「吉野山」と一致するもの

「吉野山」歌詞 2024年 二月御園座大歌舞伎

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「吉野山」歌詞

二月御園座大歌舞伎~十三代目市川團十郎白猿襲名披露 八代目市川新之助初舞台~バージョン

※赤=竹本連中

恋と忠義はいずれが重い 掛けて思いは計りなや
静に忍ぶ旅立ちや

馴れぬ茂みのまがい道 弓手(ゆんで)も馬手(めて)も若草を
分けつつ行けば あさる雉子(きぎす)のぱっとたっては
ほろろ けんけん ほろろうつ
なれは子ゆえに身を焦がす 我は恋路に迷う身の
ああ羨まし 妬ましや

谷の鶯 初音のつづみ はつねの鼓
調あやなす音に連れて つれて真似草 音に連れて
遅ればせなる忠信が 吾妻からげの旅姿
背に風呂敷 しかと背負たらおうて 野道あぜ道ゆらりゆらり
軽いとりなりいそいそと 目立たぬように道隔て

静 「おぉ忠信殿 待ちかねましたわいな」
忠信「これはこれは静様 女中の足と侮って思わぬ遅参 まっぴら御免くださりましょう」
静 「ここは名に負う吉野山 四方の梢もいろいろに」
忠信「春立つと 云うばかりにや三吉野の」
静 「山も霞みて」
忠信「今朝は」
両人「見ゆらん」

見渡せば 四方の梢もほころびて
梅が枝唄う歌姫の 里の男子が声々に
我が夫が天井ぬけて据える 昼の枕はつがもなや
可笑し烏の一節に

弥生は雛の妹背中 女雛男雛と並べておいて
眺めに飽かぬ三日月の 宵に寝よとは きぬぎぬに
急かれまいぞと恋の欲 桜は酒が過ぎたやら
桃にひぞりて後ろ向き 羨ましうは ないかいな

忠信「せめては憂さを 幸い 幸い」

姓名添えて賜わりし 御着せ長を取り出だし
君と敬い奉る しずかは鼓を御顔と よそえて上に置きの石
人こそ知らね西国へ 御下向の御海上 波風荒く御船を
住吉浦に吹き上げられ それより吉野にまします由
やがてぞ参り候らはんと 互いに形見を取り納め
実にこの鎧を賜わっしも 兄継信が忠勤なり

静 「なに継信が 忠勤とや」

誠にそれよ 来し方を

思いぞ出る壇ノ浦の

忠信「海に兵船 平家の赤旗 陸(くが)に白旗」

源氏の強者 あら物々しやと夕日影 長刀引きそばめ
何某は平家の侍 悪七兵衛景清と名乗りかけ
薙ぎ立て薙ぎ立て 薙ぎ立つれば
花に嵐のちりちりぱっと 木の葉武者
言い甲斐なしとや方々よ 三保谷の四郎これにありと
渚にちょうと打ってかかる 刀を払ろう長刀の えなれぬ振る舞い いづれとも
勝り劣りは波の音 打ち合う太刀の鍔元(つばもと)より 折れて引く潮 帰る雁
勝負の花と見すつるかと 長刀小脇にかい込んで 兜の錣(しころ)を引っ掴み
後へ引く足 たじたじたじ 向こうへ行く足 よろよろよろ
むんずと錣をひっ切って 双方尻江に どっかと座す
腕の強さと言いければ
首の骨こそ強けれと
ムフフフフフ ダハハハハハ
笑いし後は入り乱れ 手しげき働き兄継信
君の御馬の矢面に 駒を駆け据え立ち塞がる

静 「おぉ聞き及ぶその時に 平家の方にも 名高き強弓」

能登守

静 「教経と」

名乗りも和えず よっ引いて 放つ矢先は恨めしや
兄継信が胸板に たまりもあえず真っ逆さま 敢え無き最後は武士の
忠臣義士の名を残す 思い出ずるも涙にて 袖は乾かぬ筒井筒

