2009年10月アーカイブ

こんにちは。くにえです。


前にも少し触れましたが、私は國學院高校にある歌舞伎同好会で講師をしています。

おおよそ一週間に1回のペースで、エネルギッシュな平成生まれの生徒さんたちに揉まれています。

僕にもこんな時代があったんです・・あったんだと思う・・あったんじゃないかな・・あちょと覚悟はしておけ

(古いけどわかるかな?)

まあ「関白宣言」(さだまさし・國學院高校卒)のことは置いといて・・・。


9月下旬にありました文化祭で、部員だけで清元「玉兎」を語りました。

もっぱら部活動はその曲の稽古だったんですが、最近の子たちはすごいですね!
ジャンルは違えど、普段から音楽と密に接しているせいか、その日に教えた箇所をものすごい速さで覚えてしまうんです!

是非とも未来の「清元人」なってもらいたい(懇願)


現在の部員数は女子生徒3人と少しサビシイ状況ですが、文化祭で清元を演奏したり歌舞伎観劇をしたりと、精力的に活動しているしっかりした部員たちです!

また、同好会が創設されて3、4年というのに、OB・OGも数十人いるんですよ。全員に会ったことはありませんが、うち数人は現在でも歌舞伎同好会の支えとして、進んで活動に参加してくれるんです!(涙)

その中に國學院歌舞伎同好会のHPを立ち上げてくれている子もいます。

國學院 歌舞伎同好会ホームページ

 

本当に良い子達です。(大涙)


清元や歌舞伎などに触れ、日本の伝統文化を学んだ部員たちが、華々しい未来を歩んでいけることを願うばかりです。


清元 國惠太夫

 

こんにちは。くにえです。

台風一過で、久々の快晴でしたね!
私は昨日から仕事で名古屋に一泊していたのですが、降ったり止んだりとはっきりしない天候の後
だったので気持ちが良かったです。

さて今回は、日ごろ舞台で使用している唄本をお見せしたいと思います。

utabon.jpg


これは第6回やのくら音楽会でも演奏いたしました「権九郎」の唄本です。

歌詞の右横に何やら象形文字のようなニョロとした書き込みをご覧いただけると思いますが、これが清元の「節(ふし)」なんです!

しかし、これを他の人が見て語れるかというと、それは多分不可能だと思います(汗)

そもそも清元は洋楽と違い、譜面が開曲当時からあったわけではなく、「口伝(くでん。口伝えということ。)」で現在に伝えられてきました。

習った師匠が違えば細かい部分で違いますし、時代が違えばその語り手に引っ張られて曲が変化する。それが一人一人の色でもあり、時代をよく映す清元の味となるわけです。

この画像の節は私個人の音符であり、唄本は私個人の楽譜というわけですね(笑)

そんな自由さが清元の良さの1つであり、親しみやすく聞こえる理由になっていると思います。でも、その自由さを自分の実力で補わなければいけない点が、清元の難しいところでもあり、やっぱり楽しさでもあるんですね。


清元 國惠太夫
こんにちは。くにえです。


私は仕事の関係で、よく色々な土地に行きます。

拠点としている東京を離れ、その先々の名産をいただくことができたり、その地の人々とお知り合いになれたりする事は、この仕事をしていて感じる幸せの一つです。

かなりの頻度で飛び回らなくてはならないため、1回1回の時間が短く、あまりゆっくりとした時間も取れないのが心残りなのと、途中、新幹線や飛行機の移動が大変なのですが(汗)。

実は今日明日昨日今日(※)と舞踊会の地方(じかた)で大阪にいます。
このエントリーも、初めて東京以外の場所、大阪からアップさせていただいております。

地方(じかた)とは歌舞伎や日本舞踊などで曲を演奏する人のことをさしています。
まあステージのバックバンドといったところでしょうか(笑)地方連中と言ったりもします。

大阪以外ですと、名古屋、京都辺りが多いです。

ただ依頼があれば、基本的にどの地でもスッ飛んでゆきます。海外にも行くことがあるんですよ!
...まあ僕は海外には行ったことは、まだないのですが(泣)

どなたか海外に呼んでください!
出来ればハワイあたりに・・・・・・・チーン


清元 國惠太夫

(※)・・・10月25日訂正

こんにちは。くにえです。

今回は第1回やのくら音楽会でも抜粋して演奏しました、三社祭についてです。

本名題を「弥生花浅草祭(やよいのはなあさくさまつり)」と言います。

そもそも本名題とは、歌舞伎などの正式な演目名のことです。
通常は俗称でよぶ場合がほとんどですね!

