五月大歌舞伎in歌舞伎座

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こんにちは。くにえです。

 

来月5月、歌舞伎座に於いて「五月大歌舞伎」が3日~28日に開催されます。

休演日は10日、19日です。

 

 

第二部、仮名手本忠臣蔵「道行旅路の花聟(落人)」に出演させていただきます。

 

 

2021.5_kabukiza.jpg

(クリックすると大きく表示されます)

 

くにえの出演日は15日~28日(千穐楽)です。

 

 

落人のプチ解説&歌詞をblogにてアップしてあります。

観劇のお供に是非ご覧下さいませ!(≧▽≦)

 

落人 プチ解説&歌詞 清元國惠太夫blog

 

 

宜しくお願い致しますm(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫

子守 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「子守」のプチ解説と歌詞をお送りいたします。

 

 

この記事は6~7分ででお読みいただけます。

 

 

 

子守(こもり)

 

 

解 説

 

1823年(文政6年)3月に江戸森田座で初演されました。 

作詞 増山金八  作曲 初世清元斎兵衛

 

当初は五節句を材として「五変化舞踊」の構成でした。

 

一月 子日小松曳(ねのひのこまつびき)   「官女」  長唄

三月 上巳雛桜狩(しょうみのひなさくらがり)「女仕丁」 常磐津

五月 端午粧人形(たんごのかざりにんぎょう)「牛若」  大薩摩

七月 七夕星祭祀(たなばたのほしまつり)  「子守」  清元

九月 重陽菊花傘(ちょうようきくのはながさ)「振袖娘」 長唄

 

子守は七月の部でした。

 

 

本名題を「大和い手向五字(やまとがなてむけのいつもじ)」と言います。

 

「大和」は初演の役者の岩井紫若の屋号「大和屋」から、

「手向」は三代目澤村宗十郎、四代目澤村宗十郎、二代目澤村田之助の三人の追善興行であるため、

「い」は澤村の門が「丸に い」であるため、

「五字」は五変化の舞踊であったためです。

 

※ちなみに「い」はひらがなで「かな」と読ませています。

 個人的には洒落ているなぁ~と思っています(笑)

 

 

当時は田舎から町へ出て「子守奉公」をする娘が多く、主人公もその一人です。

 

彼女も新潟より出て子守をしながらおつかいしていると油揚げをトンビにさらわれてしまいます。

追いかけますが転んでしまい膝を擦りむいてしまいます。

おぶっている赤ん坊を泣きだし必死にあやす彼女。

 

子守唄や都々逸を唄ったり、お人形遊びをしたり、恋に憧れてみたり・・・。

故郷の恋しい、そんな年端も行かぬ娘を中心に描いた江戸風俗を味わえる作品です(≧▽≦)

 

 

歌 詞

 

オヤッかな 何としょえ アイタッタッタ 

膝頭を擦りむいた 憎い鳶づら油揚げさろうた

オォオォ泣くな良い子じゃ こんな物やろな

お月様いくつ十三七つ まだ年ゃいかぬ 山出しが

 

わたしゃどうでもこうでも あの人ばかりはあきらめられぬ

じゃによって 讃岐の金比羅さんへ 願でも掛けましょうか 仇口の

花さえ咲かぬ生娘の 枝姿振りもぶっきらぼう

鼻緒切らして片々さげて がっくりそっくり みどり子おろしてこれからは

 

並べ たてたる人形店 さあさ安売りじゃ 何でもかでも選り取りじゃ

みどりはかむろ 紅は 花の姿の姉様を

口説文句は浄瑠璃で 聞き覚えたをそのままに

ほんに思えばあとの月 宵庚申の日待ちの夜

甚句踊りや小唄節 数ある中にこなさんの

お江戸で いわば勇み肌 好いた風じゃと背戸家から

見かじり申してなま中に 気もあり松の藍絞り

色に鳴海と打ち明けて 晩げ忍んで来めさるならば

これな 嬉しかろではないかいな なぞと浮かれて座頭の坊

冴えた月夜にやみ市ではないかいな やみ市なりゃこそ真っ黒な 炭屋のお客と行くわいな

座敷で何をひかんすえ 盆の踊りになまめかし

 

お前越後か私も越後 お国訛が出てならぬ

 

新潟出る時ゃ涙で出たが 今は新潟の夢も見ぬ

おーい船頭さん寄ってかんせの 戻りに鯨でも積んでごんせぇの

踊りおどらば品よく踊れ 品の良いのを嫁にとろ

松前殿様持ち物は いか たこ なまこに 珍の魚

寄らしゃんせ えぇえぇえぇなぁ 面白や

 

またも鳶めとろろとは 太い奴と豆腐屋へ

子を引きかたげて 急ぎ行く

 

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

 

四季三葉草 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「四季三葉草」のプチ解説と歌詞をお送りいたします。

 

 

この記事は6~7分ででお読みいただけます。

 

 

 

四季三葉草(しきさんばぞう)

 

 

解 説

 

開曲は1838年(天保9年)夏。

素浄瑠璃として作られたために本名題はありません。

 