掛かるところへ早見の藤太 家来引き連れ立ち至る

※早見の藤太・家来 セリフ (舞台でお楽しみに!)※

禰宜が鼓に鈴振る手元 ちょっと鳥居を ありゃありゃしてこい
飛び越え狐 愛嬌も 宇賀の御霊は玉姫稲荷
妻恋 染めて嫁入りして
そこらでしめたぞ天日照り
堅い契りのお岩様 四ツ谷でお顔を三巡りに
好いたらしいと思うたる 縁に引かれて車咲き
ちょっとおさえた強力の
袖すり抜けてどっこいな
えぇもうしつこい そこいらで
翁稲荷か とうとうたらり 喜びありや烏森

いつか御身も伸びやかに 春の柳生の いと長く
枝を連ぬる御契り などかは朽ちしかるべきと
互いに諫め いさめられ 急ぐとすれど はかどらぬ 芦原峠 鴻の里
雲と見紛う三吉野の
麓の里にぞ

2024.1.29 現在


吉野山の解説はこちら

國惠太夫Web site 「吉野山」解説

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2023年3月1日放送 NHK FMラジオ 邦楽のひととき「吉野山」

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こんにちは。くにえです。

本日、NHKFMラジオ「邦楽のひととき」の収録をして参りました。




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2023.3.1_NHK1.jpg


NHK FMラジオ「邦楽のひととき」
「吉野山(カット部分有り)」


放送日
2023年3月1日(水) 午前11時20分~ 午前11時50分
(再放送無し)


演奏
浄瑠璃
清元 清榮太夫  清元 一太夫  清元 國惠太夫
三味線
清元 菊輔  清元 美三郎  清元 美十郎(上)



曲の解説&歌詞を掲載いたします。
放送をお聴きの際はご活用ください!数倍楽しんで頂けると思います(^^)


「吉野山」
(國惠太夫HP「清元曲辞典」に飛びます。)




今回の放送は時間の関係でカット部分がございます。

放送用カットバージョンの歌詞を下記に掲載させていただきます。


「吉野山」(放送バージョン)

谷の鶯 初音のつづみ はつねの鼓
調あやなす音に連れて つれて真似草 音に連れて
遅ればせなる忠信が 吾妻からげの旅姿
背に風呂敷 しかと背負たらおうて 野道あぜ道ゆらりゆらり
軽いとりなりいそいそと 目立たぬように道隔て

静 「おぉ忠信殿 待ちかねましたわいな」
忠信「これはこれは静様 女中の足と侮って思わぬ遅参 まっぴら御免くださりましょう」
静 「ここは名に負う吉野山 四方の梢もいろいろに」
忠信「春立つと 云うばかりにや三吉野の」
静 「山も霞みて」
忠信「今朝は」
両人「見ゆらん」

弥生は雛の妹背中 女雛男雛と並べておいて
眺めに飽かぬ三日月の 宵に寝よとは きぬぎぬに
急かれまいぞと恋の欲 桜は酒が過ぎたやら
桃にひぞりて後ろ向き 羨ましうは ないかいな

忠信「せめては憂さを 幸い 幸い」

姓名添えて賜わりし 御着せ長を取り出だし
君と敬い奉る しずかは鼓を御顔と よそえて上に置きの石
人こそ知らね西国へ 御下向の御海上 波風荒く御船を
住吉浦に吹き上げられ それより吉野にまします由
やがてぞ参り候らはんと 互いに形見を取り納め
実にこの鎧を賜わっしも 兄接信が忠勤なり

静 「なに継信が 忠勤とや」

誠にそれよ 来し方を
思いぞ出る壇ノ浦の

忠信「海に兵船 平家の赤旗 陸(くが)に白旗」

源氏の強者 あら物々しやと夕日影 長刀引きそばめ
何某は平家の侍 悪七兵衛景清と名乗りかけ
薙ぎ立て薙ぎ立て 薙ぎ立つれば
花に嵐のちりちりぱっと 木の葉武者
言い甲斐なしとや方々よ 三保谷の四郎これにありと
渚にちょうと打ってかかる 刀を払ろう長刀の えなれぬ振る舞い いづれとも
勝り劣りは波の音 打ち合う太刀の鍔元(つばもと)より 折れて引く潮 帰る雁
勝負の花と見すつるかと 長刀小脇にかい込んで 兜の錣(しころ)を引っ掴み
後へ引く足 たじたじたじ 向こうへ行く足 よろよろよろ
むんずと錣をひっ切って 双方尻江に どっかと座す
腕の強さと言いければ 首の骨こそ強けれと
ムフフフフフ ダハハハハハ
笑いし後は入り乱れ 手しげき働き兄継信
君の御馬の矢面に 駒を駆け据え立ち塞がる

