清元 吉野山とは

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こんにちは。くにえです。

 

大変お待たせいたしました!

 

今日はお問い合わせを幾つか頂戴しました、清元「吉野山(よしのやま)」について、
時代背景も織り交ぜながら書かせていただきます(笑)

 

本名題を「幾菊蝶初音道行(いつもきくちょうはつねのみちゆき)」といいます。
通称として、登場人物の名を取った「忠信(ただのぶ)」、
または場面から取って「吉野山」とも呼びます。

本名題にもあるように「道行物(みちゆきもの)」「時代物」として区分されます。


概要は、源義経の愛妾である静御前が、佐藤忠信をお供に連れて義経一行のいる吉野山の館へと向かう場面。

佐藤忠信とは、義経が奥州藤原家に身を寄せていた時に兄・佐藤継信と共に付き従ってきた忠臣です。

 

この佐藤忠信がニセ者で、実はキツネ(狐忠信)というのが、歌舞伎ならではのユニークな設定です。

 

静御前の所持する「初音の鼓(はつねのつづみ)」が狐忠信の母親の皮で出来ていて、
それを慕ってつきまとっているのです。

忠信は、時おり狐らしい手つきや動きが出てしまい、気付かれぬように必死に隠すというコミカルな演出が随所にあります。

 

 

見どころのひとつは曲の中盤、義太夫との掛け合いで

「思いぞ出ずる 壇ノ浦の 海に兵船 平家の赤旗 陸(くが)に白旗」から始まる部分。

 

兄の佐藤継信が壇ノ浦の戦いで勇ましい奮戦をし、そして最期を迎えるありさまを静御前に語って聞かせるところです。

そしてもうひとつの見どころは、そうこうしている間に逸見藤太(早見の藤太)ら、役人が静御前を捕えに来るのを忠信がなんなく蹴散らす場面です。

静御前と共に先へと急ぐところで幕引きです。

 

演目の前半は、静御前が吉野の桜や鶯の声聞きながら優美な雰囲気を創り出します。

後半は、忠信が前述の見どころのとおり勇壮な内容になっていて、それぞれにマッチした曲調となっています。

 

まさに歌舞伎の傑作の一つでしょう!

 

 

簡潔に書かせていただきました。

「吉野山」は歌舞伎において非常に多く上演されます。
先月に引き続き今月も大阪新歌舞伎座で上演されています。
(くにえも今日より出演させていただいてます!また近々ご報告いたします!)

 

是非一度は生で見ていただきたいと思います。

 

◆吉野山

清元の「吉野山」となるまでには、複雑ないきさつがあります。

「吉野山」は延享4年(1747年)11月、大阪の竹本座で初演された義太夫節「義経千本桜」の四段目「道行初音旅」の改作です。
江戸ではその翌年寛延元年(1748年)に中村座で初めて上演されました。(二世竹田出雲・並木千柳・三好松洛?の合作)

これを文化元年(1804年)、常磐津に移し上演されました。これが江戸浄瑠璃の最古と言われています。
文化5年(1808年)5月、中村座で清元の前身である富本節(とみもと)に改曲し、文政4年(1821年)に「調絲初音環(しらべのいとはつねのおだまき)」という名で清元延寿太夫が出演しました。

これが清元「吉野山」としての初演です。


◆参考文献

江戸豊後浄瑠璃史・清元集(紫本)・清元全集(日本音曲全集)


 

清元 國惠太夫