「あのね。唄の型は一つだけだとダメだよ。引き出しをたくさん作って瞬時に対応しないと踊りの演奏は務まらないからね。」
2021年6月4日午前5時5分。お師匠さんは旅立たれました。
この世界に入って経験ゼロ、舞台に出れば失敗の連続。
そんな私を見放すことなく数多くの経験の場を与えて下さったのが美治郎師でした。
美治郎師は私が師の清元菊輔師のお父様、清元寿國太夫師が「美月太夫」と名乗られていた時代にお名取になられました。
私の同門の大先輩にあたります。
その深いご縁もあり寿國太夫師の半世紀程の古い音源や、当時お稽古をしてもらった内容やエピソードを数多く教えていただきました。
また定期開催していた「やのくら音楽会(2008~2010)」に際しても、私の不出来な芸で2時間を超える厳しいお稽古を何度も付けていただきました。
「同じ師匠筋、同門で國惠さんはやっているのだから寿國師匠の節だけを覚えるのではなくて、どう唄いたいのか、もっと本質を見なきゃダメだよ。」
「1人が複数人のセリフをこなすのは大変なのは分かるけど、お客様にそれを気づかれちゃいけない。実際の人の会話を考えてごらん。とぎれとぎれの会話なんか無いだろ?」
決して声を荒らげることはせず、しかし的確に細部まで神経の行き届いたお稽古でした。
ここでは到底書ききれない思い出や言葉には表すことのできない御恩がたくさんございます。
私が歌舞伎でご一緒したのは昨年12月南座での「廓文章」。
舞踊会では今年4月末。
先日もメールがあったばかりです。
未だに信じられません・・・
なにか心の中にぽっかり大きな穴が開いたような感覚・・・
このご時世で大恩ある美治郎師にお悔やみでお会いすることも叶いません。
私の様な者が今回blogを書かせていただいた事、大変恐縮でおこがましいとは思います。
しかしより多くの方の胸に清元美治郎師が生き続けて下されればと、同門として、清元の後輩として、思いを書かせていただきました。
心よりご冥福をお祈りすると共に私自身の感謝の意をお師匠さんに述べたいと思います。
美治郎お師匠さん。本当にありがとうございました。
清元 國惠太夫
コメント