今昔の最近のブログ記事

こんにちは。くにえです。

 

今月19日(水)に目黒雅叙園・鷲の間に於いて「第一回まるやま会」があります。

くにえも賛助させていただきます!

 

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皆様は渋谷に花柳界があったことをご存知でしょうか?

井の頭線「神泉駅」の近くに渋谷見番がありました。

(見番=芸妓さんが踊りや鳴物、三味線などをお稽古する所)

 

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(写真・花街シェアハウスHPより)

 

くにえも学生の頃に伺ったことがあります。

残念ながら現在はありません。

 

明治の中頃より、大正の全盛期、そして戦後の混乱期。

そして渋谷は若者の街として変貌を遂げ、現在「円山町」では小糸先生、鈴子さん、葉月さん、三吉さんのお4方で

花柳界を支えていらっしゃいます。

 

現在筆頭で活躍なさる小糸先生は、くにえが清元の名前を頂戴する前の手ほどきの先生でもあります。

中学生の頃の事なのでかれこれ20年近くのお付き合いになります。

 

今回はそのご縁があってお声がけ下さいました。

まだまだ未熟な私ですが本当に嬉しく思います。

 

 

色々な方々の汗と涙と想いが今回の「第一回まるやま会」です。

 

私も精一杯務めさせていただきたいと思います!

 

 

清元 國惠太夫

渋谷円山町関連HP

渋谷文化プロジェクトHP

maruyamacyo.net

花街シェアハウス

こんにちは。くにえです。


熊本県山鹿市は今日もとても暑いです(^_^;)


本日は八千代座での公演2日目です。


この八千代座は江戸時代の舞台の雰囲気を味わえる劇場です!

八千代座の歴史を少々。

1911年(明治43年)に完成しました。今から103年前です。
その後、映画館になったり廃屋同然になったりと苦しい時期もあった様です。

しかし昭和62年に市民の寄付により再興。
翌年には国指定重要文化財に指定されました。

今では毎年歌舞伎や多くの催し物が開催されています!

(八千代座HPより抜粋)

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舞台の天井です。
網目状に組まれた木材(竹?)が吊るされており、そこに照明やかき割など
舞台装置を吊るします。



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舞台下(奈落)です。回り舞台になってします。
なんと人力で動かします!



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花道下です。「すっぽん」と言ってここから役者さんが花道へ競り上がります。
これももちろん人力で持ち上げます。




この様に当時のままにほとんどが人力で機械を使用していません。


それにしても昔の方々はこの様な装置をよく編み出したものだと
感心してしまいます。(⌒‐⌒)


次回は舞台、客席等をご紹介したいと思います\(^-^)/





清元國惠太夫

KIYOMOTO'sファッション

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こんにちは。くにえです。

 

今回は我々が普段舞台で着ている衣装について触れたいと思います。

 

過去の記事でも何度となく紹介している画像にも写っておりますが、基本的には

紋付、袴(はかま)の組み合わせです。

 

kimono_monntuki_hakama.jpg

 

これが基本スタイルです。

黒の五つ紋です。

五つ紋と言うのは胸に2箇所、背中に1箇所、袖の左右裏側に1箇所づつ、計5箇所に

紋が入っている着物のことです。

 

笑点など、落語家さんが用いる色紋付は着ません(笑)

 

画像の黒紋付を正式な服装としたのは江戸時代初期頃と言われています。

 

それ以前は熨斗目(のしめ)といってお腹の辺りに大きなラインの入った紋付でした。

 

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(画像・伊勢崎市ウェブサイトより参照)

 

時代劇などで大名などがよく来ていますね!

 

 

そして、下に着けているものが袴です。

この袴は清元のお揃いで、清元男性社中は全員持っています。

 

この袴の成立は非常に古く、弥生時代にはこの原型となるものが用いられたそうです!

 

 

 

 

kimono_kamishimo.jpg

 

また、主に歌舞伎の舞台で用いられる裃(かみしも)です。

これもよく江戸の時代劇で見ますよね。

 

この裃は清元は「緑」と決まっております。

他にも常磐津は「柿色」と決まっています。

(長唄や義太夫は舞台によって色が違います)

 

これは舞台の幕である「定式幕(じょうしきまく)」の色から取ったのではないかと

考えます。

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◆定式幕(歌舞伎座)

 

 

何はともあれ日本の先人たちの築き上げた文化の1つ、「着物」。

そんな文化を着て仕事をしています。

 

まだ着物に袖を通したことの無い方は是非体験してみていただきたいと思います。

病み付きですよ(笑)

 

 

清元 國惠太夫

こんにちは。くにえです。

いやー雪ですね。都心でも牡丹雪が舞い、屋根も薄っすらと白くなっています。

体感だけではなく、目でも寒さを感じられる日でしたね。

 

さて、今回は久しぶりに歌舞伎の今昔にスポットを当てたいと思います。


 

「照明について」


舞台において欠かすことの出来ない照明。

今は文明が進み、照明機材で色とりどりの演出を照明で表現することが出来ます。

例えば、深い青で夜を表現したり、ライトを点滅させることで雷を表現したり・・・。


 

では、江戸時代の電気の無い時代はどうしていたのでしょう?

 

古い文献によると歌舞伎興行は基本的に外が明るいときに幕を開けていました。

 

 

昔の劇場は規模にもよりますが、今の3階建ての建物くらいの大きさがあって
2階席もありました。

その2階席の壁が戸になっていて開け閉めをすることでライトの代わりをしていたそうです。

 

 

2階席の手すりに提灯をぶら下げたり、棒に皿をつけてその上に蝋燭を立てて
役者の顔に近づける「面明かり(つらあかり)」という道具も使われていたそうです。


 

今と昔の違いは舞台だけが明るいのではなくて劇場全体が明るかったということです。


 

また、長い時代物の場合など、物語が一日で終わらない芝居があります。
日も暮れて劇場に光が入らなくなります。

そういったときには興行の責任者(太夫元・たゆうもと)が芝居の途中に出てきて
「本日はこれぎり」といって幕を閉め、次の日に続きを上演することもあったそうです。


 

 

自然の摂理に身近に接した穏やかな生活の中で、観客も納得して明日を心待ちにする。

再び幕が上がれば熱狂し、感動する。


 

何とも良い時代のように思えます。

 

 

清元 國惠太夫