伎座は「さよなら公演(御名残興行)」と、今年の4月いっぱいで一先ず幕を下ろす歌舞伎座のことを冠にしています。

 

何にせよ、お客様の興味を引くものを冠にして興行を打つんですね。
今で言うところのキャッチコピーのようなものです(笑)

 

歌舞伎をチェックしたときは、是非冠にも注目してみてください。


 

清元 國惠太夫

日本語4「十八番」

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こんにちは。くにえです。

 

皆さん、いきなりですがカラオケは好きですか?(笑)

僕は大好きなのですが、最近なかなか行くことができず、残念です。


上手に歌える曲を、よく「十八番」といいます。
「じゅうはちばん」と読んだり「おはこ」と読んだり。

 

この言葉のルーツ、ご存知でしょうか?

 

阿弥陀如来が仏になる修行の際に立てた「48の願(がん)」の18番目に「念仏往生の願(念仏を唱える生けとし生けるものすべてを救う)」というものがあり、阿弥陀如来がこの願を他の仏より得意としたためという説があります。

 

実はこの言葉、歌舞伎もルーツに関係してるんです。

 

「歌舞伎十八番」という言葉はご存知でしょうか?

 

助六(すけろく) 矢の根(やのね) 関羽(かんう) 不動(ふどう) 象引(ぞうひき) 毛抜(けぬき)

外郎売(ういろううり) 暫(しばらく) 七つ面(ななつめん) 解脱(げだつ) 嫐(うわなり)

蛇柳(じゃやなぎ) 鳴神(なるかみ) 鎌髭(かまひげ) 景清(かげきよ) 不破(ふわ)

押戻(おしもどし) 勧進帳(かんじんちょう)

 

この18演目のことを指します。

 

いずれも市川宗家(市川團十郎)の誇る荒事(あらごと。超人的な力をもつ正義のヒーローを演じること。)です。
また、この18演目の台本を家宝とし、箱に大切に保管していたことから「十八番(おはこ)」と読むようになりました。

つまり誇る・得意とするものを「十八番」「おはこ」というようになったという説です。


ここからは自論ですが、阿弥陀如来の18番目の願を最も得意にしていたということで、市川宗家もその数に演目を合わせて発表したのではないのでしょうか?

結果、それが世間で大評判となり、言葉が浸透した・・・。

 

要するに語源は「18番目の願」から、浸透は「歌舞伎」から。

どちらも「十八番」の使われるルーツには変わりないですよね(笑)


 

追伸:
「文化は古典から。入り口は『やのくら音楽会』から。」のやのくら音楽会も、宜しくお願いします。笑
詳細は右側のの鳥居が描かれている画像をクリック!

 

 

清元 國惠太夫