今回の場合は「三社祭」が俗称になるわけです。

三社祭は1832年(天保3年)に江戸中村座で初演されました。

ちなみに1832年は、10年間続いて70万人が被害を受けたとされる「天保の大飢饉」が発生した頃です。
天下の大泥棒、鼠小僧次郎吉が日本橋浜町で捕えられ、獄門になった年でもあります。

曲は浅草の浅草寺で行われる三社祭の山車に飾られている、二人の漁師が題材となっています。
浅草寺の所以は、この漁師が宮戸川(隅田川の一部)で網打ち漁をしていたところ観音像が引っかかり、それを本尊として祭ったのが始まりとされています。

歌詞の内容は三社さまのお祭りの描写ではなく、この二人の漁師に「善玉」と「悪玉」が乗り移って
コミカルに踊るという内容です。

「善」と「悪」という思想は当時大流行した「心学」という倫理学で、簡潔に言うと、
人間が行う行動は「善玉」「悪玉」が乗り移ることで善人のも悪人にもなるという考えです。

こんな流行も清元の「三社祭」に取り込まれました。さすが時流に乗るのが得意な清元ですね(笑)

また、本名題に弥生(3月)とあるのは明治以前には3月に三社祭を行っていたことに由来しています。


 

三社祭

作詞:二世 瀬川 如皐    作曲:初世 清元 斎兵衛

(本調子)洩れぬ誓いや 網の目に 今日の獲物も信心の おかげお礼に朝参り
 浅草寺の観世音 網の光は夕鯵や 昼網夜網に凪もよく乗り込む
 河岸の相場に しけは 生貝生鯛生鰯 なまぐさばんだ ばさらんだ
 わびた世界じゃないかいな かかる折から虚空より 風生臭く身にしむる
 呆れてしばし両人は 大空きっと見あぐれば これは昔の物語
 それが厭さに 気の毒さに おいらが宗旨はありがたい 弘法大師の いろはにほへと
 変わる心はからくり的 北山時雨じゃないかいな 牛に引かれて善悪は
 浮かれ拍子の一踊り
(二上り)通う玉鉾 玉松風の もとはざざんざで 唄えや唄えや 浮かれ烏のうば玉や
 うややれやれやれ そうだぞそうだぞ 声々に しどもなや
(本調子)唄うも舞うも 法の奇特に善玉は 消えて跡なく 失せにけり

こんにちは。くにえです。

来たる11月19日(木)に日本橋三越劇場で「清元宗家演奏会」があります。
清元の男性社中や女性社中が出演する、年に一度の素浄瑠璃の演奏会です。
若手のエネルギッシュな芸やベテランの珠玉の演奏をお楽しみいただけます。

私、國惠太夫も一番最初の「助六」に立て語りとして出演の他、2番に出演させていただきます。

皆様、是非遊びにいらして下さいね!!

清元 國惠太夫

souke_program.jpg

Let's Go 歌舞伎座

| コメント(0) | トラックバック(0)

こんにちは。くにえです。

 

最近夜になるとめっきり冷えてきましたね。

皆様もお風邪には十分お気をつけください。


さて、今回は来年の4月をもって閉館します、歌舞伎座についてちょろっとお話ししたいと思います。

 

そもそも歌舞伎座とは、1889年(明治22年)に東京木挽町(現・東銀座)に建設された日本屈指の劇場です。

当時、劇場名は「新富座」「中村座」「河原崎座」というように座元(江戸時代、歌舞伎の興行権を持つヒト。太夫元)の姓を付ける事が一般的でしたが、歌舞伎座の場合、名前に演劇のジャンルの名称を付けるという斬新なものでした。

関東大震災、東京大空襲と数々の災害を経て、1951年(昭和26年)に現在の建物が誕生しました。

 

明治、大正、昭和、平成と120年の歴史を持つ劇場なのです!

