藤本斗文(「京鹿子娘道成寺」作者)
三世今藤長十郎
1980年(昭和55年)5月 第一回芸游会
なし
清元全集 清元集 清元五十番
解説
豊後道成寺は1980年(昭和55年)5月に清元志寿太夫・三世今藤長十郎主催「芸游会」で発表され、のち1982年(昭和57年)に四代目中村雀右衛門により舞踊化されました。
この豊後道成寺は長唄「京鹿子娘道成寺」の歌詞を生かして清元に移し変えた演目です。
「道成寺もの」とは、
和歌山県日高郡日高川町にある天台宗 道成寺に伝わる「道成寺縁起(安珍・清姫伝説)」を題材とした能や舞踊などの作品のことです。
恋焦がれた清姫から逃げ出した安珍(僧侶)は、道成寺への道のりの途上にとうとう追いつかれてしまいます。頑なに他人と言い張り安珍は日高川を渡り、尚も清姫から逃れようとします。
安珍への一途な想いから執念へと変わり、やがて大蛇と成り果てた清姫はそのあとを追って行き、道成寺の鐘の中に隠れた安珍を、鐘もろとも焼き殺してしまうのでした。
と、これが「道成寺縁起」の内容です。
豊後道成寺の内容は
「道成寺縁起」から数百年後、長く鐘の無かった道成寺に新たな鐘を再興することになり、鐘供養をすることになりました。鐘供養の日、女人禁制のこの寺に女性(白拍子)が是非とも鐘を拝ませてほしいと僧に頼みます。その女性の美しさに禁を破り、鐘を拝ませてしまいます。
実はこの女性は大蛇となった清姫の化身だったのです。この化身が鐘に飛び込み、再び大蛇が現れるという筋です。
歌詞
花の外には松ばかり 花の外には松ばかり
暮れそめて鐘や響くらん
鐘に恨みは数々ござる 初夜の鐘を撞く時は
諸行無常と響くなり 後夜の鐘を撞く時は
是生滅法と響くなり 晨鐘の響きは生滅滅己入相は
寂滅為楽と響くなり 聞いて驚く人もなし
我も五障の雲晴れて 真如の月を眺め明かさん
つれないは唯移り気な どうでも男は悪性者
都育ちは蓮葉なものぢゃえ
花の都は歌でやわらぐ敷島原に 勤めする身は誰と伏見の墨染
煩悩菩堤の撞木町より 難波四筋に通ひ木辻に
禿立ちから室の早咲き それがほんに色じゃ 一ィ二ゥ三ィ四ォ
夜露雪の日 下の関路も 共に此の身を馴染重ねて
仲は丸山ただ丸かれと 思い染めたが縁ぢゃえ
梅とさんさん桜は 何れ兄やら弟やら
わきて言はれぬな花の色ぇ 可愛ゆらしさの花娘
恋の手習つい見習ひて 誰れに見しょとて
紅鉄漿付きょうぞ みんな主への心中立
おお嬉しおお嬉し 末はこうじゃにな そうなる迄は
とんと言わずに済まそぞえと 誓紙さへ偽りか 嘘か誠か
どうもならぬほど逢ひに来た ふっつり悋気せまいぞと
たしなんで見ても情なや 女子には何がなる
殿御殿御の気が知れぬ気が知れぬ 悪性な悪性な気が知れぬ
恨み恨みてかこち泣き 露を含みし桜花
触らば落ちん風情なり
さる程にさる程に寺々の鐘 月落ち鶏鳴いて霜雪天に
満潮程なくこの山寺の 江村の漁火 愁に対して人々眠れば
よき隙ぞと 立舞う様にねらい寄って 撞かんとせしが
思へばこの鐘恨めしやとて 龍頭に手をかけ
飛ぶよと見えしが 引きかづいてぞ失せにける
