鶴屋南北 または 勝井源八
初代清元齋兵衛
1825年(文政8年) 11月 江戸中村座
道行浮塒鷗(みちゆきうきねのともどり)
清元研究 清元全集 清元集(紫本)清元五十番
解説
「お染久松」が芝居で最初に取り上げられたのは1710年(宝永7年)正月、大阪荻野八重桐座「心中鬼門角(しんじゅうきもんのかど)」が初めとされ、翌年1711年(宝永8年)正月、大阪豊竹座・人形浄瑠璃「油屋お染袂の白絞り(あぶらやおそめたもとのしらしぼり)・紀海音(きのかいおん)作」で大評判となりました。その後歌舞伎で富本、常磐津と、何度も繰り返し題材にされるほど人気を博しました。
清元「お染久松」は場面を大阪から江戸へ移し、1825年頃(文政8年)11月・江戸中村座の顔見世狂言「鬼若根元臺(おにわかこんげんぶたい)」のニ番目の序幕で初演されました。
初演は久松・岩井粂三郎、お染・岩井紫若、猿曳・七代目市川團十郎で、歌詞には各々の役者の紹介事も織り込まれています。
※数多く発表されたお染久松物も、現在残されているのは清元のこの一曲のみとなりました。
油屋の娘「お染」と油屋手代の「久松」が恋仲だったことを知らないお染の父が親戚の山家屋へ縁付けようとしたので、二人は添われぬ仲をはかなんで心中しようと寒梅の咲いた隅田川へとやってきます。
しかし久松は思い留まり、お染に帰るよう説得をしますが、お染は連れないと言って涙します。
そこへ通りかかった猿曳(猿廻し)と出くわします。猿曳は偶然か故意か、猿芸の唄に合わせてお染久松の物語を演じ、暗に不心得な事をしないよう諭すのでした。
心中という悲劇的な場面に陽気な人物を登場させて、対照的な変化を付けるという傑作です。
また、この曲は猿曳の登場から退場する場面を「下」と括って分ける場合があります。
「お染久松」は1708年(宝永5年)に起きた実話とされていますが、その内容には後に創作されていた箇所もあると指摘もあります。
●一つは、心中ではなく、幼児お染が久松にお守をされていて遊んでいるうちに久松の不注意で川へ落ちて死んでしまった説。
●二つに、幼児お染をお守していた久松が井戸を覗かせていたところ、誤って転落させて死なせてしまい、自分も店の蔵で首をくくって自殺した説。
●三に、お染が幼児で久松は既に13歳。歳が離れすぎている説。
●四に、お染の家は大阪瓦屋橋西詰・南西の角屋敷「種油商・油屋太兵衛」ではなく、他の場所にあった搾り油屋であったという説。
この「お染久松」初演の数か月前に初世清元延寿太夫が刺殺されるという事件がありました。
それを受け、この興行で清元栄寿太夫(のちの二世清元延寿太夫)が初めて立語りを勤めた曲でもあります。
初演時
浄瑠璃
清元栄寿太夫 清元宮路太夫 清元政太夫
三味線
清元齋兵衛 清元徳兵衛
歌詞
今も昔は瓦町 名代娘のただ一人
遅れ道なる久松も まだ咲きかかる室の梅
蕾の花の振袖も うちを忍んでようようと
ここで互い の約束は 心もほんに隅田川
人目堤の川岸を たどりたどりて来たりける
久松「申しお染さま やっぱりあなたは山家屋 へ お帰りなされて下さりませ」
わが手枕に梅が香の まだ床なれぬ鴬も
子飼い のうちから御恩を受け
大事の大事のお主様 勿体ながら家来の身
お染はじっと顔を見て アレまたあんな無理言うて
そんなそのような言 い訳を それよりわしがいやならば
一人未来 へ行って見や 男心はそうしたもの か
小さ い時から生なかに 手習いまでも一つ所
何やら草紙へ書いたのを そなたに見せて問うたれば
恋という字と言うたのを 結び始めの殿御じゃと
思うているにその様な 恨みつらみも何からと
袖に縋(すが)りて涙ぐむ 娘心ぞ可愛ゆらし
久松「ヤ誰やら向こ へ サしばし木陰へ」
朝湖が筆を写し絵に 真似て三升の彩色も
三筋は足らぬ猿曳が
得意廻りの口祝 い
宿の出がけにゃ嬶衆(かかしゅう)と差しで
ぐっと熱燗ひっかけたぇ 顔は太夫と花もみじ
まさるめでたや真赤いな 赤かんべえ
べいべい独楽じゃなっけれど
くるりやくるりのら廻り くるりと廻って菜種の蝶よ
流れ渡りの隅田堤 きげん上戸の気も軽く
浮かれ拍子に来たりける
猿曳「イヨー コリャー美し い花の様な二人連れ ハ ハ ァ聞こえた さてはこの頃噂のある」
両人「エェ」
猿曳「マママ何であろうと わしが言う事を聞かっしゃりませ ヤー ヤ―」
ここに東の町の名も 聞いて鬼門の角屋敷
瓦町とや油屋の 一人娘にお染とて
年は二八の細眉に うちの子飼いの久松と
忍び忍びの寝油を 親たちや夢にも白紋り
二人は蕾の花盛り しぼりかねたる振りの袖
梅香の露の玉の緒の 末は互 い の吉丁寺
そこ で浮き名の種油 意見まじりに興じける
猿曳「春を取越すお猿万歳 目出度うここで かなでましょうか」
猿若に御万歳とは 櫓も栄えてましんます
青陽新玉の年立ち帰る周の春 愛嬌ありけるぼっとりも の
二八十六で諸人の ひっぱる色娘 お染といったら立つたりしょ
お猿は目出度や目出度やな
猿曳「エイエイ さりとは さりとは」
かよう申す才蔵なんぞは 太鼓のバチがむっくり
むっくり むっくり むっくりむっくりむっくり
ソーレむっくりしゃんとおっ立て
ホホヤレホホヤレ
まんざらこや まっちゃらこ まんざらこじゃありゃせまい
百万年の寿と 祝いにいおうて猿曳は
里ある方へと走り行く
久松「ハテ知らぬ人とは言いながら親切なるあの意見 さりながらとても死んではならぬ二人が身の上 ちっとも早うお染様」
顔見合わせて目は涙 今は二人もつかの間に
弥陀の御国に隅田川 蓮の台(うてな)のあら世帯
いざ言問わん都鳥 あしと橋場の明け近き
はや長命寺の鐘の音も ここに浮名やながすらん
ここに浮名や流すらん