作詞者は三枡屋二三治(みますやにそうじ)、作曲者は二世清元斎兵衛。

二世清元延寿太夫が初語りをしたと言われています。

 

名前の読み通り「式三番叟」の歌詞を四季の草花の名前と語呂を合わせして作られました。

 

冒頭部分には謡曲(能)の「翁」を引用して重厚感を演出します。

ちなみに

「とうとうたらり たらりら たらりあがり ららりとう」

これが冒頭部分の歌詞なのですが日本語ではない感じがします(;'∀')

 

調べると歌詞のルールには諸説ある様です。

 

・チベット地方(サンスクリット語)をそのまま引用した説

・仏教のお経を引用した説

・笛の楽譜説

などなど

 

現在でもいくつか説があるようです。

 

曲の歌詞に「」「」「」「」のパートがございますので、下記の歌詞に色を付けておきたいと思います(/・ω・)/

 

歌 詞

 

とうとうたらり たらりら たらりあがり ららりとう

ところ千代まで 変らぬ色の みどりたつ春 まつの花

曽我菊の名も翁草 そよやいづくの花の滝

玲々と落ちて水の月 素袍(すおう)の袖も千歳(せんざい)の

梅が香慕とう うぐいすも 初音床しきわが宿の 竹も直なる一節に

うつして四季の三葉草 立舞う姿いと栄(は)えて

桃は初心に柳はませた 風の縺れ(もつれ)に解けかかる こちゃ海棠(かいどう)つぼみのままよ

うら山吹に若楓 藤色衣 主とても かざす袂の桜狩 その盃の数よりも

 

おおさえ おおさえ 喜びありや 喜びありや 幸ひこころに任せたり

 

千早振る神の昔に あらなくに 卯の花垣根白浪の 渚の砂(いさご)さくさくとして

あしたの花の富貴草

女子ごころは芍薬(しゃくやく)に 思うたばかり姫百合の まだ葉桜も染めぬのに 

そりゃあんまりな梨の花 気も石竹に軒の妻 菖蒲も知らで折添へて いつか手生けの床の花

元の座敷へおもおもと お直り候らえ ようがましや さはらば一枝参らしょう そなたこそ

君が由縁の色見草 うつろう水に杜若(かきつばた) 池のみぎわに鶴亀の 縁し嬉しき踊り花

 

女郎花 宵の約束小萩が許で 尾花招けば糸薄(いとすすき)通ふ心の百夜草(ももよぐざ)

こちゃこちゃ真実 愛おしらし そうじゃいな しほらしや

時雨の紅葉寒菊や 水仙清き枇杷の花 花の吹雪のサラサラさっと

山茶花や 恵みに花の勲しは 千代に八千代の玉椿

眺めつきせぬ花の時 今も栄えて清元の 治まる家とぞ祝しける

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

 

落人 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。
 
今回は清元「落人」の解説&歌詞を書きたいと思います。
 
 
 
 

 

 

この記事は7~8分ででお読みいただけます。

 

 

 

落人(おちうど)

 

 

解 説

 

 

本名題を「道行旅路花聟(みちゆきたびじのはなむこ)」といいます。
1883年(天保4年)3月に江戸河原崎座で初演。
 
「仮名手本忠臣蔵」の大ヒットにより場面を「表裏」で増やし、この落人は三段目の裏と称して「早野勘平」と「腰元お軽」の道行物として上演されました。
 
作詞は三升屋二三治、作曲は初世清元榮次郎(清元斎兵衛、二世清元延寿太夫との説も有り)。

初演時の配役は勘平を七世市川海老蔵、お軽を三世尾上菊五郎、鷺坂伴内を尾上梅五郎です。
 
 
 
勘平とお軽は罪人となって共に落ち延びて行かねばならなくなりました。

塩谷判官(浅野内匠頭)の登城の供として選ばれた勘平でしたが、恋仲であるお軽が逢いに来てしまいます。
途中鷺坂伴内に絡まれてしまいますが何とか切り抜けます。
しかし時間を要してしまい、勘平はお供に遅れてしまうのでした。
 
その塩谷判官は高師直(吉良上野介)を殿中で斬りつけるという事件が発生してしまいます。
 
自らの色事で主君の大切な場に居合わせる事が出来なかったら勘平は大いに悔やみ、自害を試みます。

そこでお軽が説得に努め、一先ず自分の里へと「落ち人」となって道行をする事になるのでした。
 


場面は道行の途中、戸塚の山中です。
 
落ち延びる二人は人目を忍ぶために夜に歩き続けます。
途中松かげで休憩をしながら自分たちの馴れ初めや勘平の自害にはやる行動をお軽は諫めます。

 

 

そこへ江戸よりの追手「鷺坂伴内」らと遭遇し戦いになります。

 

この戦いの部分は「鳥ずくし」の掛け言葉と軽快なリズムが聴きどころです。
(※下記の歌詞に掛かっている言葉も色を変えて掲載しますのでご参照ください!)
 