 


僕が初めて歌舞伎座の芝居にのせていただいたのは2002年7月、「市川猿之助大歌舞伎」でした。

演目は義経千本桜の一幕「吉野山」というもので、静御前と佐藤忠信(狐)が道行をするという話です。

初めての歌舞伎興行出演だったので、気合いを入れまくった僕は、髪型をオールバックにしてガチガチに固め、不評をかっていました(笑)

正直、舞台のことなど覚えていません。
でもなぜかあの緊張感を味わったということは今でも忘れられません。


独特なんですよね。歌舞伎座の雰囲気って。

120年の伝統を肌で感じるといいますか。お客様、演者、裏方さん、携わる人々の魂といいますか。

まあ120年分のホコリで歴史を感じる部分もかなりあるのですが(笑)


そんな歌舞伎座に一瞬でも携わることが出来てとても嬉しく思います。


今月は歌舞伎座、来月は新橋演舞場と所々の日にちで出演させていただいております。

皆様も機会がございましたら是非歌舞伎座にお越しください!
外から記念写真を撮るだけでもよいと思います。


まもなく見納めです。
是非、ナマの歌舞伎座をご覧になってみてください。


清元 國惠太夫

 

ザ☆落語

| コメント(2) | トラックバック(0)

こんにちは。くにえです。


今日は一人の噺家さんをご紹介したいと思います。

笑福亭瓶成(しょうふくていへいせい)さんです。

笑福亭瓶成オフィシャルブログ(起き上がりこぼし)


先日のやのくら音楽会にお忙しい中、遊びにいらしていただきました!
ほんとうにありがとうございます。


瓶成さんは笑福亭鶴瓶さんの愛弟子さんで、テレビやラジオと幅広くご活躍なさっておられます落語家さんです。

会の後に食事をご一緒したのですが、繰り出される言葉のキレやツッコミ。

さすがです。

勉強になります!

人前でしゃべることの苦手な僕にとって魅力の塊です!!


今後も一緒に清元と落語のコラボが出来ればと密かに妄想する今日この頃です(笑)


そんな瓶成さんですが、11月4日(水)11月9日(月)に落語の会をなさるようです。

僕も是非遊びに行かせて頂きます!!

 

清元 國惠太夫

やのくら音楽会の御礼

| コメント(0) | トラックバック(0)
こんにちは。くにえです。

今日は第6回やのくら音楽会を四谷荒木町燕座で開催いたしました。

yanokura091003_01.JPG

ご来場頂きました皆様に厚く厚く御礼申し上げます。

曲と曲の間に「遊郭の女たち」と題しましてお話を入れたのですが、お話をする難しさと自分の上がり症などが相まって、ところどころ退屈なさっていたのではないかと感じております。

特に昼の部は言いたいこと山ほどありまして、ものすごい時間がかかってしまいました(汗)

また、昨日まで扁桃腺を腫らし、高熱が出るというアクシデント(自己管理の悪さ)に見舞われておりまして、謝罪を申し上げたい節ばかりでございます。

まだまだ改善するところが多いと改めて実感しましたので、次回以降存分に生かして行きたいと考えております。

ほんとうに、我々を応援して下さるお客様に、只々感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございました。


次回、第7回やのくら音楽会は2010年2月7日です。
色々と新たな試みを模索してゆきます!!

皆様のご来場心よりお待ち申し上げています。


清元 國惠太夫

こんにちは。くにえです。

今回も10月4日(日)に開催致する「やのくら音楽会」の曲紹介第2弾です!


