清元「流星」について

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こんにちは。くにえです。

いよいよ本格的な冬になりましたね。
外出時にコート、マフラーが欠かせなくなってしまいました!

 

今日は七夕ティーパーティー at wachaや第5回やのくら音楽会で演奏しました「流星」についてです。

 

本名題を「日月星晝夜織分(にちげつせいちゅうやのおりわけ)」といいます。

通称は、開曲当初「夜這星(よばいぼし)」と言われていましたが、時代と共に世間を憚って
「流星(りゅうせい)」と呼ばれています。

1859年(安政6年)に江戸市村座で初演されました。

 

この年の出来事といえば、大老井伊直弼が「安政の大獄」に踏み切り、徳川慶喜を始めとする
多くの学者や各藩の有力な人物が処分を下された年ですね。


曲の内容は、七夕の夜に牽牛(けんぎゅう)【←彦星のこと】と織姫が年に一度の逢瀬を
楽しんでいるところに流星が飛んできて天上界のことについて知らせに来ます。
話の内容とは、自分の隣に住む雷夫婦の喧嘩のことでした。
ある日、父雷が雲から落っこちてしまい、端唄の師匠のところに居候します。その時に聞いて
覚えた端唄混じりの雷を天上界に戻っても、つい鳴らしてしまいます。
その鳴り様に呆れた母雷と夫婦喧嘩になってしまうのです。
子雷や隣の婆雷が仲裁に入りますが、いっこうに収まりません。

はたして結末とは?

 

当時流行歌だった「端唄」や伝染病として蔓延した「コロリ(これら)」など、
当時の世相がよく反映された作品です!

 

 

 

 

流星

作詞 河竹 新七(のちの黙阿弥)  作曲 清元 順三


それ銀漢と唐詞に 深くも願う夫婦星 なつかしやわがつまさまおかわりとてもあらざりしか おもえば年にただ一度 この七夕に逢うのみにて かりのたよりもなき身の上 なつかしきはいかばかり とりわけ去年は雨ふりて そもじにあうも三年越し 寄り添う折から闇雲に 御注進 御注進 呼ばわる声も高島や 飛んで気軽な流星が 丸い世界へ生まれしからは 恋をするのが特鼻褌(とくびこん) 寝るに手まわし宵から裸 ぞっと夜風にハッハッハッ ハックサメ 彼奴が噂をしているか エエ畜生めと夕闇を 足も空にて駆け来たり 誰かと思えばそちゃ流星 注進とは何事なるか 様子はいかに ハハーッ さらば候そろそろと 三つ合わせてさん候 およそ夜這いと化け物は 夜中のものに宵の内 とろとろやろうと思いのほか 一つ長屋の雷が 夫婦喧嘩の乱騒ぎ 聞けばこの夏流行の 端唄の師匠へ落っこちて 気は失なわねど肝心の 雲を失い居候 そこで端唄を聞き覚え この天上へ帰っても つい口癖になるときも ごろごろごろごろごろごろ エエごろごろごろ 聞く女房は呆れ果て マッコレそんなのろけた鳴りようでは 恐がるお臍で茶を沸かそう 鳴るなら大きな声をして ゴロゴロゴロ ピカピカピカ ゴロゴロゴロ ピカピカピカ ゴロゴロ ゴロゴロ ゴロゴロゴロゴロ ゴロゴロ・・・・・ピシャリっと鳴らねばさまを付けられぬ  と言えば亭主は腹を立て それは昔の雷だ 大きな声で鳴らずとも 粋に端唄で鳴るのが当世 それがいやなら 出て行きゃれ なに出て行けとは オオサ角を見るのも アア厭になった 我がもの故に仕方なく 我慢をすりゃあつけ上がり 亭主を尻に引きずり女房 サア恋の重荷の子供を連れ きりきりと出て行きゃれ いえいえここは私の家お前は婿の小糠雨 傘一本もない身の上 汝そうぬかせば了簡がと 打ってかかるを ゴロゴロゴロ ゴロゴロゴロと鳴る音に傍に寝ていた小雷 コヨコヨコヨと起き上がり コレ父さん可哀想に母さんを 背負った太鼓じゃあるまいし 何でそのようにたたくのじゃ 堪忍してとコヨコヨコヨ かかる騒ぎに隣りから 婆雷が止めに来て マママこれ お前方はどうしたのじゃ 夫婦喧嘩は雷獣も 喰わぬに野暮を夕立は どんな太鼓の八つ当たり 出て行との一声は 月が鳴いたか時鳥 いつしか白む短夜に まだ寝もやらぬ手枕や アレおなるさんもくよくよと 愚痴なようだが コレマ泣いているわいな 端唄に免じて五郎介どの 了簡見してとゴロゴロゴロ いえいえ私しゃ 打たれたからは 了簡ならぬとゴロゴロゴロ ならずば汝とゴロゴロゴロ 父さん待ってコヨコヨコヨ これはしたりとゴロゴロゴロ 止めるはずみに雷婆 ウーンとばかりに倒るれば こりゃころりではあるまいか 医者よ針医と立ち騒げば 入れ歯の牙を飲み込んで 胸につかえて苦しやと 言うにおかしく仲直り夫婦喧嘩のあらましは かくの通りと言い捨てて ハヤおさらば 虚空はるかに失せにけり