無事伴内らを追い返し、二人は旅を急ぐのでした。
 

 

 

ちなみに舞台では美しく観えるようにライトを煌々とつけておりますが、話の筋では夜中から明け方にかけての時間帯です(笑)
 
 
 
 
 
 
 

歌 詞

 
 
 
 

落人も見るかや野辺に若草の すすき尾花はなけれども
世を忍び路の旅衣 着つつ馴れにし振袖も
どこやら知れる人目をば かくせど色香梅が花
散りてもあとの花のなか いつか故郷へ帰る雁
まだはだ寒き春風に 柳の都 後に見て
気も戸塚はと吉田ばし 墨絵の筆に夜の富士
よそめにそれと影くらき 鳥のねぐらを辿り来る

 
勘平「鎌倉を出でてようようと ここは戸塚の山中 石高道で足は痛みはせぬかや」
お軽「何の まあそれよりは まだ行先が思はれて」
勘平「そうであろう 昼は人目をはばかる故」
お軽「幸い ここの松かげで」
勘平「暫しがうちの足休め」
お軽「ほんにそれが よかろうわいなぁ」
 
 
何もわけ無き うさはらし 憂きが中にも旅の空
初ほととぎす明近く
 
色で逢いしも昨日今日 かたい屋敷の御奉公
あの奥様のお使いが 二人がえんやの御家来で
その悪縁か白猿に よう似た顔の錦絵の
こんな縁しが唐紙の 鴛鴦(おし)の番(つがい)の楽しみに
 
泊り泊りの旅籠やで ほんの旅寝の仮枕
嬉しい仲じゃないかいな 空定めなき花曇り
暗きこの身のくり言は 恋に心を奪はれて
お家の大事と聞いたとき 重きこの身の罪科と
かこち涙に目もうるむ
 
 
勘平「よくよく思へば後先のわきまえもなく ここ迄は来たれども 主君の大事をよそにして
   この勘平はと ても生きては居られぬ身の上 其方は言はば女子の事 
   死後の弔ひ頼むぞや お軽さらばじゃ」
お軽「アレまたその様な事言はしゃんすか 私故にお前の不忠 それがすまぬと死なしゃんしたら
   わたしも死ぬるその時は アレ二人心中じゃと 誰がお前を褒めますぞぇ
   サぁここの道理を聞き分て ひとまず私が在所へ来て下さんせ 父さんも母さんも
   それはそれは頼もしいお方 もうこうなったが 因果じゃと諦めて
   女房の言ふ事も ちっとは聞いて呉れたがよいわいなぁ」
 
 
それ其時の うろたえ者には誰がした みんなわたしがこころから
死ぬるその身を長らえて 思ひ直して親里へ 連れて夫婦が身を忍び
野暮な田舎の暮しには 機も織りそろ賃仕事 常の女子と言はれても 取乱したる真実が
やがて届いて山崎の ほんに私がある故に 今のお前の憂き難儀 堪忍してとばかりにて
人目なければ寄り添うて 言葉に色をや含むらん
 
 
勘平「成程聞き届けた それ程迄に思うて呉れるそちが親切 ひとまず立ち越え
   時節を待ってお詫びせん」
お軽「そんなら聞き届けて下さんすか」
勘平「さぁ仕度しやれ」
お軽「アイ」
 
 
身ごしらえするその所へ
 
 
伴内「見付けた おぉ お軽も居るな やーやー勘平
   うぬが主人の塩谷判官高貞と おらが旦那の師直公と
   何か殿中でべっちゃくちゃ くっちゃくちゃと話合するその中に
   ちいちゃ刀をちょいと抜いてちょいと斬った科によって
   屋敷は閉門網乗物にて エッサッサ エッサッサ エッサエッサエッサッサと
   ぼっ帰してしもうた
 
   さあこれ烏(からす)鶉翻(うずらばん)
   さあこれからは うぬが番
   お鴨をこっちへ鳩鷺(はとさぎ)葭切(よしきり)
   お軽(かる鴨)をこっちへ 渡さば良し
   ひわだ雁(がん)だと孔雀が最後
   嫌だ何だとぬかすが最後
   とっ捕めっちゃ ひっ捕めっちゃ
   やりゃあしょねえが返答は さっ さっ さっさっ さささささ・・・
   勘平返事は丹頂丹頂(たんちょうたんちょう)」
        何と何と
 
 
丹頂丹頂と呼ばわったり
勘平ふふっと吹きいだし
 
 
勘平「よい所へ鷺坂伴内 おのれ一羽で食い足らねど 勘平が腕の細ねぶか
   料理あんばい 喰うてみよえぇ」
 
 
大手を拡げて立ったりける
 
 
伴内「えぇ 七面鳥な もちで捕れ」
      しち面倒くさい
花四天「どっこい」
 
 
桜さくらという名に惚れて どっこいやらぬはそりゃ何故に
所詮お手には入らぬが花よ そりゃこそ見たばかり
それでは色にはならぬぞへ 桃か桃かと色香に惚れて
どっこいやらぬはそりゃ何故に 所詮まままにはならぬが風よ
そりゃこそ他愛ない それでは色にはならぬぞ へ
 
 
勘平「さぁこうなったらこっちのもの 耳から斬ろか 鼻からそごうか
   えぇもう一層の事に」
お軽「あ もしっ そいつ殺さばお詫びの邪魔 もうよいわいなぁ」
伴内「へへ もうよいわいなぁ」
 