静 「おぉ聞き及ぶその時に 平家の方にも 名高き強弓」

能登守

静 「教経と」

名乗りも和えず よっ引いて 放つ矢先は恨めしや
兄継信が胸板に たまりもあえず真っ逆さま 敢え無き最後は武士の
忠臣義士の名を残す 思い出ずるも涙にて 袖は乾かぬ筒井筒

いつか御身も伸びやかに 春の柳生の いと長く
枝を連ぬる御契り などかは朽ちしかるべきと
互いに諫め いさめられ 急ぐとすれど はかどらぬ 芦原峠 鴻の里
雲と見紛う三吉野の 麓の里にぞ 着きにける








宜しくお願い致します!









清元 國惠太夫

3月26日(土)NHK FM 邦楽百番「吉野山」放送

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こんにちは。くにえです。

本日、NHK FMラジオ「邦楽百番」の収録をして参りました。



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NHK FMラジオ「邦楽百番」

清元「吉野山」

放送日時
2022年3月26日(土)11:00~11:50
2022年3月27日(日)5:00~5:50(再放送)

出演
浄瑠璃
清元 清寿太夫(人間国宝) 清元 清美太夫  清元 一太夫  清元 國惠太夫
三味線
清元 志寿造  清元 美三郎  清元 美十郎(上)





「吉野山」の解説&歌詞はこちらです。
お聴きのお供にお役立てくださいませ!
   ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓

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宜しくお願い致しますm(_ _)m





清元 國惠太夫

清元 かさね 歌詞&プチ解説

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こんにちは。くにえです。

 

九月大歌舞伎の第二部「かさね」についてプチ解説と歌詞を載せました!

先月の吉野山の歌詞の掲載も「舞台の内容がより理解できて良かった」とうれしいご意見を頂きました(^O^)

 

歌詞はページ一番下にございます。

九月大歌舞伎のチラシ等も國惠太夫blogに載せております。

こちらもご覧ください。

 

 

 

この記事は7~8分で読んでいただけると思います。

 

 

 

解 説

 

かさね(累)、本名題を「色彩間刈豆(いろもようちょっとかりまめ)」と言います。

この「刈豆」の部分は実説で豆刈りの後に累を殺しているところから取ったとされています。

 

文政6年(1823)6月、江戸森田座で鶴屋南北作「法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)」の2幕目に初演されました。

劇自体はしばらく上演されませんでしたが、大正9年(1920)12月に累役の六代目尾上梅幸(ばいこう)・与右衛門役の十五代目市村羽左衛門(うざえもん)・浄瑠璃の五代目清元延寿太夫で再演という運びになりました。

以後、清元の代表作の1つとなりました。

 

 

芝居の内容は武士の与右衛門が腰元の累を殺そうと道行になります。

この与右衛門は悪党で、累の母とも愛人関係にあり、その上に夫の助を鎌で殺しているのでした。

何も知らない累は愛する与右衛門と共に木下川堤(きねがわづつみ)までやってきます。

そこに助のドクロと鎌が流れてきます。

与右衛門が鎌をとった瞬間、助の怨念で累の顔がみるみる醜悪になります。

そこで与右衛門は本性を見せ、累にその鎌を振りあげ切り殺すという内容です。

 

2013.8_hachigatunouryoukabuki_kasane1.jpg

「かさね」の舞台です。

写真は2013年8月。歌舞伎座で上演されたときのものです。

(当時の國惠太夫blog記事はこちら。)

 

舞台正面には木下川の堤があり、土橋の下に川が流れています。

 

 

  

 

 

えっ?!実話??!!

