こんにちは。くにえです。
今日は雪が降り、とても寒かったですね(^^ゞ
交通も所々で遅延や運休が相次いだ大変な一日でした。
明日、3月1日(木)東京三宅坂国立小劇場に於いて「清元榮壽郎五十回忌追善演奏会」が
開催されます。
平成24年3月1日(木)
開場11:00 開演11:30
三宅坂 国立小劇場
清元 榮壽郎(きよもとえいじゅろう)
(撮影・所蔵 清元榮三師)
1905年(明治38年)東京で生まれ。本名・宮川源次。
1910年(明治43年)清元順三郎に入門。清元三二と名乗る。
1922年(大正11年)五世・延寿太夫(高輪派)と三世・梅吉(梅派)に分裂。一時梅派に行くも、すぐに高輪派に復帰。以降五世・延寿太夫の立三味線を務める。
1923年(大正12年)清元東三郎と改名。
1937年(昭和12年)三世・清元榮次郎を襲名。
1933年(昭和8年)男爵・大倉喜七郎(大倉商事・ホテルオークラ等創設)らと共に「大和樂団(大和楽)」を創設。宮川寿朗・宮川栄棋の名前で多くの曲を作曲、演奏。
1951年(昭和26年)文部省芸術祭・芸術祭賞を受賞。(「十三夜」演奏)
1953年(昭和28年)清元榮壽郎に改名。
1955年(昭和30年)邦楽界初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
1963年(昭和38年)お稽古で京都に滞在中、心臓発作で急逝。(享年59歳)
清元・大和楽の三味線方として数多くの作品を残されました。
人材育成の面においても六世清元延壽太夫を始め、清元榮三師(人間国宝)、清元清寿太夫師(人間国宝)、清元美寿太夫師など若手の指導と、当時の清元の戦後の黄金期を支えた立役者です。
今回の演奏会では榮壽郎師の作曲した「遍路」「斧琴草」を舞踊で尾上松緑丈・尾上菊之丞さまに特別出演して華を添えていただきます。
是非お越しください!
(おまけ)
今日の演奏会リハーサルの控え室です。
左手前より清元榮三師、清元初栄太夫師、清元寿美太夫師、清元清寿太夫師、清元美寿太夫師。
榮壽郎師の昔話や若手の頃の話を談笑なさっていました。
この雰囲気に思わずパシャリ(笑)
清元 國惠太夫
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