 
口の減らない鷺坂は 腰を抱えてコソコソと 命からがら逃げてゆく
 
 
勘平「彼を殺さば 不忠の上に重なる罪科 
   最早明け方」
お軽「アレ山の端の」
勘平「東がしらむ」
二人「横雲に」
 
 
塒をはなれ鳴くからす 可愛い可愛いの女夫づれ
先は急げど心は後へ お家の安否如何ぞと
案じゆくこそ道理なれ
 
 
 
 
 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

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清元 國惠太夫

4月7日(水)NHK FMラジオ「邦楽のひととき」放送

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こんにちは。くにえです。

 

本日、NHKラジオ「邦楽のひととき」を収録して参りました!

 

 

 

2021.3.22_NHK_syuuroku.jpg

 

 

NHK FMラジオ 「邦楽のひととき」

 

 

演目

「玉屋」「旅奴(抜粋)」

 

 

放送日時

2021.4.7(水)11:20~11:50

2021.4.8(木)5:20~5:50(再放送) 

 

 

出演

浄瑠璃

清元 美好太夫  清元 國惠太夫  清元 瓢太夫

三味線

清元 美十郎  清元 志一朗  清元 美一郎(上)

 

 

 

 

宜しくお願い致しますm(_ _)m

 

 

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫

花紅葉士農工商(文売り)プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

今回は清元「文売り」をご紹介したいと思います(/・ω・)/

 

 

この記事は5~6分ででお読みいただけます。

 

 

 

文売り(ふみうり)

 

 

解 説

 

 

この曲は1820年(文政3年)11月に江戸玉川座で上演されました。

本名題を「花紅葉士農工商(はなもみじしのうこうしょう)」、通称を「文売り」と言います。

作詞者は近松門左衛門、作曲者は清元斎兵衛です。

 

元来は本名題にもあるように「士」「農」「工」「商」にそれぞれ見立てた四変化の舞踊で、逢坂山の関所を通る際に各人物が物語を語ってゆくという内容です。

 「士」・・・武士 松田左近

 「農」・・・田舎娘 おさん

 「工」・・・大工 臍右衛門(ほぞえもん)

 「商」・・・文売り

 

上記のように「文売り」は「商」の部分にあたり、元旦から15日までの期間に代書、懸想文(けそうぶみ・恋慕を綴った手紙)を男女に売って良縁を作るという職業でした。

今回主人公の文売りは、実は傾城大淀という太夫で金太郎(坂田金時)の母「山姥」でもあるという人物です。

 

 

曲の筋は遊郭で「小田巻」という傾城(花魁)と他の花魁が一人の男性をめぐって突飛ばしたり殴り合ったりの大ゲンカを繰り広げ、それを聞きつけた遣り手や仲居、店に出入りのある座頭、按摩、外を歩く巫女や山伏、中には雪駄下駄が片方脱げたまま駆けつけた者など、遊郭中の見物人なども大乱闘となって大騒ぎになってしまったという内容です。

ちなみに「他の花魁」というのは「文売り(実は傾城大淀)」ではないかと推測されますが、物語内では明確に現わされていません(^_^;)

 

 

 

歌 詞

 

 

同じ身すぎもさまざまに 目出度き春の懸想文

これは恋路を売り歩く 文玉章(ふみたまずさ)の数々は

口説上手に惚れ上手 または相惚れ片思い

縁のたねを結び文 これも世渡る 習いかや

 

文売り「さあさあ これは色を商う文売りでござんす

    私が商う文の数々は

    宵の睦言 まだな事 まぁ聞かしゃんせェ」

 

流れ忙しき憂き勤め 替わる夜ごとのその中に

惚れた男の意地悪う オットよしても暮れの鐘

その手で深みへまた俺を かける心と見てとった

どりゃと立つのを引き止めて

今日は取り分け色々と 言うこと聞くこと たんとある

その約束で今朝早う ござんす筈を憎らしい

初に逢瀬の絹ぎぬに 送る出口の嬉しさを

心に思うありたけを 言い交わしたを何じゃいな

野暮な口説の只中へ 降って脇から只一人

 

文売り「同じ廓に小田巻という傾城が 毎晩送る 文の数々」

 

三万三千三百三十三本ほど 指に廓の文使い

返事の無いに腹立てて 顔に紅葉の打掛けを

とって脱ぎ捨て私がそば

 

小田巻「これ かつみさん いやなお方に惚れはせぬ

    今までお前が大事にしたアノさんを

    今日から私に下さんせ」

                    (かつみ=男の子の禿の意味。女の子の禿=みどり)

 

もらいに来たと ずっかりと こっちも日頃の癇癪酒

 

別の花魁「これ小田巻とやら くだ巻きとやら せっかくお前の

     御無心じゃが もう百年も経ったのち 松葉を添えて

     主さんあぎょう」

 

あだ馬鹿らしいと言い様に 突きのく弾みにばたばたばた

縁から下へ落ちの人 あご痛たたと泣きいだす

 