 

累は1600年台、江戸幕府が開かれて間もない頃の実話が元と言われています。

茨城県常総市羽生町の法蔵寺というお寺に累やその一族の墓や遺品が残っています。

 

法蔵寺の画像が載っているページを見つけました。 

法蔵寺・累の墓

 

この法蔵寺に残る実説です。

堀越与右衛門(初代)に所に、すぎは助(すけ)という連れ子と共に嫁入りしました。

この連れ子の助は片足が悪い上に顔が醜く与右衛門に邪魔者扱いされ、6つの歳に鬼怒川の岸で母親に

殺されてしまいます。

やがて夫婦の間に女児が生まれますが、親の因果で片目で足の悪い不器量者でした。

名前を「お累(おるい)」と名付けましたが近所では「累なる(かさなる)因果」という意味を含めて

「累(かさね)」と呼ぶようになりました。

累がある時、病気の旅人を看病したことが縁でその旅人を二代目与右衛門として夫婦になりました。

しかし、この与右衛門は累の醜さに嫌気がさし、他の女と一緒になるため、豆刈りの帰り、夕暮れ時の鬼怒川へ突き落として殺してしまいます。

 

そ知らぬ顔で与右衛門は幾人の妻を娶りますが、これも因果か夫婦仲は円満ではありませんでした。

そして最後に結婚した「おきよ」との間に菊という女児が生まれます。

この菊に累や助の怨霊が乗り移り、先の累殺しや初代与右衛門夫婦の助殺しなどを語りだし、罪を暴いてしまうという内容です。

 

因みにその菊の怨霊を祓った人物が「祐天上人(ゆうてんじょうにん)」といって、現在の東急東横線の駅名にもなっている「祐天寺」を開山して、累たちの霊を弔ったとされています。

 

因みついでにもう1つ。

祐天寺には「累塚」があります。現在の塚は清元「累」を再演した際、累役の六代目尾上梅幸(ばいこう)・与右衛門役の十五代目市村羽左衛門(うざえもん)・浄瑠璃の五代目清元延寿太夫の三者で寄進されました。

 

現在でも歌舞伎なので「累」を上演する際、主だった関係者で累塚にお参りします。

 

 

 

初 演

 

文政6年(1823)6月、江戸森田座。

与右衛門・七代目市川團十郎

   累・三代目尾上菊五郎

 

 

作 詞

松井幸三

作 曲

清元斎兵衛

 

  

 

 

歌 詞

 

思いをも 心も人に染めばこそ

恋と夕顔夏草の

※(消ゆる間近き 末の露 もとの雫や世の中の) 

遅れ先立 つ二道を

同じ思ひに後先の わかちしどけも夏紅葉

梢の雨やさめやらぬ 夢の浮世と行きなやむ

男に丁度青日傘 骨になる共何のその

跡を逢ふ瀬の女気に こわい道さへようようと

互いに忍ぶ野辺の草 葉末の露か蛍火も

もし追手かと身づくろひ こころ関屋も後になし

木下川堤に着きにけり

 

与右衛門「これ累 思ひがけないこの所へ そなたはどうして来やったぞ」

累   「どうしてとは胴慾な 一緒に死のうと約束して お前一人      覚悟の書置 ここまで慕うて来た程に 共に殺して下さんせ」

与右衛門「切なる心は尤もなれど そなたの養父は御預りの撫子の茶入紛失故 殿様の御とがめ受け それさへあるに 其方と死んでは親への不孝 思ひあきらめ此処から早う 帰ってたも」

 

言ふ顔つくづく打まもり ひょんな縁でこのように 遂こうなった 仲じゃ故

勿体な い事乍ら 去年の初秋うらぼんに 祐念様の御十念

その時ふっと見染めたが ほんに結ぶの神ならで 仏の庭の新枕

初手から蓮のうてなぞと 心で祝ふ菩提心 後生大事の殿御じゃと

奥の勤め の長つぼね 役者びいきの噂にも どこやら風が成田屋を

お前によそへて楽しむ心 お年忘れに奥御殿 打交りたる騒ぎ唄

入黒子 いれぼくろ  起請誓紙は反古にもなろが 五月六月は満更ほぐにも成りやせまい

唄う辻占今の身に あたりて私が恥かしと あと言いさして口ごもる

 

与右衛門「はて 是非に及ばぬ それ程迄に思ひつめたる其方の心

     可愛いや共に腹の子まで このまま殺すも世の成行

     ふびん の者の心やな」

 

深き心をしら玉の 露の命をわれ故に 思えばびんなき心やと

手を取交し歎きしが せめて義理ある親達や 生みの親へも よそながら

今宵限りの暇乞ひ 不孝の罪は幾重にも お許しあれと諸共に

川辺に暫し泣き居たる

不思議や流れに漂ふ髑髏 助が魂魄 錆つく鎌

 