「再栄四季彩(またさかえるしきのいろどり)~寶船~」

この曲は2008年6月8日第1回やのくら音楽会で初演されたご祝儀曲です。
我々が作った初作品でもあります。

本名題の再栄四季彩と名づけた理由、かつて銭湯や近所の家々で清元の唄や三味線が
聞こえ愛された時代があったそうです。

「あそこに住んでる○○さんの唄は粋だ」とか「○○さんの三味線は間が良い」とか・・・
現在のPOPSや洋楽を楽しむように清元をこぞって愛しました。


我々、Sou-Zou工房四季が再び清元の栄華を彩りたいと願いを込めて名づけたわけです。


歌詞にも自分たちの志を表現しました。

果てしなく長い芸の道のり、我々は力を合わせて清元をもり立ててゆきたい。
と、大きく出てみたわけです(笑)

また、四季に因みまして四季(春夏秋冬)それぞれの季節感が入っています。是非調べてみてくださいね(笑)





再栄四季彩 ~寶船~

(作詞:川青二八 作曲:清元延美雪)



明けにけり 光輝く稜線の 永遠に煌々さすやらん 

清き瓢箪花の下 子々孫々につた紅葉 雪解けは 蠢めく春の惠む水

夢寶船 こぎ出だし 果てしなき冬の荒波 我ら挑みて合力の

一途の想い乗り越えし 若木こころの清元の 四季の誉れぞ祈りけり

権九郎について

| コメント(0) | トラックバック(0)
こんにちは。くにえです。

来たる10月4日に第6回やのくら音楽会を開催いたします。

音楽会に先立ちまして、今回演奏します曲について解説したいと思います。
サブタイトルを「恋はくせもの」と題しまして、そのテーマにぴったりのものをご用意いたしました。

「白玉権九郎(しらたまごんくろう)」。

本名題を「忍岡恋曲者(しのぶがおか こいはくせもの)」と言います。
歌舞伎では「黒手組曲輪達引(くろてぐみ くるまのたてひき)」(作・河竹黙阿弥。世話物。)という、同じく歌舞伎で有名な「助六」という作品のパロディー的な芝居の序幕として、清元の権九郎が演じられます。

つまりストーリーとしては、下で紹介している歌詞の他に続いていくわけですが、今回のやのくら音楽会ではその序章を演目としてお楽しみいただきたく思います。


「権九郎」は1858年(安政5年)3月に江戸の市村座で初演されました。

昨年のNHK大河ドラマ「篤姫」をご覧になった方々にわり易く説明しますと、翌月の4月に彦根藩主、井伊直弼が大老に就任しています。7月には篤姫養父、島津藩藩主の島津斉彬が死去したりと、幕末のそんな動乱の時代に作られた作品です。(笑)

登場人物は三人。遊女白玉、三枚目の近江屋番頭権九郎、色男の悪人の牛若伝次。

新吉原三浦屋の遊女「白玉」は評判の美人でした。その白玉に惚れ込み、入れ込んでしまったのは「番頭権九郎」。
権九郎は店で着服した大金50両と白玉を連れて生まれ故郷の上方へ逃げるつもりでした。
しかし、白玉には牛若伝次という札付きの情夫がいます。
白玉と伝次は権九郎を騙し、大金を手に入れる計画を立てたのです。

朧月の出る夜道。
白玉と駆け落ちが出来て、嬉しくて仕方がない権九郎、騙すために愛想を無理にする白玉、影からチャンスをうかがう伝次。
三人の織り成すそれぞれの思惑をリアルに楽しんで頂きたいと思います。


権九郎
(作詞:河竹黙阿弥 作曲:二世清元斎兵衛)

絵に書かば墨絵のさまや 朧夜の空ににじみし月影も 忍ぶが岡を二人連れ
散り来る花の白玉に 鐘の音霞む権九郎 手に手を取りてそこはかと
谷中を越えて車坂 よそ目に見れば二本の 離れぬ杉の道行は
あじな縁しを出雲にて 結び違いし神垣や 稲荷の森へ歩み寄り