騒ぎの声に小田巻が 遣り手 引き舟 仲居 飯炊き

出入りの座頭 按摩とり 神子 山伏に 占やさん

雪駄片しに下駄片し 草鞋(わらんず)掛けで来るもあり

 

台所から座敷まで 太夫さんの仕返しと

ここでは打ち合い 抓めり合い 銚子 燗鍋 踏み返し

そりゃこそ津波が打ち混ぜて 隠居が子を産む ヤレ取り上げて

ソレかつお節よ擂鉢よ がらがらピシャリっと鳴る音に

桑原くわばら観音経 秘蔵な子猫が馬ほどな

鼠を喰わえて駆け出すやら 屋根では鼬(いたち)が踊るやら

 

神武以来の悋気いさかい このこと世上に知られけり

 

よどまぬ水に月影も 暫し留むる逢坂の

関に残せし物語 勇ましかりける次第なり

 

 

 

参考資料
清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

またYouTubeチャンネル「清元pockets」にも文売りのお手軽動画をアップしております!

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清元 國惠太夫

北州千歳壽(北州) プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

今回は清元「北州」の曲紹介をしたいも思います^_^
 

この記事は5~6分で読んでいただけると思います。

 
 

北州(ほくしゅう)

 
 
 
 

解 説

 


 

1818年(文化15年)春に素浄瑠璃として開曲されました。
作詞者の太田蜀山人は洒落者と伝わり本名題を「北州千歳壽(ほくしゅうせんざいのことぶき)」と付けています。
 
作詞者は上記の太田蜀山人(南畝なんぽ)、作曲者は元吉原の芸妓でのちに料亭「川口」経営者のお直。
蜀山人は遊女の部屋で歌詞を書き上げたと言われています。
 
この曲は蜀山人が70歳の祝いと、若くして亡くなった遊女「玉菊」の追悼を込めて作られたものと伝わっています。
 
 
北州とは江戸の北に位置する「吉原遊郭」のことを指します。


三味線は平家掛かりより「およそ千年の鶴は〜」と謡曲(能)の「翁」から出ていて重々しく始まります。

「万歳楽とうとうたり」は「万歳楽と謡うたり」と「万歳楽とうとうたり(とうとうたらり)」の2つの意味が隠れています。

そして「霞のころも〜」からガラリと曲調が変わり吉原の四季を織り込んだ華やかなものになります。


歌詞にも吉原に関連する場所や行事が出てくるという清元ならではの演出になっております。
 
 
 
 
 
 

歌 詞

 
 
およそ千年の鶴は 万歳楽とうとうたり 又
万代の池の 亀の甲は 三曲 にまがりて
曲輪をあらわさず 新玉の
 
霞の衣えもん坂 衣紋つくろう初買の
袂ゆたかに大門の 花の江戸町 京町や
背中合せの松かざり 松の位を見返りの
柳桜の仲の町 いつしか花もちりてつとんと
見世清掻きの風薫る 簾かかげてほととぎす
鳴くや皐月の菖蒲草 あやめもわかぬ一単物
いよし御見の文月の なき玉章の灯篭に
星の痴話言 ささめ言
 
銀河と聞けば白々と 白帷子の袖にそよそよ
はや八朔の白無垢の 雪白妙に降りあがり
なじみ重ねて 二度の月見に逢いとて見とて
合せ鏡の姿見に 露うちかけの菊重ね
きくのませたる禿菊 いつか引込み突出しの
約束かたき神無月に 誰が誠より本立の
山鳥の尾の酉の市 妹がり行けば千鳥足
日本堤を土手馬の 千里も一里通い来る
浅草市の戻りには 吉原女郎衆が手鞠つく
 
ちょと百ついた浅草寺 筑波の山のこのも彼面
葉山茂山おしげりの しげきみかげに栄えゆく
四季折々の風景は 実に仙境 かくやらん
隅田の流れ清元の 寿延ぶる太夫どの
君は千代ませ 千代ませと 悦びを祝ふ 天ぴつ和合神
日々に太平の足をすすむる 葦原の国安国と舞ひ納む
 
 
 
 
 

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

 
 
 
「北州」の演奏動画はこちらから「清元pockets」
         ↓↓
youtube_kiyomotopockets_hokusyuu.jpg
画像をクリックするとYouTubeへとびます!
 
 
 
 
 
 
 

清元 國惠太夫

隅田川 プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

三月大歌舞伎、第三部「隅田川」のプチ解説&歌詞を書かせていただきます。

 

 

浄瑠璃を耳だけでとらえるのはなかなか難しい箇所もございます。

 

この記事は9~10分で読んでいただけると思います。

歌詞をサクッとお読みいただくだけで舞台をより一層楽しんで頂けると思います!