与右衛門「なに 俗名 助」

累   「えぇ アイタ アイタアーー イタ ・ ・ ・」

与右衛門「おぉ さては死霊の」

累   「アレー」

捕り手 「与右衛門 御用だ」

 

暫し争ふ折柄に 風に流るる ひと節に

夜や更けて 誠に文は ねやの伽  筆のさや焚く煙りさえ 埓も中洲のしらむ東雲

 

累   「あぁもし お前どこへ行かしゃんすえ」

与右衛門「さぁ わしは やぁ そなたの顔は」

累   「何 わたしの顔が」

与右衛門「おそろしい」

累   「何  恐ろしい 恐ろし いはお前の心 さぁその文         一寸見せて下さんせ」

与右衛門「こ こ の手紙は」

累   「見せられまい 見せられまいがなぁ              ちぇー お前はなぁ」

 

それその様によそ他に  深い楽しみあればこそ  わしをだまして胴慾な

もしやにかかる恋の慾  兎角浮世が ままにもならば 帯の矢の字を前垂に

針打やめて落しばら 駒下駄履いて歩いたら  まことに誠に嬉しかろ

ならぬ先まで思ふのも  今更身で身が恥しい  むごいわいのと取つ いて

変る姿を露知らず  色をふくみし取りなりは  憐れにもまた いぢらしや

 

与右衛門「道理々々 死ぬると云ふは皆いつわり  国へ帰参の此与右衛門 足手まといとは思へども  そなたを連れて これよりすぐに」

累   「そんなら一緒に」

与右衛門「さぁ おじゃ」

累   「あい」

 

いそいそ先へたちまちに 邪慳の刃 血汐の紅葉  竜田の川の瀬と変わる

男の裾にしがみつき

 

累   「アーこりゃ わたしをだまして」

与右衛門「おお  殺すのじゃ」

累   「ええ」

与右衛門「 仔細と云ふは  これを見よ」

 

鏡にうつせば

 

 

累    「アレー ヤヤヤヤヤ ・ ・ ・

      こ こりゃまあどうして此様に  私の顔の変わりしはぁ」

与右衛門「こりゃ累 因果の道理をよっく聞け

     汝がためには実の親 菊が夫の助を殺したその報ひ         廻りめぐりてその顔の 変り果てたも前世の約束         この与右衛門は親の仇  これも因果と さぁあきらめて」

 

 

成仏せよと無二無三  打ってかかれば身をかはし

のう情けなや うらめしや  身は煩悩のきづなにて 恋路に迷ひ親おやの

仇なる人と知らずして  恪気嫉妬のくどき言 我と我身に惚れ過ぎし

心の内のおもてなや  つらき心は先の世の  如何なる恨みか忌しと

口説いつ泣いつ 身をかきむしり 人の報ひのあるものか  無きものか

思ひ知れやと すっくと立ち 振乱したる黒髪は 此世からなる鬼女の有様

 

つかみかかれば与右衛門も  鎌取直して土橋の上

襟髪つかんで ひとえぐり 情容赦も夏の霜  消ゆる姿の八重撫子

これや累の名なるべし 後に伝えし物語り

恐ろしかりける ※(次第なり)

 

(※=今回の舞台では抜く箇所)

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫

 

 

 

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

八月大歌舞伎 本日千穐楽を迎えました!

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こんにちは。くにえです。

 

本日、歌舞伎座「八月大歌舞伎」第三部・吉野山が千穐楽を迎えました。

 

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何度見ても華やかで素敵な吉野山のセットですが、

今月の舞台はより一層グッとくるものがありました。

 

気持ちのどこかで、毎日舞台があって「あたりまえ」とどこかで考えていた自分に

大きく反省したひと月でもありました。

 

舞台稽古、初日を迎え、毎日「防感染」の緊張感。

もちろんくにえだけでの話だけではなく、スタッフの方々や出演者の皆様が同じ気持ちだったと思います。

 

そして何より、この不安定な時期にもかかわらず足をお運び下さった多くのお客様。

涙を拭っておられるお客様も幾人もおられました。

 

不思議なもので、マスクをつけていらしてもお客様方の楽しげな表情や気持ちを感じられました。

励みになります。力が湧いてきます。

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

来月も第二部「かさね」に出演させていただく予定です。

(國惠太夫blog 「九月大歌舞伎・歌舞伎座」)

 

宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