明烏(あけがらす)

作詞

二世 桜田治助

作曲

清元太兵衛(二世清元延寿太夫)または清元千蔵

初演

1851年(昭和4年)3月 江戸市村座

本名題

明烏花濡衣(あけがらす はなのぬれぎぬ)

参考資料

清元全集 清元集 清元心得帖 清元五十番

解説

1851年(昭和4年)3月に新内節を改作し、江戸市村座で初演されました。
「白雪の~」から上、「折ふし~」から下と場面が変わります。

1769年(明和6年)に「蔵前豪家の息子・伊勢屋伊之助」と「蔦屋の遊女・三吉野」が江戸三河島で実際に起きた心中事件を題材にして、1771年(安永元年)大阪大西の芝居で新内節・初代鶴賀若狭掾作、鶴賀馬蝶の出語りで初演されました。(明烏夢泡雪)

これを清元太兵衛(二世清元延寿太夫)が登場人物を置き換え、さらに※忠臣蔵・裏(スピンオフ)という設定を加えて、1851年(昭和4年)3月に江戸市村座に於いて上演しました。
※忠臣蔵八段目「道行旅路の藪入」の裏として上演され、登場人物「春日屋時次郎」は実は四十七人の一人「佐藤與茂七(矢頭右衛門七)」という設定がありました。また山名屋亭主・四郎兵衛の名前も忠臣蔵の登場人物「山名次郎左衛門」、大門の出入りを監視する「四郎兵衛」より引用したと伝わります。


初演時配役
「時次郎・実は佐藤與茂七」八代目 市川團十郎
「山名屋浦里」      初 代 坂東しうか(贈五代目坂東三津五郎)
「山名屋四郎兵衛」    四代目 大谷友右衛門
「遣り手・萱」      二代目 中山文五郎



「上」は「山名屋浦里部屋の段」
遊女浦里が馴染みの時次郎を自室に居続けさせるところから始まります。二人はお互いの見の上を嘆きます。
それに「遣り手・萱」が気づき、山名屋亭主・四郎兵衛のところへ強引に連れて行こうとします。そこへ「山名屋四郎兵衛」が登場し浦里を叱責、男衆を使って隠れている時次郎を引きずり出し、さんざん痛めつけてから外へ放り出すのでした。
(「白雪の~門の戸はたと閉めにけり」まで)


「下」は「山名屋奥庭の段」
遊女浦里は吹雪の中、庭の古木に括り付けられています。四郎兵衛は箒で浦里を折檻し、時次郎を諦めるよう言い捨てて立ち去ります。
しかし浦里は今まで時次郎との楽しかった日々を思い出し、嘆き悲しむのでした。
そこへ時次郎が、刀を口にくわえて屋根づたいに忍び込み浦里を助けに来るのでした。
※新内節では最後は夢であったという最後が付いているようですが、清元はここで終わります。

歌詞

(上)

白雪の積もるも恋にたくらべて 解けぬ思いを浦里が
どうした縁で彼の人に 逢うた初手から可愛さが
身に染みじみと惚れぬいて あけて口惜しき鬢の髪
撫であげ 撫で上げ

時次郎「浦里 もう誰も差合はないか」
浦里「見世が出たれば今の間は 誰も来る事ではござんせぬわいな」
時次郎「ヤレヤレ この広い二階に 身一つ置き所のないというは アァ因果な身になった事じゃなぁ」
浦里「サァこの様に堰きせかれ さぞ気詰まりでござんしょう それを堪えて下さんすも みんな私が可愛いと思うてのお志嬉 しゅうござんす かたじけないわいなぁ」

抱きしむれば いやおれ故と引きしめて
物をも言わずしめ合いて あとは涙にくれけるが

時次郎「いつまでこうしていたとても 限りもなき二人が仲 長居する程そなたの身詰まり この程段々話す通りかのお人へ 色々と手を回し言い入れても 叶わぬ望みと願い書まで 突き戻されし身の本意なさ」

そなたも共にと言いたいが いとしそなたを手にかけて
どうなるものぞ長らえて 我が亡きあとで一ぺんの
回向を頼むさらばやと 言い捨て立つを 
アァモシ 取り付いて あんまりむごい情けなや 今宵離れてこなさんの
まめで居さんすその身なら また逢う事のあろうかと
楽しむこともあるべきが かねて二人が取り交わす
起請誓紙はみんな仇 どうで死なんす覚悟なら
三途の川もこれこの様に 二人手を取り諸共と

なぜに言うては下さんせぬ 殺しておいてゆかんせと
男の膝に縋り付き 身を震わして泣き居たる

遣り手の萱が声として
萱「子供や みどりや えぇもう誰も居ないのか オオォ浦里さんぇ」
浦里「あいあいお萱どん 何の用でござんすぇ」
萱「他の用じゃござんせぬが 夕べから居続けのあの客人 モシ ありゃ どこのお方でござんすぇ」
浦里「さあどこやらのご子息さんじゃという事でござんすェ」
萱「いえいえ そうは抜けさせぬ 確かにせかれたあの時次郎 旦那さんが呼んでじゃ さぁござんせ エェござんせ」
浦里「アァこれお萱どん どうぞ許して下さんせ」

一ト間の内より山名屋四郎兵衛

四郎兵衛「エェまだるいまだるい そんな甘口で聞く奴じゃねぇ さぁおれと一緒に うしやがれ」

罪も報いも後の世も 白髪頭のこめかみも
張り切るばかりのやら腹立ち 引っ立ててこそ降りにける

あとに大勢男共 屏風の内の時次郎
無二無三に引き出だし 踏むやら打つやら叩くやら
すぐに表へ突き出だし 門の戸はたと閉めにけり



(下)

折ふし降りくる雪吹雪 うちには亭主が浦里を
庭の古木に括りつけ 箒おっとり 声荒らげ

四郎兵衛「ヤイ ヤイ浦里 その苦しみゃア心がらだ 総別遊女を折檻して 客を堰く事客の為 二つにゃ女郎大切 身代はこりゃマ猶大事 あの客もまだ若い人の様だが あんまり繁々通われちゃア 親がかりなら勘当 又主持ならばしくじる道理 こんじゅう年期の切り替えしも みんなあの客の為 この上は心中するか駆け落ちか サァとどの括りゃ知れてある詮索幾ら言っても聞き入れのねぇ あの時次郎の事は もうすっぱりと思い切ってしまいやがれ アァこれ男ども浦里を気をつけい」

ト言い捨ててこそ奥に入る

浦里あとを打ち眺め 別れとなれば今更に
涙に暮れて居たりしが

浦里「あの時さんは どこにどうして居さんす事じゃやら マ一度 マ一度顔が見たい 逢いたいわいなぁ」

昨日の花は今日の夢 今は我が身につまされて
義理という字は是非もなや

浦里「あの二階で弾く三味線を 聞くにつけても思い出す いつぞや主が居続けに 寝間着のままに引き寄せて弾く 三味線の面白さ それに引き替えこの苦しみ あぁ味気ない浮世じゃなぁ」

好いた男にわしゃ命でも 何の惜しかろぞ露の身の
消えば恨みもなきものを

浦里「わしがこの身は もうどうなるとも」

たとえこの身は淡雪と 共に消ゆるも厭わぬが
この世の名残に今一度 逢いたい見たいとしゃくり上げ
狂気のごとく心も乱れ 涙の雨に雪解けて
前後正体なかりけり

男はかねて用意の一と腰 口に咬えて身を固め
忍びしのんで屋根伝い 見るに浦里嬉しやと
悲しさこわさあぶなさに 可愛と一と声明がらす
後の浮名や残るらん

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