 

是非ともこちらをご活用くださいませ\( 'ω')/ 

 

 

 

 

 

隅田川(すみだがわ)

 

 

 

 

解 説

 

謡曲(能の詞章)「角田川」を題材として作詞を条野採菊(じょうのさいきく)、作曲を二世清元梅吉が担当し清元の曲に仕上げました。ちなみに条野採菊は鏑木清方画伯の父でもあります。

この曲は1883年(明治16年)2月17日に素浄瑠璃(清元のみの演奏)として作詞者の自邸で開曲しました。

そのため本名題も無く「隅田川」です。

 

1919年(大正8年)9月歌舞伎座の興行で二代目市川猿之助(初代市川猿翁)により舞台化されました。

 

 

我が子「梅若丸」を探し続けて都よりはるばる東の隅田川まで来た母「班女の前(狂女)」。それを「舟人(渡し守)」が助けます。 

髪も乱れ、もはや常人ではない様子でした。

 

舟人は心身共に疲れっきった班女の前を舟に乗せ、その経緯を聞くうちにある出来事を思い出します。

それは昨年都より「人買い」が由緒のあるだろう幼い子供を買い取り、ここへやって来た話でした。

 

その幼い子供は一歩も歩けないほど疲れ果て、あげくに人買いに捨てられてしまいました。

周りの人たちは不憫に思い介抱しましたが命を落としてしまうのでした。

 

舟人の話を聞いた班女の前は詳しい時期や年齢を問います。

「名前は?」

「梅若丸」

命を落とした幼い子供は班女の前の子供だったのです。

 

一層不憫に感じた舟人は梅若丸を供養した塚へと案内し念仏を唱えます。

「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ・・・・・・」

 

すると念仏の中に梅若丸が共に念仏を唱える声が!?

 

 

「ついと塒を立つ白鷺の 残す雫か露か涙か」

 

その声は幻であったのか。現実であったのか。

空はほのぼのと空けてゆくのでした。

 

 

 

冒頭部分

「実にや人の親の 心は闇にあらねども 子を思う道に迷うとは」

 

この一節の通り、子供を想う親心は偉大です。

母子の愛情に溢れている悲劇の大作です!

 

 

ちなみにこの開曲当時は遊里や色恋、下町を題材とした曲の多い清元も世間より非難されてました。

(演劇改良運動)

そこで五世清元延寿太夫は今まで清元にある曲の歌詞編纂(不適切な言葉も使われていた)などで風評脱却を目指しました。

 

この「隅田川」開曲も脱却の一つの方法としての試みでした。

子を失った母が隅田川岸をさまよい歩き、舟人(渡し守)が介抱する場面やその母を塚へと案内する場面など、今までの清元の様に艶っぽさはなく、曲全体を上品に仕上げたのも上記の時代背景が大きいとされています。

また最後部分の舟唄「ついと塒を立つ白鷺の のこす雫か露か涙か」の部分も五世延寿太夫が補曲したと言われています。

 

 

 

 

 

歌 詞

 

 

舟  人「これは隅田川の渡守にて候 今日は舟を急ぎ 人々を渡さばやと存じ候

     又都より女物狂いの下り候由 暫く舟を止め彼の物狂いを待とうずるにて候」

 

実にや人の親の 心は闇にあらねども 子を思う道に迷うとは 今こそ思いしら雪の 

身に降りかかる憂き苦労 誰に語りて晴らすらん

 

班女の前「これは都北白川に 年経て住める女なり」

 

思わざりき思い子を ひと商人に誘われて 行方は何処逢坂の 関の東の国遠き

東とかやに下りぬと 聞くより心乱れ髪 櫛けずるらん青柳の 愛しわが子を尋ねわび

千里を行くも親心 来るとはなしに東なる 隅田河原の片ほとり 渡りに近く着きにけり

 

班女の前「のうのう舟人 わらわをもその船に乗せて給わり候え」

舟  人「おことは何処より いづかたへ下る人ぞ」

班女の前「これは都より人を尋ねて この東へ下る者にて候

     のう舟人 あれに白き鳥の見えたるは何と申し候ぞ」

舟  人「おお あれこそ沖の鴎なり」

 

うたてやな浦にては 千鳥ともいえかもめとは などこの隅田川にては 都鳥とは告げずして

沖の鴎と夕潮に 在吾の君の古えは わが身の上に業平や いざ言問わん都鳥

我思い子はありやなしやと 問えど 答えも渚こぐ 舟人わらわを乗せ給えと 言うに 舟人掉取り直し

 

舟  人「急ぎて舟に乗り候へ」

班女の前「おお嬉しの舟人やな

     おおあの向いの柳のもとに 人の多く集 まりしは 何事にて候ぞ」

舟  人「さん候 あれは大念仏にて候 それにつき哀れなる物語りの候

     この舟の向いへ着き候はん程に 語って聞かせ申すべし さても」

 

去年の弥生に 人商人の都より 幼き者を買いとりて 奥へ下らん道すがら ならわぬ旅の疲れにや

一足だにも歩めじと この川岸にひれ伏せしを 情を知らぬ人買いは 幼き者を路地路次に捨て 

そのまゝ奥へ下りたり

 

舟  人「その幼な子を見てあるに 由ある者と思うにぞ」

 

人々さまざまいたわりて 国を問えば 都の白川 父御の名をば問いたるに 吉田と許り夕告ぐる

諸行無常の鐘の音を 聞くがこの世の名残りにて 草葉の露と消えにしは 哀れ というも愚なり

今日乗合いの方々も 逆縁ながら一遍の 念仏申させ給えかし

 

