旅奴(たびやっこ)

作詞

三世桜田治助

作曲

清元千蔵

初演

1847年(弘化4年)3月  江戸市村座

本名題

無し

参考資料

清元集 清元全集 清元五十番

解説

この曲は1847年(弘化4年)3月に江戸市村座で「仮名手本忠臣蔵」を十一段返しに脚色して作られた一曲です。
十二代目市村羽左衛門が変化舞踊として演じたもので、旅奴はその八段目に当たるので「八段目旅奴」とも言われます。

因みに十一段返しの内容は

大 序 足利直義(常磐津)
二段目 娘小なみ(常磐津)
三段目 卒塔婆小町(長唄)
四段目 大星力弥(清元)
五段目 角兵衛獅子(長唄)
六段目 駕籠かき(常磐津)
七段目 遊女お軽(長唄)
八段目 旅奴(清元)
九段目 丁稚伊吾(常磐津・長唄掛け合い)
十段目 下女おりん(常磐津・長唄掛け合い)
十一段目 鷲文吾(大薩摩)


本来「忠臣蔵」の八段目は加古川本蔵の妻戸浪瀬と大星力弥の許嫁の娘小浪が京都山科へ向かう「道行旅路の嫁入」ですが、脚色ではその旅を追いかける奴は主人公になっています。
また、この演目は長らく上演されることがなくなっていましたが、1926年(大正15年)10月の歌舞伎興行において「道行旅路の嫁入」内で飛脚となった此奴を出し、その翌月「花柳舞踊研究会」で二世花柳寿輔が「旅奴」だけを独立させて踊りました。


場面は東海道五十三次の沼津・吉原(現在の富士市)・蒲原辺りが槍を持ち、女主人を追いかけなくてはならないのに酒を飲んで酔ってしまっています。
自分の影に絡んだり、小室節や槍踊りを盛り込んだ軽妙な曲です。

歌詞

降るは霙か初時雨 けさの出がけに棒鼻で
手当たり任せ酒機嫌 五十三次またここで
何で沼津に行かりょうものか そりゃこそ腹も吉原と
口合い交じりに来たりける どっこい止まった水溜り

「なな何だ 歩けば歩く 止まれば止まる なぜ俺の真似をしやあが ウゥー る」

むこうは確か左利き 歩けば歩く止まれば止まる
こりゃどうじゃ

「ははーわかった」

かァァァげ法師(影法師)
旅は道連れ夜はふざけ とんだ月夜と小室節
上り下りの おつづら馬よ さても見事な手綱染かいなぇ
馬子衆の癖か高声で 鈴をたよりに小室節
吉田通れば二階から しかも鹿の子の振袖で
振って振りくるお国入り 殿の帰りを窓から見たれば
台傘 立傘 曳馬御徒に若徒草履とり槍持ち
このかっぱ駕籠 あれはさのさ これはさのえい
えいえいえい 浮きたつ空も入相の
蒲原さして急ぎ行く

動画