清元「三社祭」について

こんにちは。くにえです。

今回は第1回やのくら音楽会でも抜粋して演奏しました、三社祭についてです。

本名題を「弥生花浅草祭(やよいのはなあさくさまつり)」と言います。

そもそも本名題とは、歌舞伎などの正式な演目名のことです。
通常は俗称でよぶ場合がほとんどですね!

今回の場合は「三社祭」が俗称になるわけです。

三社祭は1832年(天保3年)に江戸中村座で初演されました。

ちなみに1832年は、10年間続いて70万人が被害を受けたとされる「天保の大飢饉」が発生した頃です。
天下の大泥棒、鼠小僧次郎吉が日本橋浜町で捕えられ、獄門になった年でもあります。

曲は浅草の浅草寺で行われる三社祭の山車に飾られている、二人の漁師が題材となっています。
浅草寺の所以は、この漁師が宮戸川(隅田川の一部)で網打ち漁をしていたところ観音像が引っかかり、それを本尊として祭ったのが始まりとされています。

歌詞の内容は三社さまのお祭りの描写ではなく、この二人の漁師に「善玉」と「悪玉」が乗り移って
コミカルに踊るという内容です。

「善」と「悪」という思想は当時大流行した「心学」という倫理学で、簡潔に言うと、
人間が行う行動は「善玉」「悪玉」が乗り移ることで善人のも悪人にもなるという考えです。

こんな流行も清元の「三社祭」に取り込まれました。さすが時流に乗るのが得意な清元ですね(笑)

また、本名題に弥生(3月)とあるのは明治以前には3月に三社祭を行っていたことに由来しています。


 

三社祭

作詞:二世 瀬川 如皐    作曲:初世 清元 斎兵衛

(本調子)洩れぬ誓いや 網の目に 今日の獲物も信心の おかげお礼に朝参り
 浅草寺の観世音 網の光は夕鯵や 昼網夜網に凪もよく乗り込む
 河岸の相場に しけは 生貝生鯛生鰯 なまぐさばんだ ばさらんだ
 わびた世界じゃないかいな かかる折から虚空より 風生臭く身にしむる
 呆れてしばし両人は 大空きっと見あぐれば これは昔の物語
 それが厭さに 気の毒さに おいらが宗旨はありがたい 弘法大師の いろはにほへと
 変わる心はからくり的 北山時雨じゃないかいな 牛に引かれて善悪は
 浮かれ拍子の一踊り
(二上り)通う玉鉾 玉松風の もとはざざんざで 唄えや唄えや 浮かれ烏のうば玉や
 うややれやれやれ そうだぞそうだぞ 声々に しどもなや
(本調子)唄うも舞うも 法の奇特に善玉は 消えて跡なく 失せにけり