班女の前「のう舟人 今の物語りはいつの事にて候ぞ」

舟  人「昨年三月 しかも今日の事にて候」

班女の前「してその稚子の歳は」

舟  人「十二歳とか」

班女の前「その名は」

舟  人「梅若丸」

 

その幼き者こそは この物狂いが子にてあれ これは夢かや浅ましやと 人目も恥ず泣き伏せば

 

舟  人「おお さては御身が子にてありしか あら悼わしや

     せめては亡き人の墓なりとも見せ申さん いざ此方へ」

 

いざさせ給えと伴えば 昨日迄も今日迄も 逢うを頼みに見も知らぬ 東の果へ下りしに

今は此世になき跡に 一ㇳ本柳枝たれて 千草百草茂るのみ せめては土を掘返えし

亡骸なりとも今一度 見たや逢いたやとばかりに 落つる涙は道芝の 露を欺くばかりなり

 

舟  人「如何に御歎き候共 今はその甲斐候わね 只々後世を弔い候えや」

 

我子の為と身を起し 月の夜念仏諸共に 南無阿弥陀仏 阿弥陀仏

隅田河原の波風も 声たて添えて 南無阿弥陀 阿弥陀仏

 

班女の前「のうのう今の念仏の内に 正しく我子の声すなり」

 

我子はどこにいづくにぞ あるかなきかと箒木の いとど心の物狂い 我子の声と聞きたるは

川に飛び交う都鳥 我子の姿と見えたるは 塚に添うたるさし柳

ついと塒を立つ白鷺の 残す雫か露か涙か

幻の見えつ隠れつする程に 空ほのぼのと明けにけり

 

 

 

(演出の都合上、変更になる場合があります。)

 

 

 

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

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写真は2011年12月、京都南座での隅田川の舞台です。

我々がスタンバイをしているところです(笑)

 

 

 

 

またYouTubeチャンネル「清元pockets」にも隅田川のお手軽動画をアップしております!

 

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また

「清元pockets」公式インスタグラムもございます!(≧▽≦)

 

 

 

 

 

清元 國惠太夫

雪暮夜入谷畦道~直侍~(三千歳)プチ解説&歌詞

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こんにちは。くにえです。

 

三月大歌舞伎、第二部「雪暮夜入谷畦道~直侍~」のプチ解説&歌詞を書かせていただきます。

 

 

浄瑠璃を耳だけでとらえるのはなかなか難しい箇所もございます。

 

この記事は7~8で読んでいただけると思います。

歌詞をサクッとお読みいただくだけで舞台をより一層楽しんで頂けると思います!

 

是非ともこちらをご活用くださいませ\( 'ω')/ 

 

 

 

 

 

雪暮夜入谷畦道~直侍~(ゆきのゆうべ いりやのあぜみち~なおざむらい~)

 

 

解 説


この演目での清元の場面は、罪人として追いかけられている片岡直次郎が雪の中、三千歳のいる入谷村の大口屋の寮(別荘)へ忍び尋ねるというシーンです。 

 

またこの状況の場面を「余所事浄瑠璃(よそごとじょうるり)」と言います。

三千歳と直次郎の再開する建物の隣の座敷(よそ)から清元が聞こえてくるという、お芝居に我々が出ても不自然にならない様な洒落た演出になっています(*´▽`*)

 

ちなみに以前ご紹介した吉田屋・廓文章(夕霧)も余所事浄瑠璃で、我々は羽織を着ての出演です。

 

國惠太夫blog「吉田屋廓文章(夕霧)」

 

 

 

元々は河竹黙阿弥作の「天衣紛上野初花(河内山)くもにまごううえののはつはな(こうちやま)」の六幕目「大口屋寮の場」にあたり、今回はその前の五幕目の「入谷村そば屋の場」とニ幕を抜粋した演出となります。

 

 

清元としても独立してよく演奏される浄瑠璃で、本名題を「忍逢春雪解(しのびあうはるのゆきどけ)」と言います。

作詞者は河竹黙新七(黙阿弥)。作曲者は清元お葉(四世延寿太夫夫人)または二世清元梅吉または合作。

登場人物から「三千歳」と通称されることも多々あります。

 

1881年(明治14年)3月に江戸新富座で河竹新七が「河内山」に直次郎が三千歳に逢いに来る場面を足して改作しました。

 

「入谷村そば屋の場」で悪党仲間の「暗闇の丑松」とでくわし、直次郎自身の罪が発覚し追手が迫っていると告げられます。

またそのそば屋で、胸を患っている三千歳の治療をしている「按摩の丈賀」と出会い、三千歳の今の様子を聞かされます。

直次郎は悩みますが、危険を冒してまで想う三千歳の元へと逢いに行く決意をするのでした。

 

丈賀に今夜三千歳のところへ逢いに行くことを言づけますが、それを陰から見ていた丑松。

 

直次郎を売って自分だけ罪を逃れるか?兄弟分の義理を通すか? 