「コレ白玉道々も言う通り 掟厳しい廓をば連れて退いた上からは 所詮江戸には居られぬぞや」
「江戸の内に居られぬとて どこへ行くのでありんすよ」
「ンサアどこと言うて当てはなけれど 生まれ故郷の上方へでも連れて行き
 世間晴れて権九が女房 まず京なれば木屋町か 
大坂ならば島の内 当分粋なへへへ座敷を借り」

下女が一人に 子猫が一匹 他には邪魔も新世帯 取り膳で食う楽しみは
一つ肴をむしり合い 箸の先での錣引き ひっくり返す皿小鉢
これはしたりと飛び退いて それ雑巾よ拾えよと
さんと呼びゃ ハーイと来る ぶちと呼びゃ ニャーンと来る

これを続けて呼ぶならば
おははいのハイと言やオニャニャのニャーンと鳴く
こんな騒ぎも痴話半分 嬉しかろうじゃないかいな

「なんと白玉そうなったら さぞそなたは嬉しかろうの」
「そりゃもうわちきが日頃の願い 嬉しゅうのうて何としましょう」
「うふふ あのまあ嬉しそうな顔わいな」

鼻毛のばして差し覗く 馬鹿げし顔を 流し目に

「そう聞く上は少しも早う 追手のかからぬ内 
 わちきゃ上方へ行きとうござんすが 聞けば遠い所とやら お前路用がござんすかえ」
「おっとそこに如才があるものか 今日千葉様へ納めに行く
 為替の金の五十両 ちゃんと着服しておいた
 これを路用に通し駕篭 伊勢参宮から大和をば 廻った所がまさか二分にはなりゃしまい」
「そんならそこに持って居やしゃんすかえ」
「何で嘘をつくものか 疑わしくば サッこれを見や」
「ンまぁこりゃほんにお金でござんすな」
「しかも小判で五十両 これさえあれば大丈夫」

押し戴けば後ろより 財布めがけて一掴み あわやと驚く権九郎 池の深みへ

「伝次さん」
「アッこれ」

むらかもめ

「伝次さん うまくいったねえ」
「そうよ 濡れ手で粟の五十両 この金の手に入ったのも みんなお主のお蔭 白玉いい度胸になったなぁ」
「これもみんな お前に仕込まれたんだよぉ」
「俺だといって まさか鋏を持って生まれやしねぇ これでも以前は武士のたね 藁の上から町家へやられ
 育ちが悪さに巾着切り 悪いこたぁ覚え易く 今じゃどこの盛り場でも 顔を知られた牛若伝次
 然し盗んだもなぁ一文でも 身に付けたこたぁありゃあしねえや
 二人が仲の離れねえのも これが悪縁とでも言うんだろうよ」
「今更言うのも愚痴ながら お前とこういう仲になったのも 忘れもせぬ 去年の秋」

まだ新宅の店先を そそるいなせの地廻り衆 多くの中でこなさんが
ふっと目につき物言いかけ 初手は浮気な格子色

朋輩衆になぶられて 話もならず裏茶屋で たまに逢うさえ束の間も
涙の雨に離るるが ここが苦界じゃないかいな

折しも告ぐる後夜の鐘 伝次はすげなく立ち上がり

「またもや追手のかからぬうち 世田谷道から厚木街道」
「あぁもし その道は寂しいかえ」
「どうせ駆け落ちをする道だもの 賑やかなこたぁありゃあしねえや」
「それだって何だか気味が悪いねえ そりゃそうと あの権九郎はどうしたろうねえ」
「どうするものか 土左右衛門よ」
「エェ」
「エェ ぐずぐずしねえで 早く支度をしねえか」
「アイ」

あいと白玉帯締め直し 二世を掛けたる中島を あとに三橋や清水門 人目いとうて走り行く

プロフィール

清元國惠太夫プロフィール

2016年10月

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

アイテム

  • utabon.jpg
  • souke_program.jpg
  • yanokura091003_01.JPG
  • chirasi_006.gif
OpenID対応しています OpenIDについて
Powered by Movable Type 5.2.7