 

しかしその答えは意外な偶然から決するのでした・・・。

 

 

清元の演奏する「大口屋寮の場」はそういった状況の中で直次郎が三千歳に逢う場面です。

 

 

冒頭の部分

「冴え返る春の寒さに降る雨も 暮れて何時しか雪となり 上野の鐘の音も凍る」

この一節だけで場面を想像できるほど、素晴らしい詞です。

 

また「知らせうれしく~」や「一日逢わねば千日の 思いにわたしゃ患うて」といった三千歳の想いのままが詞に表現されており見どころ聴きどころです!

 

河竹黙阿弥お得意の「七五調」のセリフ回しも粋で爽快ですよ。

 

 

自分の危険も返りみず、三千歳の元へ逢いに行く直次郎。

現代のドラマにも引けを取らない恋愛劇を是非ともお楽しみくださいませ(^O^)

 

 

 

 

 

歌 詞

 

冴え返る 春の寒さに降る雨も 暮れていつしか雪となり 上野の鐘の音も凍る

細き流れの幾曲り 末は田川へ入谷村 廓へ近き畦道も 右か左か白妙に

往来のなきを幸ひと 人目を忍びたたずみて 

 

直次郎「思ひがけなく丈賀に会い 頼んでやったさっきの手紙 もう三千歳の手へ届いた時分

    門の締りが開けてあるか かどからそっと 当って見ようか」

 

たしかにここと目覚えの 門の扉(とぼそ)へ立ちよれば 風に鳴子の音高く

驚く折から新造が 灯し携え立ち出でて 

 

千代春「今鳴子の鳴ったのは風のようでは無かったが」

千代鶴「大方ここへ直はんが」

千代春「アァモシ 静かにしなましよ」

 

さし足なして千代春が 扉へ寄りて声ひそめ

 

千代春「モシ直はんざますか」

直次郎「おぉそう云う声は千代春さんかへ」

千代春「さっ早くこっちへ這入んなましょ」

千代鶴「わちきは奥の花魁へ お知らせ申して参りんしょう」

 

気転きかして奥戸口 互ひに心 合鍵に 扉を開けて伴ふ折から

 

門の外には丑松が 内の様子を伺ひて 一人うなづき雪道を 飛ぶが如くに急ぎ行く

 

直次郎「やっとの思ひで忍んで来たんだ 聞けば三千歳は患っているそうだなぁ」

千代春「それもみんなおまはん故でありんすよ」

 

晴れて逢はれぬ恋仲は 人に心を奥の間より

知らせ嬉しく三千歳が 飛立つばかり立ち出でて 訳も涙にすがりつき

 

「セリフ」

 

千代春「花魁」

千代鶴「直はん」

千代春「ここでゆっくり」

両 人「お話なんなんしえ」

 

廓(さと)に馴れたる新造が 話の邪魔と次の間へ 粋を通して入りにける

後には二人さし合も 涙ぬぐふて三千歳が 恨めしそうに顔を見て

 

「セリフ」

三千歳「わづか別れて居てさえも」

 

一日逢はねば千日の 思ひにわたしゃ患うて 針や薬のしるしさへ 泣きの涙に紙濡らし

枕に結ぶ夢さめて いとど思ひの十寸鏡(ますかがみ)見る度毎に面痩せて どうで長らへ居られねば

殺して行って下さんせと 男にすがり嘆くにぞ

 

直次郎「今更云うて返らぬが 悪事をなしてお仕置を 受けりゃ先祖代々の 墓へ入れぬこの身の上

    回向院の下屋敷へ 俺れの墓をば建ってくれ コレがお主へ おれの頼みだ」

 

これが頼みと手を取りて 共に涙にくれにける 男も愚痴に絡まれて もて余したる折からに

始終を聞いて寮番の 喜兵衛は一間を立ち出でて

 

「セリフ」

 

実に桓山(かんざん)の悲しみも 斯くやとばかり降る雪に 積る思ひぞ(残しける)

 

 

 

(演出の都合上、変更になる場合があります。)

 

 

 

参考資料

清元全集 清元集 清元五十番

 

 

 

 

2016.01_kabukiza_ura.jpg

この写真は2016年1月歌舞伎座「壽初春大歌舞伎」の時のものです。

三千歳と直侍が再開する「大口屋寮の場」のセットです。 

撮影は舞台裏で、表では前場が上演されており、とても暗く見えづらいです(。-人-。) 

スミマセンm(_ _)m

 

 

またYouTubeチャンネル「清元pockets」にも三千歳のお手軽動画をアップしております!

 

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(画像をクリックするとYouTube「三千歳」に飛びます)

 

 

 

清元 國惠太夫

YouTubeチャンネル「清元pockets」を開設しました!

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こんにちは。くにえです。

この度YouTubeチャンネル「清元pockets(きよもとポケッツ)」を開設いたしました(^O^)

 

 

 

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(画像をクリックするとYouTube「清元pockets」に飛びます)

 

  

 

 

このチャンネルでは通常の清元の曲を3~5分くらいに切り取りまして皆様に手軽にお聞きいただきたいというコンセプトで開設いたしました。

 

近々歌舞伎や舞台で演奏される演目を優先的に、また簡単な解説と歌詞を入れ定期的に動画をアップして行きたいと思っております。

 

 

 

 

宜しくお願い致しますm(_ _)m